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wikiに関するlotus3000のブックマーク (5)

  • 宅間守発言集 - 宅間守まとめwiki

    「小学校を選んだのは、できるだけたくさん殺せると考えたから」 「たくさん殺せば確実に死刑になるし、道連れは多いほうがいいと考えた」 「全然関係がない子どもの命を奪ったことに対して当に申し訳ないという気持ちがある」 「自分みたいにアホで将来に何の展望もない人間に、家が安定した裕福な子供でもわずか5分、 10分で殺される不条理さを世の中に分からせたかった」 「世の中、勉強だけちゃうぞと、一撃を与えたかった」 「(事件を)起こした後も全然満足していない」 「人生の幕引きをする時の道連れが欲しかったから」(大量殺人に飛躍する理由) 「わしをなめとる。30秒あれば1人ぐらい殺せる。かかってこい」(犯行当時の様子を質問した検察側に) 「今まで、散々不愉快な思いをさせられて生きてきた」 「しょうもない貧乏たれの人生やったら、今回のパターンの方がよかった」 「幼稚園ならもっと殺せたと、今でもこんなことば

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  • さかもと未明 - Wikipedia

    さかもと 未明(さかもと みめい、1965年〈昭和40年〉10月21日 - )は、日のアーティスト、画家、漫画家、歌手、作家。「株式会社MIMEIDIA」代表取締役社長。 名は武田 明美(たけだ あけみ)。旧姓、安西(あんざい)[1]。神奈川県横浜市出身。神奈川県立厚木高等学校を経て、玉川大学文学部英文学科卒業。夫は横浜市にある最先端ガン治療センター南クリニック院長の武田茂[2]。 概要 神奈川県横浜市生まれ。玉川大学文学部英文科卒業後、商社勤務、主婦を経て、1989年(平成元年)漫画家デビュー。その後、エッセイ、ルポルタージュ、小説、評論の執筆、テレビのコメンテーターなど活躍の場を広げる。 2006年(平成18年)に膠原病を発症。難病認定をきっかけに、「体が動かなくなってもできる表現を」と歌手活動を開始。2009年(平成21年)「人生~いのち~」(ランブリング・レコード)で歌手デビュ

    さかもと未明 - Wikipedia
  • 身分制による批評の禁止 - Freezing Point

    患者ポジションの研究者やライターは、医師や福祉関係者にとって、批評の対象になるか。 (1) 対立している (2) レベルが低い に留まらず、 (3) 倫理上許されない という理由で、《批評してはならない》 とされることが多い。 神経症圏の患者さんであれば、診断学的な位置づけは医師や福祉関係者と同じだが、 支援に関して 《する側/される側》 が一度できてしまうと、下駄を履かされた承認か、 全面的に「頭をなでてもらう」ような言及しかされないことがほとんど。*1 多くの “当事者” は、褒められることでウットリするが、それは身分制的に隔離されたにすぎない。 原理的に新しい話をしていても、論争以前に「隔離されて」終わる。 このことは、医療・福祉だけでなく、《弱者》ポジション全般にいえる。 「弱い者を肯定せよ」という正義を振りかざす人は、マイノリティの言動を正当に批評できない。 弱者批評へのタブーは

    身分制による批評の禁止 - Freezing Point
  • ABCD問題 - Wikipedia

    ABCD問題(ABCDもんだい)とは、1982年に日の新左翼の日革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日支部)メンバー4人(A、B、C、D)が告発された強姦事件およびその後の組織的経過の総称である。当事者間では「組織内女性差別問題」とも呼ばれている。 概要[編集] 事件発生[編集] 1982年8月、三里塚闘争のため「三里塚闘争に連帯する会」などが千葉県山武郡芝山町香山新田に設けた団結小屋「労農合宿所」(現・横堀農業研修センター[1])で、第四インターから派遣されていた常駐者の男性活動家が女性利用者を強姦しようとする事件が発生した。被害者は直ちに第四インター指導部に告発した。当初、指導部は男性活動家の個人的不祥事という認識でこの問題を捉え、男性活動家に自己批判書を書かせて事態の収束を図ろうとした。しかしこの自己批判書は、組織に「泥を塗った」ことに対する謝罪のみが書き連ねており、肝

    lotus3000
    lotus3000 2011/06/18
    左翼とマッチョイズムの問題。これ根深いなあ。ある意味ドストエフスキー以来の問題だもの。
  • 武田崇元 - Wikipedia

    この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。 出典検索?: "武田崇元" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年3月) 武田 崇元(たけだ すうげん、1950年 - )は、日の文筆家、宗教研究家、超常現象研究家[1]。名は武田洋一。筆名は武田益尚、武内裕、有賀龍太など。 灘高等学校、東京大学法学部卒業。1980年代のオカルト・ブームの火付け役であり、学研発行のオカルト雑誌『ムー』には、南山宏と共に1979年の創刊時からの顧問として非常に強い影響力を持った[2][3]。『竹

    lotus3000
    lotus3000 2010/09/12
    歴史修正主義と新左翼。
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