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ブックマーク / yuhka-uno-no-nikki.hatenadiary.jp (27)

  • 愛と平和の街―失われた20年世代の私― - yuhka-unoの日記

    相手のための気遣いと、自分が嫌われないための気遣い - yuhka-unoの日記 私にとっての始まりは、このエントリだった。このエントリは、関西で放送されている情報番組「ちちんぷいぷい」の中の、若手アナウンサーが京都の老舗で修行するコーナーを見て、私が仕事や親について思ったことを書いた内容になっている。 このエントリに、J-POP音楽家のmaicouさんが言及して下さったことがきっかけで、私はmaicouさんと話をし始めた。たぶん、それまでお互いに存在を意識してはいたが、今まで話したことがない、という関係だったと思う。 最初はほんの数回だけのやり取りをするつもりだったのが、話がどんどん広がり、最終的には、約半年間に渡る中身の濃いやり取りになった。その過程で、お互い成長し、色々なことに気付き、解放されていった。そしてなんと、maicouさんは、一連のやり取りの内容を反映させた「愛と平和の街」

    愛と平和の街―失われた20年世代の私― - yuhka-unoの日記
  • 若い女にいちいち「おじさんは恋愛対象になりますか?」とか聞いてんじゃねーよ - yuhka-unoの日記

    35歳を超えても、モテる男の3つの共通点 女性が最も重視するのは「清潔感」 | 35歳からの頑張らないアンチエイジング - 東洋経済オンライン 興味深い調査を紹介しましょう。「おじさんは恋愛対象になりますか?」というアンケート調査(養命酒製造(株)、2009年実施)があります。対象は、20代30代の独身OLです。結果は、何と72%が「人によってはなる」と回答しています。しかも、その「おじさん」というのが44歳から62歳というから何とも希望が持てる話ではないでしょうか。 しかし、このアンケートでは、もうひとつ見逃せない結果が出ています。それは「おじさんは好きですか?」という“そもそも論”の質問です。結果は「好き」と答えた人は18%、「嫌い」が15%。そして「どちらでもない」が大半の68%を占めました。 若い女に「おじさんは恋愛対象になりますか?」とアンケートを取ることはよくある話だけど、若い

    若い女にいちいち「おじさんは恋愛対象になりますか?」とか聞いてんじゃねーよ - yuhka-unoの日記
  • アスペだけど、「差別語っていくらでも作れるんだよ」と言う人に反論してみた - yuhka-unoの日記

    『アスペだけど、差別語について考えてみた』の続き。 差別について思い付いた事など… - 駄文な駄文 - もしくはBlogのように見えるモノ - まぁASD48は冗談だけど、それがどうかしたの?そういう問題じゃないんだよ。 例えば、「野比のび太」という名前の人がいたとする。周りの人が、彼のことを「ノビー」と呼ぶようになった。これが普通に親しみを込めたニックネームとしての呼び方なら、彼も悪くは思わないだろう。ところが、そのうち嘲笑混じりに「ノビー(笑)」と呼ぶ人が出てきて、その人数は増えていった。彼が「そういう呼び方はやめろ!」と言っても、「なんで?ただの愛称じゃん。悪く思うほうがおかしいよ」と言って、聞き入れてくれない。これは、いじめの手法として実際によくあることだ。 一度そういう体験をしてしまったら、「野比のび太」くんは「ノビー」と呼ばれることに嫌悪感を感じてしまうようになり、その呼ばれ方

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  • アスリートに対してブラック企業経営者になる私たち - yuhka-unoの日記

    安藤選手は、25歳になる大人の女性だ。 とすれば、誰と交際しようが、どんなカタチでいつ出産しようが人の自由であるはずだ。 なのに、その妊娠について、あれこれ言いたがる人が多いのは、結局のところ、これまで、長い間、われわれが女子選手に、「娘」としての役割を担わせてきたことの反作用なのだ。 「浅田選手」、「安藤選手」ではなく「真央」「美姫」という見出しの付け方は、記事を書く人々が、彼女たちを「娘」ないしは「身内の子供」として扱っていることを意味している。 姫は城を出て母になる:日経ビジネスオンライン アスリートが「身内の子供」扱いされていることについては、私もその通りだと思う。この表現に近いこととして、私は以前から、アスリートは「学生」みたいな扱いだと思っていた。そもそも、日におけるスポーツの認識自体が、学校の体育や部活の延長みたいなものになっているということもあって。だから、「学生」なの

