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ブックマーク / tokyo1923-2013.blogspot.com (2)

  • 9月、東京の路上で

    東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺から90年。記憶・追悼・未来のために~知らせ隊「相思華」プロジェクト。 具学永の墓を立てた宮澤菊次郎は、あんま師だった。 具学永(グ・ハギョン)は埼玉県寄居町に住んでいた、アメ売りの若者である。1923年9月6日深夜、隣村から押し寄せた自警団に殺害された。 私たち「知らせ隊」は、ブログに写真を掲載するために、地元の人々が建てたという彼の墓を訪れた。その際、墓の側面に「宮澤菊次郎 他有志之者」とあるのを見たが、この時点ではそれが誰なのかを知らなかった。立派な墓石を見て、私たちは、「地元の有力者なのだろうか」と首をかしげるしかなかった。 その後、ブログ中で何度も引用してきた山田昭次『関東大震災時の朝鮮人虐殺とその後』(創史社)に、それについて書いた部分を見つけた。読み落としていたのだ。 それによると、寄居署で具学永が虐殺された後、その遺体を引き取り、墓を建てたの

  • 【おん身らは誰を殺したと思ふ  文学者の見た朝鮮人虐殺/折口信夫】

    国びとの 心(うら)さぶる世に値(あ)ひしより、 顔よき子らも、 頼まずなりぬ 大正12年の地震の時、9月4日の夕方ここ(増上寺山門)を通つて、私は下谷・根津の方へむかつた。自警団と称する団体の人々が、刀を抜きそばめて私をとり囲んだ。その表情を忘れない。戦争の時にも思ひ出した。戦争の後にも思ひ出した。平らかな生を楽しむ国びとだと思つてゐたが、一旦(いったん)事があると、あんなにすさみ切つてしまふ。あの時代に値(あ)つて以来といふものは、此国(このくに)の、わが心ひく優れた顔の女子達を見ても、心をゆるして思ふやうな事が出来なくなつてしまつた。 (折口信夫による自歌自註。『日近代文学大系 46巻 折口信夫集』) 折口信夫(おりくちしのぶ)の晩年の言葉である。 折口信夫は1887年生まれ。国文学、民俗学、詩歌や小説と、幅広い領域で活動した人である。歌人としては「釈迢空(しゃくちょうくう)」と名

    lotus3000
    lotus3000 2015/03/05
    和歌では歌えぬものを語る折口の詩。”おそろしい呪文だ”
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