「MacはLinuxだった」って本当? 「そうだね……」元Mac雑誌編集者は昔語りを始めた:ヤマーとマツの、ねえこれ知ってる?(1/4 ページ) 経歴だけは長いベテラン記者・編集者の松尾(マツ)と、幾つものテック系編集部を渡り歩いてきた山川(ヤマー)が、ネット用語、テクノロジー用語で知らないことをお互い聞きあったり調べたりしながら成長していくコーナー。交代で執筆します。 マツ 「MacはLinuxだった」という趣旨のツイートが話題になっていて、ああそういうこともあったなあ、と思い出したので、ちょっと昔語りしようかなと。茶でも飲みながら。 ヤマー 私は紅茶を用意してきます。 戻ってきました。macOSは何がベースになっているかって話ですよね。 マツ 結論から言っちゃうと、現在のmacOSはUNIX系列のOSではあるけど、Linuxではないです。macOSのベースになっているのはDarwin。
ジョブズが本当にAppleのCEOにしたかった「IBM PCの父」に見る、IT業界の分岐点:CloseBox(1/3 ページ) 大原雄介さんの連載「“PC”あるいは“Personal Computer”と呼ばれるもの、その変遷を辿る」の2回目が掲載された。 「IBM PC」がやってきた エストリッジ、シュタゲ、そして互換機の台頭 いよいよIBM PCの登場である。当然ながら、IBM PCの生みの親であり、IBMのPCビジネスを率いることになったドン・エストリッジが出てくる。そこで、5年前、個人ブログに書いた、エストリッジに絡んだエピソードをリライトしたので、サイドストーリー的に読んでいただければと思う。 そう、「ジョブズが本当にAppleのCEOにしたかった人物」というのはthe Dirty Dozenを率いてIBM PCを短期間で作り上げた「IBM PCの父」、ドン・エストリッジのことだ
by VisiCalc Google スプレッドシートをはじめとし、今や日常生活の中で表計算ソフトが世界で初めて登場したのは1979年のこと。ふだん何気なく使っているスプレッドシートですが、実は人々が日常生活でコンピューターを使う転機となった劇的なツールであり、その歴史をたどってみると、現代の「自動化」問題への示唆をも得られるものとなっています。 How VisiCalc’s Spreadsheets Changed the World - The New Stack https://thenewstack.io/how-visicalcs-spreadsheets-changed-the-world/ 世界初の表計算ソフト「VisiCalc」の広告が初めて掲載されたのは1979年5月。VisiCalcの作者であるダン・ブリックリン氏は自身のウェブサイトに当時の広告をのせています。その後同
1977年の12月25日(米国現地時間、日本時間12月26日):Appleの共同創業者の一人、スティーブ・ウォズニアック(Steve Woziniak、以下ウォズ)がクリスマスなどのホリデーを返上して働いて完成させたある製品のプロトタイプが、後にAppleに大成功をもたらしました。 「あれが終わるまで、昼も夜も、クリスマスから新年までぶっ通しまで働いたね」とウォズは自伝のiWozで振り返っています。「僕とスティーブ(スティーブ・ジョブズ)が卒業したHomestead高校(カリフォルニア州クパチーノにある高校)に通っていたランディ・ウィギントン(Randy Wiggington)がこのプロジェクトで大いに助けになったよ」とも。そしてウィギントンは12月25日だけはオフにしました。でも、ウォズはオフにしませんでした。 ウォズにとっての最高の年の暮れ。。 1977年は、ウォズにとっては素晴らしい
43年前の今日、12月8日(米国現地時間、日本時間12月9日)は、サンフランシスコのベイエリアで起業家のポール・テレル(Paul Terrell)がByte Shopというお店をオープンした日です。そしてこのByte Shopこそが、世界で初めてのコンピュータを一般的に販売した店舗となり、そして初めてApple(当時のApple Computer Inc.)のコンピュータを販売した店となったのです。 ポール・テレル(Paul Terrel)。写真:NextShark/Paul Terrel 1年前からAppleは自社の小売店を持ちたいという構想はありました。そしてByte Shopでは50台のApple I(Apple 1、Appleによる初めての製品)を在庫して販売していました。Apple Iは当時共同創業者のスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)とスティーブ・ウォズニアック(St