    アスリートに対してブラック企業経営者になる私たち - yuhka-unoの日記
    lotus3000
    lotus3000 2013/07/21
    考えてみれば二次元とは比べ物にならないくらいの妄想をアスリートに押し付けているのかもしれない。
  • 「オヤジ層」の無自覚な女性差別を、黒人差別に置き換えてみる - yuhka-unoの日記

    前回記事、『「若者には金が無い」ということが、世間一般的には決して「常識」ではないという現実』に、以下のようなトラックバックを頂いた。 「女性の社会進出」という名の不幸? - いい国作ろう!「怒りのぶろぐ」別館 まぁ見事に、前回記事で私が批判した「勘違いオヤジ層」そのまんまで、ここまで来ると自爆芸としか思えなかった。しかし、せっかく良いサンプルを提供して頂いたので、この機会にご紹介させて頂くとともに、「勘違いオヤジ層」の思考回路のどこが問題なのかを述べさせて頂こうと思う。 専業主婦が奴隷とか、意味が判らない。会社で経理をやったり営業をしたりコードを書いたりするよりも、料理したり裁縫したり育児をしたり親兄弟の面倒をみたりする方が得意な人たちがいても当然だし、そういう自分の得意分野をやってくれればそれでいいんじゃないかと思うけど。好きな人、やりたい人が、やっているならそれで別にいいと思う。 前

    「オヤジ層」の無自覚な女性差別を、黒人差別に置き換えてみる - yuhka-unoの日記
  • Mother―生身のジョン・レノン― - yuhka-unoの日記

    John Lennon - Mother この曲を知った当時、世間ではMetisの「母賛歌」が「泣ける歌」として話題になっていた。Metisとこの曲が好きな人には申し訳ないが、私にとってあの歌は、個人的事情により受け付けられない。あの歌そのものもそうだが、それ以上に、あの曲の取り上げられ方が受け付けられなかった。 親に感謝するということが、空気のように当たり前のことであり、無条件で素晴らしいことであり、誰もが共感できて当然のものだと信じる人たちによる、無意識の抑圧。それは、私が母から受けた抑圧と同質のものだった。 テレビで、親感謝ソングや、親孝行する場面(大抵は母親だ)が流れると、私の母が思い浮かべるのは、自分の母親に対する感謝の気持ちではなく、自分に感謝する子供の姿だった。母は、「親に感謝するべき」という道徳を持ち出して、私に甘えていた。 そんな時に、「桑田佳祐の音楽寅さん」というテレビ

    Mother―生身のジョン・レノン― - yuhka-unoの日記
    lotus3000
    lotus3000 2012/11/14
    家族と表現の両義性について。
  • 「救世主」になりたい人は、「迷える子羊」を求めてさ迷う - yuhka-unoの日記

    時々、複雑な家庭環境に育ってしまったせいで、親に対する葛藤を抱えている者に対して、「親を憎んで生きるより、感謝して生きたほうが、楽になれるし、生きやすくなるよ」などと言ってくる人がいる。しかし、このような人は、自分のことを「人間的にできた、良い人」「優しくて親切で慈悲深い人」と思いたいがために、そう言ってくるだけということが多い。 自分のことを「人間的にできた、良い人」だと思っていたい人は、親に対する葛藤を抱えている者に対して、直接的間接的に「あなたが親のことを許して感謝できないのは、まだあなたが人間的に未熟だからなのよ」と言うことによって、「私ってなんて、人間的にできた、良い人なんでしょう!」と、ナルシスティックな願望を満たそうとする。そのような人は、自分が普段からしているという感謝でさえ、「与えられた環境に感謝できる私は、なんて人間的にできた、良い人なんでしょう!」という質のものに過ぎ

    「救世主」になりたい人は、「迷える子羊」を求めてさ迷う - yuhka-unoの日記
    lotus3000
    lotus3000 2012/11/14
    メサイア・コンプレックスと共依存について。これは俺も持っているからなあ。
  • 「若者は、物が溢れた豊かな時代に生まれて、苦労も不満もなく育ってきた世代」というイメージ - yuhka-unoの日記

    デジタルネイティブじゃない1989年生まれのわたしの話 1979年生まれのデジタル原人の話も聞いていっておくれよ | LUNATIC PROPHET 89年生まれの人と、79年生まれの人の、インターネットとの関わりについて書かれた記事。この二つの記事が書かれた当時は、自分の世代とインターネットとの関わりについて話す人が沢山出てきて、なかなか面白かった。 それらの話を読んでいて思ったことは、若者は年長者世代から「デジタルネイティブ世代」と言われているけど、実際はそうでもないということだった。上の89年生まれの人は、親御さんのPCをバレないようにこっそり使っていたそうだけど、私の親なんて、全くネットにコミットしない人だったので、私がインターネットに触れたのは、学業を終えて自分で稼ぐようになってからだった。だから、けっこうネットにコミットするのは遅かったのだ。 ネット普及初期の頃にネットにコミッ

