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神道に関するlotus3000のブックマーク (14)

  • 神社本庁が安倍の地元で鎮守の森を原発に売り飛ばし!反対する宮司を追放 - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ

    【安倍内閣を牛耳る神社庁の正体 第2弾】 神社庁が安倍の地元で鎮守の森を原発に売り飛ばし!反対する宮司を追放 前回の記事で、安倍内閣の19閣僚中16人が神社庁の政治団体「神道政治連盟国会議員懇談会」(神政連国議懇)のメンバーであること、そして神社庁が国家神道復活をもくろむ危険な思想の団体であることを指摘した。その結果、サイトには案の定、「キチガイサヨクが神社まで批判している」「神社庁を極右とか、煽りがひどすぎる」「日の古からの伝統を守る団体を批判するのは日人じゃない」といった批判が殺到している。 おそらく、神政連国議懇の会長をつとめる安倍晋三首相や、神社庁が組織をあげて支援する山谷えり子拉致問題担当相、有村治子女性活躍担当相も同じような主張をするのだろう。「神社庁は神道を通じて日の伝統と文化を守り伝える団体」「神道政治連盟の目的は、悠久の歴史がはぐくんだ神道精神を政治

    神社本庁が安倍の地元で鎮守の森を原発に売り飛ばし!反対する宮司を追放 - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ
  • 在特会より危険!? 安倍内閣を支配する極右団体・神社本庁の本質 - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ

    ネオナチ、在特会、統一教会……。安倍内閣の閣僚とカルト極右団体の関係が次々に明らかになっているが、実はこの内閣にはもっと強大で危険な極右団体がバックについている。 その団体とは神社庁だ。安倍内閣の19閣僚中なんと16人が神社庁を母体とする政治団体「神道政治連盟国会議員懇談会」のメンバーであり、そして、安倍晋三首相はその神政連国議懇の会長をつとめているのだ。 と聞いて、「神社庁って神社の団体でしょ。最近、神社はパワースポットとして若い女性からも人気だし、どこが危険なの?」と疑問に思った読者もいるかもしれない。たしかに、神社庁は全国約8万社の神社が加盟する組織で、その目的は「祭祀の振興と神社の興隆、日の伝統と文化を守り伝えること」とされている。 だが、その当の目的を知ったら、「癒される〜」などといっていられなくなるはずだ。たとえば、神社庁の政治団体「神道政治連盟」のHPをのぞくと

    在特会より危険!? 安倍内閣を支配する極右団体・神社本庁の本質 - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ
  • 「日本会議」という"サムシンググレート"的なカルト保守

    菅野完 @noiehoie I stand with Palestine. 人間関係で物事を考えてしまう頭と心の弱い人から蛇蝎のごとく嫌われることと、志と意識と背丈の低さには自信があります。なんか文句あるならまず電話頂戴。090-2314-6758 メルマガ:sugano.shop/items/59ccab22… sugano.shop/items/59ccab22… 菅野完 @noiehoie ↓ 最近の日会議批判のダメな部分を凝縮した感じ。「宗教団体が政治に近づく」ことそのものは、一切、悪いことじゃない。別に問題ないの。問題は、日会議に集まる宗教団体が、「自分たちの教義を曲げて、日会議に阿っている」ということ。 2014-09-05 06:16:10 山崎 雅弘 @mas__yamazaki 日会議の役員名簿(bit.ly/1lHuzsr)を見ると、神社庁統理/総長、神宮大宮

    「日本会議」という"サムシンググレート"的なカルト保守
  • 一つの多神教という日本的ファンタジー

    『原理主義から世界の動きが見える』の中で、手島勲矢氏が、「一神教」と「多神教」についてハッとさせられることを書かれています。「一神教」「多神教」という構図をこれほど多用し社会現象に援用するのは特殊日的であり、その背景には「一つの(日的)多神教」という暗黙的な了解があるのではないか、という指摘です。 ちょっと長くなりますが引用しておきます。 (・・・)高度な抽象概念「一神教」「多神教」を、堂々と形而下の生々しい国際紛争と結びつけてしまう――こういう発想は、欧米の学者からは出てこない。彼らにとって、「一神教」「多神教」の区別は、あまりにも学術的な区別であって、それらを具象的な現象に援用するのは宜しくないのだ。しかし日では、識者だけでなく一般人も、この区別を違和感なくすんなり受け入れている印象がある。 この理解のギャップから私が思うのは、日人の論じる「一神教」「多神教」という区別は、欧米

  • 貧困と自殺に取り組む僧侶たち - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

    映画、旅、その他について語らせていただきます。 タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。 ルポ 仏教、貧困・自殺に挑む 個人的な意見を申し上げますと、正直キリスト教などの人たちとくらべて仏教関係の方々は、日における貧困問題や自殺問題などへの取り組みがものすごく不十分ではないかと考えてきました。で、このは朝日新聞で宗教問題などを取材してきた記者によるルポです。前半が貧困問題、後半が自殺問題の内容です。 こののではさまざまな僧侶が紹介されています。たとえば過去は問わずに宿泊場所と事を提供する会社経営者でもある僧侶、自らが所属する宗派から去り、形式的には僧侶ではなくなったにもかかわらず貧しい路上生活者らに住居などを提供しようとする(元)尼僧、自殺をしようとする人への電話相談のために(事実上)24時間電話を受け続ける僧侶など、いやあ、すごいなと思います。もちろんここに紹

