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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (11)

  • ■ - jun-jun1965の日記

    いったいいつから、殺人犯が手記を刊行してはいけないということになったのだろう。では永山則夫は、佐川一政は、木嶋佳苗は、永田洋子は。いやほかにも手記はたくさんある。 つまり少年法によって、二人殺しながら死刑にならなかったのが許せんと言うなら、それは少年法の改正を訴えればいいだけのことで、少年Aがいくら懇願したって死刑にはしてくれないのである。 永山は印税を遺族に支払ったからいい、と言うなら、遺族に支払え、と言えばいい。木嶋はまだ判決は確定していないが、それが質的な問題かどうかは分からない。 永山が文藝家協会から入会を拒否されたことに抗議して退会した柄谷行人、中上健次、筒井康隆、井口時男のうち、三人はまだ生きているが、こういう人たちもネット上リンチの対象にしたらどうか。 見沢知廉なんか、右翼の抗争で一人殺して服役し、刑務所での処遇に不満を述べた著作を出して三島賞候補にまでなったのである。これ

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  • ■ - jun-jun1965の日記

    ソロモン・ヴォルコフの『ショスタコーヴィチの証言』というがある。中公文庫にかつて入っていて、私はこれで読んだがなかなか面白かった。 ところが、これが「偽書」だという。ヴォルコフがショスタコーヴィチに話を聞いて書いたというが、ヴォルコフは数回、短時間しかショスタコーヴィチに会っておらず、とてもこの分量は書けないというのだ。 さらに、ローレル・ファーイの研究によると、このの中には、ショスタコーヴィチが自分で書いた文章も混じっているという。で、信用ならないだというのだが、私はいつもここで引っかかる。ショスタコーヴィチが書いた文章が入っているなら、ヴォルコフが嘘をついた、ということは言えても、信用ならないということにはならないのではないか。 逆にいえば、まあ偉大な、ないしは舟橋聖一程度に名前の知れた人について、当人が死んだあとで誰かが何かを書いて、私だけが知っている、と言ったら、仮に未亡人が

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  • 『滝山コミューン』の衝撃 - jun-jun1965の日記

    原武史の『滝山コミューン』は、刊行当時評判がよく、講談社ノンフィクション賞も受賞し、原としては三つ目の賞になった。呉智英さんも褒めていた。ただ書評などを見ても、私には興味が湧かなかった。このたび古を購入して目を通し、やっぱり自分とは無縁だなと思いつつ、その「世界」のあまりの違いに愕然とした。 愕然としたのは、原が私と同い年で、その小学校時代のことを描いているのに、全然共感したり同時代性を感じたりすることがないからである。 「滝山コミューン」とは、原が住んでいた東久留米市の団地と、そこの第七小学校の呼び名で、政治の季節が終わった後も、なお日教組のような左翼組織に属するような教師たちの、学校運営と、それへの原の違和感が中心となっているが、妙に細かな事項も書いてあり、しかしそれもまた私の感じていたものとは違う。 原は東久留米を「郊外」と位置付けているが、私が卒業したのは越谷市立出羽小学校で、都

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    lotus3000 2011/07/19
  • 社会学者 - jun-jun1965の日記

    http://miura.k-server.org/newpage1119.htm 上野千鶴子や宮台真司を槍玉にあげて、社会学を撲滅せよと書いたら、小谷野敦氏からあんなのは社会学者じゃないのだとご批判を受けたけど、いや、この内田隆三をふくめ、ああいうのが社会学者なんだと思う。だいたい、東大や首都大の教授をやってる社会学者なら、そりゃ日の社会学を代表しているわけで、少なくとも世間ではああいうのが社会学だと思っているし、もちろん当人もそう思っているのであって、そうじゃない小谷野氏の意見はあくまで少数意見に過ぎない。そもそも、上野千鶴子は外部からわざわざ東大に呼ばれたわけでしょ? つまり、社会学者としてきわめてまともだと思われているから招聘されたんですよ。それとも東大の社会学科所属および出身の社会学者は全部ニセモノなのだろうか?? えーと事実誤認ですが、三浦先生は『父親であること』(?)を評し

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  • ■ - jun-jun1965の日記

    『中公新書の森』に、かつて榊敦子先生からの盗作疑惑を指摘された風丸良彦が出ていた。三冊あげているが、そのうち一冊は『電車の運転』。しかもこれを、風丸は、読んでいないという。読んでいないが、こういうを読むと深みにはまるから、などと書いている。 最後の一冊は廣野由美子『現代批評入門』。廣野さんは京大の教授で、たぶんまじめな人である。著書の数も適切で、私は好感を抱いている。しかるに風丸の文章がまたおかしい。 「このアンケートをもらった時、「こいつは間違いなくこのをあげるだろう」という編集部の意図が見えた。少々癪である。とても癪である。ううむ、よろしい。(以下略)」。独りよがりと自意識過剰の文章で、読者にはまったく意味が分からない。だいたい編集部がそんなことを考えていたのかどうか。もしたまたま、風丸が、中公の知り合いの編集者に対してこのを絶賛していて、その編集者から依頼されたとしても、そんな

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    lotus3000 2010/09/17
  • 民俗学と天皇制 - jun-jun1965の日記