    「若者は、物が溢れた豊かな時代に生まれて、苦労も不満もなく育ってきた世代」というイメージ - yuhka-unoの日記
    lotus3000
    lotus3000 2012/10/13
    現代の貧困と過去の貧困との違いが面白い。つまりものを作り出す力がなくなっているという貧困が現代の貧困なのか。
  • 学校という殺人隠蔽組織と、カルト集団との共通点 - yuhka-unoの日記

    【学校が人を怪物にさせる】大津いじめ自殺事件についての内藤朝雄さんのコメント - Togetter いじめ自殺を隠蔽しようとする学校組織や教育委員会は、外部から見ると、ものすごく非常識で、なぜわざわざ不名誉なことを重ねるんだと思うわけだが、腐敗した組織というのは、外部からの視線より内輪からの視線のほうが恐怖になっている。隠蔽が行われる組織は、日の中に、小さな独裁国家があるようなものだ。外部から何を言われようが、その国の国民として生き残っていくためには、内輪の不利益になるようなことはせず、その国の国民らしく振舞わなければならない。その集団に逆らって、自らの良心に基づいた行動を取るということは、集団からの私刑や、外部への亡命を覚悟でしなければならないことになる。内部の人間は、そもそも自分たちがおかしいのだという自覚が無いし、もし自覚があって良心を痛めている人がいたとしても、簡単に言える状況で

    学校という殺人隠蔽組織と、カルト集団との共通点 - yuhka-unoの日記
  • 成長してはいけないパフォーマー、AKB48 - yuhka-unoの日記

    なんかAKBのメンバーに元彼がいたことが発覚して「左遷」されたらしい。とりあえず、この件に対する私の認識は、この程度である。特にそれ以上知ろうという気にはならない。 AKBは「成長過程を見せていくパフォーマー」ということらしい。しかし、実際は「成長してはいけないパフォーマー」だよな、ということを、前々から思っていた。恋愛禁止なども含めて。 「成長過程を見せていくパフォーマー」の「成長」というのは、奴隷としての成長であって、人間としての成長じゃない気がする。奴隷拳闘士としての成長過程を見せていくパフォーマーだ。 「恋愛禁止」というのは、当は恋愛だけではなくて、もっと色々なものを禁止しているような気がする。具体的に言うと、自分の意思を表明することとか、人間として成長することとかだ。いや、彼女たち自身は自分の意思を持ってると思う。ただ、それを表明するなという抑圧が「恋愛禁止」に集約されているの

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  • 失敗を恐れ過ぎる人は、失敗したこと自体を「なかったこと」にする - yuhka-unoの日記

    何か言ったりやったりすると突っ込まれ、失敗が許されない家庭で育ってしまうと、失敗したらもう自分は相手に失望されたものと思い込むようになる。より深刻な場合は、自分が失敗したこと自体を「なかったこと」にしてしまおうとするようになる。そのために、取り繕ったり場当たり的な言い訳をしたり、事前にどうとでもとれる曖昧なことを言っておいて、後から「そういう意味で言ったんじゃない」と、失敗を回避できるようにしておく癖がついてしまったりする。 人にその自覚がある場合はまだマシだが、失敗自体を「黒歴史」として、記憶を捏造してしまったりする人の場合は、自覚がない。こうなると、結果的に嘘をついたり相手のせいにすることになる。だから、不誠実で無責任な人になってしまう。 失敗が許される家庭に育つと、自分が失敗したことを認められる。だから、挽回したり謝ったりできるようになる。失敗した時の「気持ち」を受け止めてもらって

    失敗を恐れ過ぎる人は、失敗したこと自体を「なかったこと」にする - yuhka-unoの日記
  • 他者を使った自己肯定―子供に自分と同じ人生を歩ませたい親― - yuhka-unoの日記

