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私性に関するmacchaunoのブックマーク (1)

  • 実は短歌論を1ミリも知らない奴が私性について考えるとこうなる

    私性ってなんだよ短歌をやっているとたまに私性という言葉に出くわす。短歌というのは誰かの語りであって、その語り手のどうのこうのというアレである。 私性とは何なのか。この疑問はおそらく現代文学における「私」とは何かという議論に通じるものだろうが、そのことは短歌における私性を語る文脈においては必ずしも意識されていないように見える。 たとえば、田一弘は「『私性』とは何か」と題した時評のなかで、短歌における私性とは何かを考える手がかりを探っている。田はまず寺井龍哉の「うたと震災と私」という評論を紹介し、「引用した震災詠においては作者と作中主体とが強固に結合」しており「そこで私性は束縛となるよりもむしろ公共性をひらく磁針となるはずである」という寺井の論を引用している。次に、渡辺松男による「吾のなかの何人の吾かなんにんの吾のなかの吾か秋うろこぐも」といった歌を引用しつつ、渡辺の歌においては「第二芸術

    実は短歌論を1ミリも知らない奴が私性について考えるとこうなる
    macchauno
    macchauno 2019/09/18
    “語り得なかった自己をも含むものを私性と呼ぶならば、私たちは永遠に私性に肉薄することはできない。”
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