Appleの伝説のコンピューター「Lisa」OSソースコードが無料公開へ2017.12.29 20:3014,413 塚本直樹 Macより前のお話です。 Apple(アップル)が1983年に開発し、販売した伝説のパーソナルコンピューター「Lisa」。GUI(グラフィカル・インターフェイス)を採用した「Lisa OS」を搭載し、当時1万ドル(約112万円)で販売したことが原因で売れず、失敗したApple製品としておなじみです。 このマシンのLisa OSとアプリケーションがコンピューター歴史博物館により修復され、Appleによるレビューの後に2018年にすべてのソースコードが公開されることが発表されました。 Image: Mac History「Apple II」の成功により勢いに乗る当時のApple Computer(アップルコンピュータ)が、IPO前の株式の分配を引き換えにゼロックスを技
世の中になかった新しい製品を作り出そうとするとき、我々はどのように考え判断し、どのように動くのだろうか。数ヶ月前から理由があって少しずつLisaのことを調べているが、思えばMacintoshの生みの親ともいえるこのマシンは何とも不運な製品であった。しかしこのLisaが生み出されなければ現在のMacintoshもあり得なかっただろう...。Lisa誕生の経緯とその失敗の物語は私にとってまとめてみたいテーマの1つなのだ。 一般的にLisaというプロダクトはスティーブ・ジョブズらがゼロックス社のパロアルト研究所(PARC)を訪れ、そこで見た暫定ダイナブック...すなわちAlto上で走るSmalltalkのデモを見て触発されたという話しが知られているが、これは文字通りには正しくない。 そもそもLisaという開発コード名でプロジェクトがスタートしたのは1979年のことらしい。ただしその際には時代背景
今回の業界に痕跡を残して消えたメーカーは前回のPalmつながりで、Be Inc.を紹介したい。話は、Apple Computer社から始まる。 1990年、Jean-Louis Gassee氏がApple Computerを退社する。もともとGassee氏は1981年からApple Computer Franceの社長の座にあった。ただ1985年にSteve Jobs氏がApple Computerを退社した後、1985年に研究開発担当副社長、1988年に製品・開発・製造担当副社長とどんどん昇進していく。この抜擢はJohn Sculley氏によるものだ。 そもそもSteve Jobs氏退社のきっかけとなった、同社の1985年5月24日の取締役会で、John Sculley氏に対して「Sculley氏の中国出張中に、JobsがSculleyを追放しようと画策している」と密告したのがGasse
GeekWireの報道によれば、Appleの共同創業者スティーブ・ウォズニアック(Steve Wozniak、Woz、以下ウォズ)とマイクロソフト(Microsoft)の共同創業者のポール・アレン(Paul Allen)が4月12日に米国シアトルで面会した。信じがたいことに、この2人のテック業界の偉人達は初めて会ったというのだ。 ポール・アレン(左)とスティーブ・ウォズニアック(右)が、4月12日水曜日にシアトルでアレンが所有する博物館で面会した。Photo via Dario Impini/Living Computer Museum + Labs. ウォズとポール・アレンは別々のテック業界の巨頭となる企業の礎を築いた創業者であり技術者だが、過去40年間お互い一度も会ったことがなかった。そして3日前の水曜日、2人の偉人が初めてシアトルの「リビングコンピュータ博物館+ラボ(Living C
スティーブ・ジョブズ氏が使っていたとされる、Apple初のコンピュータ「Apple Ⅰ」のプロトタイプが展示会で披露されることとなり、注目を集めています。「Apple Ⅰ」は現在判明している限りでは、完動品が世界に8台しか存在しません。 幻の「Apple Ⅰ」の中でも更に幻のプロトタイプ Appleの原点とも言える「Apple Ⅰ」のプロトタイプとくれば、シアトルに位置するLiving Computers Museumのディレクターが「歴史的に最も重要なコンピュータだ」と、胸をときめかせるのも無理はありません。 展示されるプロトタイプは、Appleの創業者である故スティーブ・ジョブズ氏と、同社の投資家であるマイク・マークラ氏が使っていたとされる、至高の逸品です。ちなみに通常の「Apple Ⅰ」はこれまで、オークションで数千万円の値で取引されています。 捨てられる寸前だった 1985年、ジョ