    自分は実際のところ、不幸で不意な人生を歩んでしまっている。しかし、今更自分は不意な人生を歩んでしまったとは認めたくない。認めるのはあまりにも酷だ。自分の人生は幸せだったのだと思いたい。 このような親の中には、子供に自分と同じような人生を歩ませようとする親がいる。子供に自分と同じ人生を歩んで欲しい、そしてそれを子供自身が幸せだと思って欲しいという願望を持っている。そういう子供を見て、自分の人生は間違っていない、自分の人生は幸せだと確認したいのだ。 これは、子供を使った自己肯定だ。このような子供は、子供自身のためではなく親のための人生を歩まされる。その一生をかけて、親に対して「ほら、あなたと同じ人生を歩んでいる私は、こんなに幸せなんですから、あなたの人生も間違っていないし、幸せなんですよ」と言い続けるために存在させられる。 このような親は、子供が自分とは違う方法で、子供自身の人生を歩んでい

    他者を使った自己肯定―子供に自分と同じ人生を歩ませたい親― - yuhka-unoの日記
  • ひきこもりの品格―精神的扶養家族からの脱却― - yuhka-unoの日記

    前回記事『無意識に理想が高い人』を書いたところ、予想外にブクマが付いてしまった。良い機会なので、以前から思っていたことを書こうと思う。 母に誘導され洗脳されて行った進路先で学んだことは、今となってはほとんど覚えていない。「今となっては」どころか、一年も経たないうちに忘れていたと思う。 その理由はよくわかっている。当時は洗脳されていたので、「自分で選んだ道なんだ。自分がやりたいからやっているんだ」と、自分自身に思い込ませている状態だったが、当は、最初から全くやりたくなかったし興味もなかったし向いてもいなかったからだ。 母はその進路を、「学費があまり掛からず、そこそこ安定している」という理由で選んでいたのであって、肝心の「私に向いているかどうか」を考慮に入れていなかった。いや、母の意識上では、娘はこの進路に向いていると思っていたのだが、それはただの後付けで、娘を自分にとって都合の良いように解

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  • 無意識に理想が高い人 - yuhka-unoの日記

    死にたくなるぐらいなら何々しろと言う人々へ。 上の増田のエントリとそのブコメを読んで、色々思ったこと。 私は、病や精神破綻を起こしやすい人は、無意識に理想が高い傾向があると思う。もう少し正確に書くと、人の認識している「普通レベル」が、実は一般的にはかなり高レベルで、その高レベルなことをしなければならないと思い込んでいるということだ。 だから、我侭というわけではなく、むしろその逆で、人は頑張りすぎるほど頑張っているのだが、人の認識では、自分は「普通レベル」に達することのできないダメ人間なんだと思い込んでいる。(ただし、その高い「普通レベル」を他人に押し付けると、他人をスポイルすることになり、我侭になってしまうが。) 私の場合は、気遣いと生真面目さについて、無意識に理想が高かった。『他人に対して気を遣って丁寧に接する母と、それができない私の話』で書いたように、家の外の人に対して気を遣い

    無意識に理想が高い人 - yuhka-unoの日記
  • ひきこもりとインターネット - yuhka-unoの日記

    『「普通」の親が子供を追い詰める』で書いたように、母に誘導されて全く向いていない進路を選んでしまい、その進路を辞めた後も、母の洗脳が解けず、無意識に母がNOと言わない範囲内でしか職を選んでいなかった私は、徐々に精神的に追い詰められ、自分でもわからないままに壊れてしまい、全く働けない状態になってしまった。 自分がなぜこうなってしまったのかもわからず、理解者もなく、死にたい思いの中で過ごしていた私にとって、インターネットと絵を描く趣味は、とても重要なものだった。一人でできる気晴らしがあったからこそ、発狂することもなく、自殺もせずに済んだのだろう。 自分がひきこもりになってしまった原因を知りたかった私は、心理系のサイトを巡っていた。ある日、アダルトチルドレンについて書いたサイトに行き当たり、自分の原因を一気に理解した。家庭環境が原因である以上、この家庭内にいたのでは、いつまで経っても私は良くなら

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  • いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる - yuhka-unoの日記

    格差と若者の非活動性について (内田樹の研究室) Q1.現在、世界では、経済格差(世代間格差ではなく、金持ちとそうではない人との格差)や社会への不満に対して、多くの若者たちが声を上げ、デモを起こし、自分たちの意見を社会に訴えようと行動しています。翻って日ではここ数十年、目に見える形での若者の社会的行動はほとんど見られません。これだけ若者たちにしわ寄せが行く社会になっているのに、そして政策的にも若年層に不利な方向で進んでいるのに、若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのでしょうか? それは特に不満を感じていないからなのか、それともそうした行動に対して冷めているのか。あるいは社会的に連帯するという行為ができないのか。ネットにはけ口が向かっているだけなのか。内田さんはどのようにお考えでしょうか? なぜ若者が何も言わないのか? 答えは単純。「言っても無駄だと思っているから」。