    貧困と自殺に取り組む僧侶たち - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
  • 「祭・政・教」を巡る、島薗進/中田考の言語空間

    --- @vanaheimr ( ↓ 下記「応答」に「著者の意図がよく分からないといった類の感想にもしばしば出会いました」とあるが、参考例として、以下文中で中田先生も引き合いに出している大田俊寛@t_otaさんの感想を挙げておく。 ≫島薗進『国家神道と日人』について http://j.mp/gUpren ) 2011-01-06 20:04:56 島薗進 @Shimazono 7月刊行の『国家神道と日人』への疑問等へのとりあえずの応答をブログに掲載。http://shimazono.spinavi.net/。近代国家形成期に組み上がった枠組みはなかなか変わらない。だが、何が近代国家の基線かの認識は変わっている。「宗教」はその焦点の一つ。 2010-12-25 09:07:39

    「祭・政・教」を巡る、島薗進/中田考の言語空間
    lotus3000
    lotus3000 2013/05/09
    東アジアの宗教と国家の関係。どうしても連帯よりも縦のつながりが大きくなる。ここらへんがなぜ起こるのかが気になる。
  • 二拝二拍手一拝という作法 - 西野神社 社務日誌

    先日、京都市に在住のある方から、「H木K子さんが、女性は拍手の音を立てるべきではないなど誤った神社参拝方法をTVで喋り、その弊害が発生しているとの話を聞きました。ブログで一度取り上げてみられてはいかがでしょうか」とのメールを戴きました。 H木K子さんとは、TVや雑誌等で広範に活躍されている売れっ子の六占星術家(作家、タレント、実業家なども兼ねておられます)で、そのH木さんが以前から「男性は拍手しても構わないが、女性は神社では柏手を打ってはいけない」と言っているということは私も聞いて知っており、やはり気にはなっていました。幸い、当社ではまだそのような参拝者は見かけたことはないのですが、神社によっては、神職が二礼二拍手一礼の参拝方法を説明しても、「それは間違った作法です。H木先生は、神社では女性は拍手をしないのが正しい作法と仰っています」と神職にって掛る参拝者もいると聞いていたからです。 そ

    二拝二拍手一拝という作法 - 西野神社 社務日誌
  • 津田左右吉を攻撃した超国家主義的な聖徳太子礼讃者たち - 聖徳太子研究の最前線

    近代的な聖徳太子研究を推進した初期の立役者が、久米邦武と津田左右吉であることについては、おそらく異論はないでしょう。二人とも非難されて職を辞するに至っていますが、久米の辞職は「神道ハ祭天ノ古俗」論文事件によるものです。信頼できない資料を切り捨てた久米の『上宮太子実録』(1904年)は、太子は黒駒に乗って空を飛んだといった伝承を否定し、確実と思われた資料のみによって、太子を明治期日の手となるような、外交に巧みな政治家として位置づけようとするものでした。 その『上宮太子実録』の再刊を久米に依頼したのは、聖徳太子顕彰の運動をしていた上宮教会であり、書は『聖徳太子実録』という名で1919年に再刊されました。つまり、久米は文献批判に基づく聖徳太子研究のせいで迫害されたのではないのです。 一方、津田左右吉を激しく攻撃して告発し、著作の発禁にまで追い込んだ者たちの多くは、強烈な聖徳太子礼讃者でした

    津田左右吉を攻撃した超国家主義的な聖徳太子礼讃者たち - 聖徳太子研究の最前線
    lotus3000
    lotus3000 2012/11/25
    日本のモデルとしての聖徳太子。
  • 靖国を巡って――吉田望 - Living, Loving, Thinking, Again

    「A級戦犯合祀は自らやめるべきである(4月10日改)」 http://www.nozomu.net/journal/000150.php 浅田彰・田中康夫対談*1にて知る。吉田氏は『戦艦大和ノ最期』の著者・吉田満の子息。とにかく労作といえよう。 目次は、 1. 靖国神社の起源 2. 誰が靖国神社に祀られているのか? 3. A級戦犯認定への法プロセス 4. A級戦犯とは誰か? 5. なぜA級戦犯が合祀されることになったのか? 6. A級戦犯合祀をすすめた「靖国」イデオロギー 7. A級戦犯合祀がもたらした代償 8. さいごに 私の個人的体験 である。 これを読むと、何故1980年代以降、靖国な人たちが首相の参拝に拘り始めたのかがわかる。 それよりも、私にとって興味深かったのは、 もともとは天皇直属の部下を祀るものであったのが、戦後その範囲は、国民の期待にこたえて広がっていきます。合祀者の中に

