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ブックマーク / hokusyu.hatenablog.com (36)

  • 弾圧と大衆運動 - 過ぎ去ろうとしない過去

    5月28日、経済産業省の前で抗議行動を行っていた3名が、警察によって不当にも逮捕された。ある公官庁が関わる社会問題に対して市民が当該官庁の前で直接抗議を行うことは、憲法により保障された市民的権利の一部であるし、その際、抗議者が敷地の境界線を超えたかどうかという些細な事実は*1、市民の身体的自由を侵害するに足る正当な理由にはあたらないことは明白である。これは政治弾圧である。 したがって、このような極めて深刻な市民的権利の侵害に対して、救援会を中心に多くの人々が不当な逮捕を行った当局に対して抗議を行い、逮捕された3名の支援に尽力しているのは当然である。ところが、それにも関わらず、あろうことか弾圧の被害者である逮捕された3名に対してバッシングを行う市民も一定数いるのである。当局がやることなすことすべて正当化し、政治的な抵抗者を嘲笑する権力の犬と呼ぶしかない人々についてはもはや論ずることはない。問

    弾圧と大衆運動 - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 雇用の流動性をはかれという議論に欠けているもの - 過ぎ去ろうとしない過去

    「強い」正規社員の保護をゆるくして雇用の流動化をはかれという声がありますが、前提を忘れていると思います。 そもそも、なぜ日では正規社員の雇用が強く守られてきたかというと、それは貧弱な社会福祉制度とセットでありました。高度成長以来、欧州で行われてきた教育や医療を無償化するなどの社会政策のかわりに、「強い」正規社員の父親が「一家の大黒柱」として教育、医療、介護すべての福祉をカバーする「中流」の「家族」を保護することによって、その穴を埋めてきたのです。この点では終身雇用の年功序列というのはなかなか合理的な制度でした。なぜならば、身軽な若年層よりも、子どもの教育や両親の介護がある中高年層のほうがお金がかかるに決まっているので、より負担が大きい層により多くのお金がいきわたるという仕組みになっていたからです。 もちろん、このやり方は構造上すべての人々に恩恵を与えることはできません。さらに、特定の「家

    雇用の流動性をはかれという議論に欠けているもの - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 和奏はいかにして母の曲を完成しえたか、あるいは「主体」――アニメ「TARI TARI」における"過去の克服"について - 過ぎ去ろうとしない過去

    少し前に「けいおん!内面論争」というものがあった。契機になったのは「けいおん!」には内面がないのではないか、という主張があるブログにてなされたことである。「けいおん!」には「死にゆく私」や「成熟という困難」という、近代的な主体を形成するためには不可欠な要素がない。かのじょたちは死や不安に襲われることもなく、全員いっしょの大学に進学するので「日常の終わり」もない。それはある種の「ユートピア」にすぎず、そこに住む登場人物に内面を認めることはできない。 アニメ「TARI TARI」のヒロイン、和奏は、上の議論に従えば、まさに「死」というものに強く刻印づけられていたヒロインだったといえるだろう。彼女は、ある後悔を伴うかたちで母、まひるを亡くす。彼女にとって、母の記憶は重荷でしかなかった。であるがゆえに、和奏は母の幻影から逃げようと試みる。母を想起させうる音楽をやめ、遺品もなるべく遠ざけようとするの

    和奏はいかにして母の曲を完成しえたか、あるいは「主体」――アニメ「TARI TARI」における"過去の克服"について - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 「一般意志」とは何か - 過ぎ去ろうとしない過去

    紙屋研究所の紙屋氏が東浩紀の「一般意志2.0」をdisっているのだけれど、何か質を外している気がします。 ■架空インタビュー2.0 『一般意志2.0』ふたたび http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20120306/1331001376 特に違和感をもったのが、「差異の総和」について書いている部分。 ――「差異の和」のくだりですね。 そうです。岩波文庫の桑原・前川訳の方で紹介します。 これらの特殊意志から、相殺しあう過不足をのぞくと、相違の総和として、一般意志がのこることになる。(岩波版p.47) この最後の部分「相違の総和として、一般意志がのこることになる」は、フランス語の原文では「reste pour somme des différences la volonté générale.」となるので、東訳よりも桑原・前川訳の方がいいと思いますね。 こ