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    lotus3000
    lotus3000 2011/10/23
  • 感情を自覚しない感情表現について - yuhka-unoの日記

    感情表現について (内田樹の研究室) http://blog.tatsuru.com/2011/08/10_0940.php だから、他人の内面をダイレクトに操作しようと願う人間−つまり、「政治的な人間」−は、演技的な怒りや演技的な悲しみや演劇的な苦悩に熟達するようになる。 政治家が「過剰に感情的になっている」ように見えるのは、当たり前なのである。 橋下大阪府知事や石原都知事は怒りを剥き出しにすることでメディアの注目を集め続けているが、これは計算ずくのパフォーマンスだろうと思う。 (中略) 二昔前ではまず見ることのなかった、「いい年をした大人が怒声をあげる、泣く、ふて腐れる」という様子を私たちはもう見慣れてきている。 これはたぶん「無理に我慢しないで、感情は爆発させた方がいい」というフェミニストたちがうるさく説いた「専門的」勧告の一つの成果でもあるのだろう。 これはかなり誤解を招く表現なの

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    lotus3000 2011/09/04
  • 自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。 - yuhka-unoの日記

    『相手のための気遣いと、自分が嫌われないための気遣い』に、予想外にブックマークが沢山ついた。で、 id:ekirei-9 理屈はわかるけど具体例がほしい という意見を頂いたし、ちょうど書きそびれたなと思っていたこともあったので、続きを書こうと思う。 母は、家に人が来るとなると、家の中を完璧に片付けていた。私の担任になった先生は、大抵誰でも「yuhka-unoさんの家は綺麗だね」と言ったものだし、その中の一人は、「yuhka-unoさんの家は、生活感がない感じやね」と言った。 学校の先生が来る時に家の中を綺麗にするのは当然として、母は消防署の人が火災報知器の点検に来る時や、電気屋の人が家電を修理しに来る時でさえそうだった。 母が留守で、私が火災報知器の点検に立ち会うことがあった日、私は布団を押入れに仕舞わず、畳んで部屋の角に置いておいた。火災報知器は、押入れの中にも設置されているからだ。押入

    自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。 - yuhka-unoの日記
  • いじめと差別と橋下府知事 - yuhka-unoの日記

    いじめにおいて、いじめっ子の当の目的は、特定少数をいじめることに留まらない。いじめっ子の当の目的は集団全体の支配だ。特定少数を「見せしめ」としていじめることで、それを見ている周囲の人間に「まさかお前ら、俺に逆らったりしないよなぁ?」という無言の圧力をかける。「見せしめ」を作ることで集団を支配するのは、有史以来非常にポピュラーな手法だ。 やっかいなことに、その様子を見ている周囲の人間の中で、いじめっ子にいじめをやめさせるよう立ち向かっていく人間は少ないし、実は「何もできなくてごめんね…」という気持ちでいじめられっ子を見ている人間も少ない。大抵の人間は残念なことに、いじめられっ子を見下すという優越感の誘惑に負ける。積極的にいじめに参加する者はもちろん、大多数の何もしない人間ですらそうだ。内心「あの子は劣っているからいじめられるんだ。私はあの子とは違うからいじめられないんだ」という優越感を持

    lotus3000
    lotus3000 2011/08/16
  • 音楽業界のブームのゴリ押しは、着物業界の凋落に似ている - yuhka-unoの日記

    私の個人的音楽史と、現代の日音楽業界について思うことを書いてから、また色々と思うところがあったので、続きを書くことにした。 フジテレビの韓流ゴリ押し騒動について、フジテレビ韓国の裏の関係を想像する人がいるようだが、私は単に、国内で仕入れてきたものを押し売りするか、海外から仕入れてきたものを押し売りするかの違いでしかないと思っている。商品そのものはあまり関係がなく、売ってる人の都合だろう。 大して売れてもいないものを「売れている」「今人気」「あの有名な」などと言って売ろうとする手法は、「皆さん買っていらっしゃいますよ」と言って浄水器などを買わせようとする訪問販売の手口に似ている。 私の個人的音楽史と、現代の日音楽業界について思うことでも書いたが、私は、ネットに触れてから自分好みの音楽に出会えるようになり、CDもよく買うようになった。私の弟はインディーズバンドのライブに行くのが趣味で、C

    音楽業界のブームのゴリ押しは、着物業界の凋落に似ている - yuhka-unoの日記