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社会と人間と言葉に関するlotus3000のブックマーク (2)

  • ネットリテラシーやメディアリテラシー以前に、「プチ文盲」な人が多くないか - みやきち日記

    塾の講師を長年やっていて気づいたのが、文字から情報を取り出して理解することができない子がたくさんいるということ。その能力の低いこと、もはや文盲に近いです。あたしは便宜上こうした子たちを「プチ文盲」*1と呼んでいます。 塾で使うワークブックには、問題だけでなく、「要点のまとめ」や「アドバイス」などのコーナーがあります。そこを見るだけでかんたんに解けてしまう問題も多いです。ところが、「プチ文盲」の生徒たちは、「『要点のまとめ』のここを見て調べながらやってね」と言われてさえもまったく問題が解けません。ちなみにそういう生徒に「まとめ」の部分を音読させてみると、こんな感じ。 生徒「be動詞の疑問文は、be動詞を……ぶ……『ぶんあたま』って何?」 あたし「『ぶんとう』(文頭)」 生徒「……『ぶんとう』に出す。否定文ではbe動詞の後にnotを『よういる』」 あたし「『もちいる』(用いる)」 生徒「……『

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  • 中里一日記: 人は読まない、人は学ばない、人は変わらない

    人は読まない、人は学ばない、人は変わらない このところ辛いことが続いて、さすがの私もぐったりしている。外聞がよくてわかりやすい件だけ言うと、交通事故に遭って全治6か月、左腕がまったく上がらないし、普通のベッドに横たわると自分ひとりでは起き上がれない。 そんなわけで、『兵士シュヴェイクの冒険』を日々読み返しては心を慰めている。私もシュヴェイクのような謙虚な人間になりたい。ああいう謙虚な人間なら、今の私のこの状況も、赤子のような澄んだ目でやりすごせるだろう。自分がどちらかといえばヘロストラトスの側の人間である――「どちらかといえば」どころか「どこからどう見ても」と言うべきか――ことはよくわかっているのだが。 このぐったりした気分にふさわしく、今日は恐ろしく無駄なことを書こうと思う。私はどうやってもシュヴェイクにはなれないのだから。 昔、男の子がいた。大きくなったら「偉大な」作家になりたいという

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