    「一般意志」とは何か - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 2004-10-29 - 過ぎ去ろうとしない過去

    ドイツは大戦の罪をすべてナチスに被せ、自分たちには罪が無いと思っている。」という言説は、特に日の保守派の口からよく唱えられることである。当にそうなのだろうか。現在のドイツにおける「過去の精算」の一つの例として、id:fenestraeさんが今年の8月1日のワルシャワ蜂起60周年記念での、シュレーダー首相の演説を引用して紹介している。以下孫引きだが、 「私たちは今日ポーランド抵抗軍の男女の犠牲的行為と誇りに深い敬意を表します。63日間もの間ワルシャワの男女の市民がドイツの占領に対し英雄的な必死の抵抗を示しました。彼らはポーランドの自由と尊厳のために戦ったのです。彼らの愛国心はポーランドという国の偉大な歴史の中の輝かしい例であり続けるでしょう。...ポーランドの誇りでありドイツの恥辱であるこの地において私たちは和解と平和を願います...私が生まれ変わった自由で民主的なドイツの首相としてこ

    2004-10-29 - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 弔いと生政治 - 過ぎ去ろうとしない過去

    関西で行われている反原発デモのひとつに、「葬送デモ」なるものがあるらしい。福島において被曝による被害が近い将来多発するであろうことを、「葬送」という形で可視化し、問題提起を行うというコンセプトのデモのようだ。 このデモについては、ネットを中心に賛否両論が巻き起こっている。批判の中心は、やはりそれが「不謹慎」であるということだ。福島に住んでいる人たちをあたかも棺桶にいれるかのようなデモは、当地の人々を傷つけるのではないか? このような批判に対して、主催の一人であるS氏が応答を行っている。 http://nonuke-savelife.tumblr.com/post/12855881354 この文章でS氏は、葬送デモが不謹慎である可能性、誰かを傷つける可能性があるかといえばあると認めている。しかし、だからといってこの表現はなされるべきではなかったということにはならない。わたしたちは放射能に対し

    弔いと生政治 - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 過ぎ去ろうとしない無償化除外問題――「月刊イオ9月号」に寄稿させていただきました - 過ぎ去ろうとしない過去

    2010年に始まった高校無償化政策は、中井拉致問題担当相(当時)によるやおらの難癖をきっかけに、朝鮮学校を除外するというとんでもない差別をともなってスタートしました。それに対して大きな無償化除外反対運動が行われたにもかかわらず、結局2010年度の高級部3年生は、無償化制度の恩恵を受けられないまま卒業するということになりました。 朝鮮学校に対する無償化除外は、最初こそ日の大手マスコミでも取り上げられ、議論をよびましたが、2010年4月に制度がスタートし、除外が既成事実化していくにつれて、日人社会においては関心が薄れていきました。そして3月11日の震災以降、朝鮮学校に対する無償化除外問題が、日のマスコミで報道されることは皆無といってよいでしょう。 無償化問題に限らず、沖縄の米軍基地問題など、いまだに解決がなされていない問題について提起しようとすると、今はそれどころではない復興だ原発だオー

    過ぎ去ろうとしない無償化除外問題――「月刊イオ9月号」に寄稿させていただきました - 過ぎ去ろうとしない過去
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    lotus3000 2011/08/20
  • ■ - 過ぎ去ろうとしない過去

    メモ 「新しい歴史運動」(メディアの用語を用いるなら)のなかには種々雑多な潮流が存在するとはいえ、「歴史工房」の「日常史派」はこのような我々のイメージとの修正と原則的には何の関係も無い。 … 彼らはむしろ国民史的な伝統に批判的であり、多くの点で左派的なのである。 … にもかかわらず、彼らもまたしばしばアイデンティティを得る目的のために歴史をやっている。きみらの足元を掘りたまえ(何のためにだろうか?――自分自身の根っこを発見するために)。 … ここでは、この形態のミクロな歴史学がたいてい支払わなければならないひとつの代価だけを指摘しておこう。すなわち、さまざまな連関の認識の放棄、言い換えれば「大きな問い」、たとえば国家形成と階級形成、宗教と教会、産業化と資主義、国民と革命、ナチズムの根的な原因と結果、国際的な比較におけるドイツの特殊性、といった、「大きな問い」の黙殺である。 このような問

