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考え方に関するmacchaunoのブックマーク (3)

  • 持ちすぎている知識の裏に、自分の「自信のなさ」がある - 自分の仕事は、自分でつくる

    ちきりんさんの「Chikirinの日記」の最新の記事、『モノが捨てられないのは心の問題』が面白かったです。 その中に、こんな一説がありました。 捨てられないもの、どんどん増えていくものの代表格が(私の場合)洋服です。たいしておしゃれでもないのに、なんで服がこんなに捨てられないのか。まだ考え中なのですが、おそらく私はファッションセンスに自信がないんだと思います。だから服の数に頼ろうとするんですよね。イザ何かのときに着ていく服がなかったらどうしよう!そう思うから(その不安から)大量の服を手放せないんだと思います。 この部分を読んだとき、ちきりんさんの記事の題とは外れてしまうのですが、ふと昔、ある人にいただいたアドバイスを思い出しました。 それは「自分の考え方に自信がないことを、知識の量で逃げようとするな!」。 たとえば、こういうことです。 僕がニッポン手仕事図鑑をはじめたとき、伝統工芸に関す

    持ちすぎている知識の裏に、自分の「自信のなさ」がある - 自分の仕事は、自分でつくる
  • 哲学的ゾンビとは私が実在すると信じたい思考が生み出す幻想なのである - 心は空気で出来ている

    この話題、突き詰めていくと個人的な感覚の問題に帰結すると思うので、所詮は伝わらねえょと思いながら書くしかないんです。そう思うのもあくまで僕個人の感覚に依るところなので、そこんところ踏まえた感じでお読みください。こんな話に興味ない方は、ここから別行動になります。また逢う日まで、ごきげんよう。 omocoro.jp この漫画で言われている「私」というのは、何なんでしょうね。まるで人の心の中に常時「存在」していて、それが消えてなくなると心も無くなってしまうかのような表現がされています。僕はどうもここに引っ掛かりがあります。引っ掛かりが、ありまぁす。 哲学的ゾンビというテーマ?考え方?に、僕はそもそもの初めから釈然としないものを感じていましたが、哲学的ゾンビの概念をわかりやすく表現した(?)というこの漫画が、奇しくもこの概念の穴を的確に表しているように思いました。いや、わかりませんけども。僕自身が

    哲学的ゾンビとは私が実在すると信じたい思考が生み出す幻想なのである - 心は空気で出来ている
    macchauno
    macchauno 2015/10/02
    ああ面白い/後天の私Aは俯瞰しているようでいて私Bから自由になることはできない(!)
  • どうやって幸福観をずらしていくか - シロクマの屑籠

    人間関係にまつわるノウハウは、どれも学習や体験の蓄積が必要だ。挨拶のような基礎でさえ、サマになるにはリピートして身体に叩き込む必要がある。しかも、年齢によって蓄積しやすいノウハウも違っているので、旬の時期を逃すと厄介だ。恋愛を挙げてみると、 中学高校生の時に恋愛していた人は恋愛感情が永久に続かない事を学ぶだろうし 大学生の時に恋愛していた人はオママゴト生活から生活習慣の違う他人と暮らす苦労を学ぶだろうし 社会人初期に恋愛していた人は金銭管理の困難を学ぶだろうけど それを30歳過ぎて一気にやるのは大変だと思います 2014-12-17 20:25:57 via Twitter for Android このように、年齢それぞれによって恋愛のかたちは違うし、学びとれる課題も違う。恋愛と無縁だった人がいきなり三十代になって恋愛をやってみせようと思っても、手こずるのは当たり前だ――ノウハウの蓄積が無

    どうやって幸福観をずらしていくか - シロクマの屑籠
    macchauno
    macchauno 2014/12/26
    自分にとって大事なことを言われてる気がするのでもうちょっと長く読みたい
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