    笙野頼子の『金毘羅』の文庫版解説を安藤礼二が書いていて、最近笙野を論じられるのは安藤しかいないと栗原さんも言っていたけれど、やっぱり懸念を感じるのは、笙野が神社や神道にのめりこんでいくと最後は「右翼」になるんではないかということである。 もちろん笙野は、そうじゃないと言うわけで、出雲の神々みたいなまつろわぬ神々をことあげしているのだと言っているわけだが、そんなことは梅原猛だってやっているわけで、何だか今の笙野は昔の川村二郎みたいな感じで(というか安藤が若い川村二郎みたいなんだが)、だいたい民俗学とか神道とか言っていると、いつの間にかそうなる。富岡多恵子だって藝術院会員になるわけだし、南方熊楠なんて昭和天皇にご進講して天皇が「紀の国の産みし南方熊楠を思ふ」なんて歌を詠んでしまうんだからねえ。 谷川健一だって歌会始召人になるわけで、あれは雁が生きてたら何と言ったかねえ。だいたい国家というのは純

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    lotus3000 2010/09/15
    文学って根本的に貴族主義的なものがあるからね。いっそのこと天皇制をバチカン市国風にするしかないのかも。
  • 文句は単著を書いてから - jun-jun1965の日記

    『ユリイカ』12月号は「母と娘の物語」。でも母娘関係がいかに恐ろしいか、最初に力説したのは岩月謙司なのだから、それは忘れちゃいけないよ。 なかに金田淳子の「その後の『ホームレス化する大学院生』」というのが載っていて、これがなかなかおもしろい。K田J子氏はすでに大学院生ですらなく、姉と母が共同ローンを組んだ分譲マンションに母とともに住んでいるという話。 もはや、日中で(いや世界中で)人文系の大学院は地獄と化しつつある。上野千鶴子ゼミなんて人文系みたいなものだ。その地獄を描いて、文章もなかなかよろしい。金田氏は小説を書くと存外おもしろいのではないかと思った。 もっとも、もうこの春頃から、『ユリイカ』の「今月の新刊」のところに『やおい総論(仮)』金田淳子」と毎月のように載っているのはどういうことであるか。これを出しさえすれば印税だって入るだろうに。予定された単著も出せないで、ビンボー話をするの

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    lotus3000 2010/09/12
  • 「能は死ぬほど退屈だ」 - jun-jun1965の日記

    (活字化のため削除) - http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100730-00000134-san-soci 杉秀太郎ってのはつくづく謎の人で、何ほどの業績があるのかよく分からないのに藝術院会員だし、このインタビューも、漱石と植物を誰もやってないってそれは塚谷裕一が怒るぞ。あと「筆で立つと決めて」ってあんたずっと大学と研究所の教授だったでしょうに。それを「筆で立つ」というのかいな。

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    lotus3000 2010/07/31
  • 陳腐な合唱 - jun-jun1965の日記

    ライターズ・ジム著となっているが、見崎鉄という人が書いた『謎解き「世界の中心で、愛をさけぶ」』を図書館で予約してようやく手に入れた。はじめのほうを読んで、そうだそうだと膝を打つ。 これがベストセラーになった当時、『いま、会いに行きます』などと併せて、なぜこういうものが売れるのか、というのでどこだったか新聞が話を聞きにきた。記者氏はいきなり、こういう陳腐なものが売れて、みんな驚いたわけですよね、と言うので、私は、みんなって誰ですか、と問うた。記者氏はびっくりして、いや、こんな、ありきたりな物語が…などと言う。もちろん、ベストセラーになったのだから、買って読んだ「みんな」ではないわけで、知識人がみんな、というような意味だろう。しかし私が「誰がびっくりしたんですか」といったことを繰り返すので、記者氏はとうとう「あの、お話を伺いに来たのですが・・・」などと言い出し、私はしょうがないと、説明を始めた

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    lotus3000
    lotus3000 2010/04/10
  • あまりにもかけ離れた世界 - jun-jun1965の日記

    (活字化のため削除)

    あまりにもかけ離れた世界 - jun-jun1965の日記
    lotus3000
    lotus3000 2010/02/05
    とても大切な指摘。しかしながら、一歩間違えると歴史修正主義になりかねないのがなんとも。歴史の過剰な物語化こそが左右の全体主義を動かしたものかもしれないので。
  • 小林よしのり氏に答える - jun-jun1965の日記

    長谷川三千子先生から、小冊子『野上耀三・野上三枝子生い立ちの記』をお送りいただいた。私はこれで、三枝子の父市河三喜の二人の男児がいずれも早世しているのを知った。次男・三愛は幼くして病で、長男・三栄は、1943年、海軍機関学校の英語教師として赴任してほどなく、神経症を患って帰宅し入院、服毒自殺してしまい、母つまり三喜の晴子はそれを悲しんで後追い自殺してしまう。このことは、英語学関係者の間では知られたことだろうし、野上弥生子日記にもあるらしいが、知らなかった。 『講座小泉八雲』には河島弘美の「市河三喜・晴子夫とハーン」という文章が載っていて、そこでは「長男三栄を失った痛手から立ち直れず、後を追うように逝去した」とあって、どちらも自殺であることが伏せられている。「追うように」ではなくて「追った」のである。 - 生きている人について書く時は当人に取材すべきだ、というのは正論なのだが、実はそうも

    小林よしのり氏に答える - jun-jun1965の日記
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