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    lotus3000 2011/08/12
  • 初音ミク時代の芸術作品 - 過ぎ去ろうとしない過去

    人間が器械装置によって代理されることで、人間の自己疎外は、きわめて生産的に利用されることになった ヴァルター・ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」 初音ミクについて考えてみるとき、やはりそれは複製技術の進歩がもたらした表現形式であることを考慮せざるをえない。技術自体が問題になっているのでは無い。新しく画期的な技術は、毎日世界中で誕生しているのである。重要なのは、まさにその技術がどのような表現を可能にしたかなのである。複製技術による表現形式は当然初音ミクが最初ではない。たとえば舞台に対して映画は複製技術の産物である。舞台俳優と彼の人格が切り離せないのに対して、映画俳優は彼の人格から追放される。舞台俳優が役の中に没入できるのに対して、映画俳優は大衆の前に晒されざるを得ない。つまり映画俳優は――これを、(大衆音楽における意味での)ヴォーカリストや声優に置き換えても構わないが――器械装置の前で演技

    初音ミク時代の芸術作品 - 過ぎ去ろうとしない過去
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    lotus3000 2011/06/30
  • 過ぎ去ろうとしない過去-阿片窟で初音ミクを愛でる阿片中毒者たち

    なんとなくアップしてみた。 http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20071025の続きです。 大分日がたってしまって、もう初音ミク論も下火っぽいのですが、前の日記にいろいろとコメントなどを頂きましたので、答えなければいけないと思いました。なんかセンテンスごとにコメントがついてるのですけども、一応アレは元ネタに準拠して(?)、全体でひとまとまりなので、細切れに聞かれても答えるのが難しかったりするのですが、うーむ。 まあ、そもそもなぜアレを書かなければいけなかったか、という理由を説明すると、つまり、初音ミクに対して、「機械のヴォーカルなんてどう考えても人間に対する最大の疎外だろ」という、発せられて当然の問いが、あまりにも無視されすぎている、というのがあったからです。まあ恐らく、「時代の最先端をリードする我々オタク様に投げかけるには、あまりにも古すぎる問いだ」という理由に

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    lotus3000 2011/06/30
  • <剥き出しの生>と非常事態 - 過ぎ去ろうとしない過去

    3月11日の夜、菅直人首相は大震災の発生後、初めての首相会見を開いた。わたしはそれをテレビで見ていたのだが、強烈な違和感をもったことを覚えている。会見の内容自体は、震災直後に首相が発するコメントとしては無難なものだったと思う。問題は、その呼びかけ対象である。かれは、終始「国民」ということばを使っていた。「住民」でも「市民」でも、いろいろ選びようがあったはずなのに、である。少なくとも、東北地方に一人の外国人もいないなんてことはありえない。ぼくはそのうち外国人へのフォローがあるのだろうと見ていたのだが、結局最後までかれは、「国民」に呼びかけるのみで、それ以外のことばは一度も用いられなかった。 菅首相のコメントに呼応するかのように、次の日からあらゆるマスメディアでは「国民」あるいは「日」の文字がおどった。東北地方で起きた大震災および津波の被害は、何の留保もなく「(日)国民の危機」と同一視され

    <剥き出しの生>と非常事態 - 過ぎ去ろうとしない過去
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    lotus3000 2011/06/28
  • 6.11新宿中央公園を中心とする経緯の確認 - 過ぎ去ろうとしない過去

    なぜ針谷氏が登壇すべきでなかったのかについては会のブログ内において何度も詳しく明快に書いてあるので、ここで繰り返し書くことはしません。わかるまで熟読してください。 ただし、問題意識を共有するしない以前に、経緯の認識が「なんでそうなるの!?」というものばかりで、非生産的な議論を生んでいる原因の一端はそこにあると思うので、関係者のひとりとして経緯にたいする見解をちゃんと書いておきます。 経緯に対する典型的なまちがいは、次のブログにあらわれています。 ■ヘイトスピーチに反対する会の行動を支持しません http://d.hatena.ne.jp/fut573/20110619/1308487730 まず、常野さんの発言もぼくの発言も、会としての声明ではなく、6/9の時点の個人的な声明です。これに問題があると感じたならば、常野あるいは北守を批判すればいい話であって、会とこれらの発言を直接結びつけるの