    靖国を巡って――吉田望 - Living, Loving, Thinking, Again
    lotus3000
    lotus3000 2011/11/26
    ”国民の側の、国家に包摂されたいという願望、或いは死んだ身内を英霊にしたいという願望を無視することはできない。寧ろ、戦後、大日本帝国の崩壊=民主化を背景にして、英霊(合祀対象)の範囲は拡大”
  • 「怒りを忘れた国家神道論」―島薗進『国家神道と日本人』批判 - ちきゅう座

    <子安宣邦(こやすのぶくに):大阪大学名誉教授:日思想史> 1 村上重良の怒り 村上重良は『国家神道』(岩波新書、1970)を激しい怒りをもって書いた。その怒りとは、日台湾・朝鮮をも含んだ)国民の肉体とともに精神を支配し、抑圧した〈戦争する日国家〉の原理であり、装置であるものに対してである。彼は国家神道こそが、1945年に至るまで国民を支配し、抑圧した国家的原理であり、装置であるとみなした。戦争の終結から四半世紀を経過した1970年に村上は、国家神道の復活の動きに接し、怒りを新たにする形で『国家神道』を書いたのである。私もまた度重なる小泉元首相の確信犯的な靖国参拝に対する怒りを『国家と祭祀―国家神道の現在』(青土社、2004)として表明した。私は村上の国家神道概念をそのまま継承することはなくとも、彼の怒りは正しく継承した。 国家神道批判は日国民のこの怒りに基づくものである。怒り

  • サービス提供終了のお知らせ

    lotus3000
    lotus3000 2010/09/22
    象徴天皇制への指向は大正時代から始まっていたという指摘。
  • 民俗学と天皇制 - jun-jun1965の日記

    笙野頼子の『金毘羅』の文庫版解説を安藤礼二が書いていて、最近笙野を論じられるのは安藤しかいないと栗原さんも言っていたけれど、やっぱり懸念を感じるのは、笙野が神社や神道にのめりこんでいくと最後は「右翼」になるんではないかということである。 もちろん笙野は、そうじゃないと言うわけで、出雲の神々みたいなまつろわぬ神々をことあげしているのだと言っているわけだが、そんなことは梅原猛だってやっているわけで、何だか今の笙野は昔の川村二郎みたいな感じで(というか安藤が若い川村二郎みたいなんだが)、だいたい民俗学とか神道とか言っていると、いつの間にかそうなる。富岡多恵子だって藝術院会員になるわけだし、南方熊楠なんて昭和天皇にご進講して天皇が「紀の国の産みし南方熊楠を思ふ」なんて歌を詠んでしまうんだからねえ。 谷川健一だって歌会始召人になるわけで、あれは雁が生きてたら何と言ったかねえ。だいたい国家というのは純

    民俗学と天皇制 - jun-jun1965の日記
    lotus3000
    lotus3000 2010/09/15
    文学って根本的に貴族主義的なものがあるからね。いっそのこと天皇制をバチカン市国風にするしかないのかも。
  • 日本人は外国で「宗教:なし」と書く ― 民族と宗教が不可分な人たちが犯す間違い | 独り言v6

    昨日は「ネイション」の話をしたが、それに関連する話を一つ。これは又聞きだったかコピペだったか記憶にない。ある日人がある書類に「宗教:なし」と書いたところアナーキストと勘違いされて一時騒然となった、という話を聞いたことがある。欧米ではなにがしかの信仰を持っているのが当たり前であり、持たないのは異分子なのである。それでテロリストか何かとの疑いをもたれたらしい。 当時はまだ日にいたが、なるほど確かに自分でもそう書きそうになる、と思った。実態はどうだろうか。「なし」と書きたくなる日人の大半は、いかなる意味においてもアナーキストではない。ゆえになにがしかの宗教を書いてもいいのだろう。今L.starは英文として正しいかどうかはさておき”My religion is a hybrid of Shintoism and Buddhism.”と答えている。仏教と神道のあいのこ、である。あとはそれが典型

    lotus3000
    lotus3000 2010/02/13
    人力を超えた人格を持った存在を信じるといえばイエスだが、世界の外にたつ存在ならノーという私は、汎神論者なんだろう。
  • 好きな人だけどうぞ - 美徳の不幸 part 2

    自分の肉親(父や兄)が靖国神社に勝手に祀られていることが耐え難いという訴えは、残念ながら予想通り敗訴となった。殉職自衛官護国神社合祀訴訟から、こういう流れは変化しないんだよなあ。 僕は前々から言っているが、靖国が好きな人、あそこに自分の肉親が祀られていると思い、それを誇らしく思う人の「自由」は当然ながら認める。でも、みんながみんなそうじゃないって事くらいいい加減そろそろ認めても良いと思う。「好きな人だけどうぞ」という、普通の宗教法人に靖国は脱皮するべき。「民営化」されて、60年以上経っているんだから。そうしたら、こういう訴えに靖国も煩わされなくて済むのにね。 そして、靖国に祀られる人がほとんど増えず、参拝者もそれに従って減少していくというのが「美しい姿」だろう。建物を縮小とかは無理でも、数十年後、もしくは百年後くらいに靖国神社の職員は半減しているくらいが、日全体にとっては望ましいよね(要

    好きな人だけどうぞ - 美徳の不幸 part 2
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