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  • 「国家社会主義」はなぜ支持されたのか - 過ぎ去ろうとしない過去

    ■ナチスの「25カ条綱領」は日人必読では http://mojix.org/2010/10/11/national-socialist-program ■右翼(国家主義)と左翼(社会主義)は反対概念ではなく、独立概念である http://mojix.org/2010/10/14/left-and-right まああらゆるレベルで間違っていると言えてしまうのですが、キリが無いので少しだけ。 ■誰がナチスを支持したのか? ワイマール共和国において、ナチスは政権を取るまで一度も過半数の議席を獲得したことが無い、というのはよく知られているとおりです。1933年の選挙でナチスは288議席を獲得しましたが、それでも全体の4割程度を獲得したにすぎませんでした。退潮傾向にあったとはいえ社会民主党は120議席と3ケタを維持し、共産党も前回から票を減らしたとはいえ81議席を獲得しました。また、カトリック政党

    「国家社会主義」はなぜ支持されたのか - 過ぎ去ろうとしない過去
    lotus3000
    lotus3000 2010/10/14
    ソシアリズムとコーポラティズム。北守さんの面目躍如です。ナチス左派の運命とかももう少ししられても良い。
  • 敵対関係について - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://d.hatena.ne.jp/oredoco/20080512/1210591521 敵というのは、利害関係が一致しないもの同士のことをさすと仮定しよう。厳密に言葉の定義をしたほうが良いのだが省略する。で、貧乏人の敵は貧乏人、貧乏人の敵は金持ち、金持ちの敵は貧乏人、金持ちの敵は金持ちと4種類できるが、どれも真理であって間違いがない むしろ言葉の定義をするべきです。というのは、まさにこれはカール・シュミットが『政治的なものの概念』で述べた「(自由主義は)精神と経済とのジレンマにおいて、敵を、取引の面からは競争相手に、精神の面からは論争相手に、解消しようとする」事例に他ならないからです。ダンコーガイが小市民の敵は小市民であるというとき、それは資主義的な社会関係の中でお互いが「足を引っ張り合う」ことを指して言っているのであり、資主義弱者であるウィンプから資主義強者であるマッチ

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  • リフレ派とナショナリズム - 過ぎ去ろうとしない過去

    ■「人災」事件追記 http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay__100821.html この記事に限らず、 http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20100816/p1 のコメント欄でしたぼくの「ナショナリズム」発言が問題になっているようなので、とりあえず自己フォローをしておきます。 まずぼくは、リフレ論がその内的論理の結果ナショナリズムに結びつくという議論をしているわけではありません。ナショナリズムは、その議論の内的論理だけでなく外形や議論のされ方によっても喚起されます。リフレ論に関して言えば、よく知りませんがマクロ経済っていうのの重要な指標のひとつにGDPってのがあって、それは普通国家単位で算出されるんですよね?さらに、日で行われてるリフレ(金融)政策論の中心は円という日国の通貨をどうするかという話であって、だから日銀どうする問題とかが

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  • 「野蛮」に対する敵対 - 過ぎ去ろうとしない過去

    冷静に「合法的に」論理的に事を進めようとする「文明国」日と、感情的で「不法で」非論理的な「野蛮な」敵対者という構図が大好きな人がいます。 たとえば竹島教科書記載問題をみてください。彼らの韓国の抗議者にたいする視線は、まさに「文明国の」植民地主義者が「野蛮な」現地人を見る視線です。つまり、上から目線の侮蔑です。あるいは捕鯨問題でもいいでしょう。感情的な反捕鯨国とデータに基づいている論理的な日という図式でこの対立を見ようとする人はエントリのブクマなどを見ればそこかしこにいますね。あるいは死刑問題です。死刑存置のほうがどちらかといえば「野蛮」とみなされるようなこの事例でさえ、彼らはキリスト教という宗教的理由で廃止した「狂信」国と「無宗教の」合理的精神に満ち溢れた日という対立に転化させてしまうのです。当は自身の溜飲を下げたいがためだけだとしてもです。 このような二分法は今にはじまったことで

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    lotus3000 2010/08/19
  • 「つくる会」歴史教科書 都中高一貫校で採択 - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040827-00000002-san-soci 最近使ってないのでこのカテゴリーにしてみた。 うーむ。とりあえず、歴研でも貼っとくか。 http://wwwsoc.nii.ac.jp/rekiken/archives/kyokasho1.html http://wwwsoc.nii.ac.jp/rekiken/archives/kyokasho2.html http://wwwsoc.nii.ac.jp/rekiken/archives/kyokasho3.html 3年前くらいに、授業の課題で「つくる会」教科書と他社の教科書を比較していた友人に、最近の歴史教科書を見せてもらったことがある。一社どこだったか忘れたが、各章のアオリが必ず「立ち上がる民衆」的なフォーマットで書かれているのがあって、さすがに笑った記憶がある

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    lotus3000 2010/08/14
  • 「聖なる」街と「引き裂かれた」街 - 過ぎ去ろうとしない過去

    オタク」は加藤智大を切断処理なんてしてないと思うよ。 http://d.hatena.ne.jp/inumash/20080613/p1 『普通のオタクは良識のある市民であって通り魔などしない』というのが「単なる事実」であると言い切ってしまえるところに問題があると思います。「普通の」オタクがいるということは、「普通じゃない」オタクがいるということです。でも、加藤容疑者のそれまでの書き込みなどを読む限り、よくあるオタクの書き込みであって「普通じゃない」点は特に感じませんでした。境遇にしてもたとえば学歴あって期間工というのは、いまどき珍しくないわけです。ではどこで「普通」と「普通じゃない」点が分かれるかというと、それはやったかやってないかでしか区別できません。でも、やったかどうかに「普通」と「普通じゃない」の分水嶺を置いておいて、やったのは彼が「普通じゃなかった」からだと言うなら、それはトー

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    lotus3000 2010/07/23
  • 分裂した「われわれ」の戦争責任、あるいは天皇制廃止論- 過ぎ去ろうとしない過去

    3週間ほど前、ネトウヨの気が限りなく強いと個人的には思っている、ミスター・イースト元門下生としておなじみの某F氏とチャットで一晩話したのだが、彼は自分はネトウヨだと思っていないという。なぜかと問うと、「自分は日を憎んでいる」という。「アイヌを虐殺した*1日が憎い。(北海道出身である自分は)そう(日を憎めと)教育された」と。ぼくも北海道出身ではあるのだが、もちろんそんな教育は受けていないし、そんな教育をする教師など聞いたことがない。まあともあれ、彼の言っていることが事実であるとして、「アイヌを虐殺した日を憎む」ことを、すんなりと受け入れることができる彼の心性がぼくは不思議でならなかったのだった。 つまり、ぼくも恐らく彼も「血統的には」3代続いた日人の家系であるし、いやそれ以前にわれわれが今この時点で「日国民」であるのだから、いやおうなしに(それはパスポートを見るだけでわかる)「日

    分裂した「われわれ」の戦争責任、あるいは天皇制廃止論- 過ぎ去ろうとしない過去
  • 過ぎ去ろうとしない過去 - 「歴史家論争」について

    ずいぶん昔に長文を書いたのだが、アップするのを忘れていた。 「歴史家論争」は、ドイツ人の「国民の物語」を巡る問題と直結している。その発端は、1986年にフランクフルトで行われる予定になっていたエルンスト・ノルテの公演内容の講演と、同年に発表されたアンドレアス・ヒルグルーバーの著書『ふたつの没落』に対する、ユルゲン・ハーバーマスの批判であった。 ノルテは、ユダヤ人の大量虐殺という「過去」は、ドイツ人にとって永遠に消えないスティグマとして刻印付けられており、そのことが過去の歴史に対する冷静な検証をかえって行うことを妨げていると述べる。ドイツ人が、「最終的解決」の問題にあまりにも注意を向け続けているあまり、ナチ時代に行われた他の諸問題、あるいは現代なお行われている他の虐殺の問題が、なおざりにされている、と。 このような動きに対して、ハーバーマスは「国民意識の再生」に対するドイツ国民のコンセンサス

    過ぎ去ろうとしない過去 - 「歴史家論争」について