35年前の1月30日、初めて”悪意のあるソフトウェア”=コンピュータウィルス、現在でいえば”マルウェア”が発見された。そのウイルスの名前は、”Elk Cloner”で、当時15歳のプログラマー、Rich Skrentaによって作成された。 ちなみにこちらはWindowsの最初のウイルス、BRAIN A。こちらもフロッピーディスクを介して伝染するタイプだった。 Source: Mykko Hypponen, F-Secure Elk Clonerはブート領域に感染するウイルスで、当時のApple IIのみに感染する、フロッピーディスクによって伝染するものだった。悪意はなく好奇心によって、SkrentaはElk Clonerの設計に着手した。彼は最初は自分のプログラム言語の技能をひけらかすためのいたずらのつもりだったが、このプログラムは人々に初めてのApple IIコンピュータを狙ったコンピュ
40年の間に、いろいろなことが起きた。 1976年、Appleの共同創設者であるSteve Wozniak氏は、同社初のコンピュータ「Apple I」を作り上げた。それに先駆けて、オタクなはみ出し者たちの寄せ集めグループに、そのアイデアを披露している。時間を一気に進めて、現代の2016年。Appleの「iPhone」は販売台数が10億台に達した。ステータスシンボルでもあり日常の象徴でもある企業となった同社にとって、これは大変な偉業だ。 Apple Iが生まれてから40年の間に、もう1人の共同創設者Steve Jobs氏はこの世を去り、Wozniak氏も新たな道を歩み出している。そしてAppleは、消費者向けテクノロジ市場を堅固に築き上げる役割をはたし、その中で浮き沈みを繰り返しながらも前進を続けている。 考えてみれば、そうした歴史はすべて、最初の「発見」の瞬間に生まれ落ちた種から始まったも
オークションサイトCharityBuzzに出品されていた、Apple Iの中でも特に珍しい「Celebration」モデルが、最終的に81万5,000ドル(約8,150万円)で落札されました。 MacRumorsによれば、オークションがクローズする前の数分間、入札価格が120万ドル(約1億2,000万円)に達しましたが、寸前にその入札は取り下げられたようです。 Celebrationモデルは「芸術作品」 製造数200台、現存するのは60〜70台しかないとされる、スティーブ・ジョブズ氏とスティーブ・ウォズニアック氏が初めて製作したApple Iのなかでも、特に稀少なこのCelebrationモデルは、他のApple Iとは異なるカスタマイズ可能な電子回路基板(ブランクPCB)を搭載しています。 残念ながら実際に動作はしませんが、多少の修理を加えれば完全に機能する、と見られています。ただし歴史
Apple(アップル)=Apple Computer Inc.の初めての製品で、現在となっては非常に貴重になっている【Apple I】パーソナルコンピュータ。Appleの偉大な歴史の第一歩を刻んだこの製品は、1976年、つまり40年前にリリースされた。 今回オークションにかけられている【Apple I】は”Celebration”と名付けられている たびたびオークションにかけられることで【Apple I】はメディアに登場するが、最近もまたCharityBuzzというプラットフォームで出品されている。そして今回出品された【Apple I】には”Celebration”という名前がつけられている。もちろん、“Celebration”という名前がつけられたのにはワケがある。詳細は、当記事内で説明している。 【Apple I “Celebration”】の元の持ち主はAppleの元従業員か 今回出
「あの映画は信じちゃいけない。ジョブズが僕をコンピュータークラブに連れて行ったんじゃない。僕はすでにコンピューターオタクの間では有名な存在で、みんな僕のことを知っていたんだよ。後の『Apple I』につながるマシンも作っていたし、ほかの人が自分のコンピューターを作れるように手助けもしていたんだから」 そんな修業時代のウォズの人柄がよくわかるエピソードがある。 「父に、いつかメモリがたくさん載ったコンピューターを個人が持つ時代がくるよ、って言ったんだ。メモリがたくさん載っていれば、プログラムを走らせることができるからね。そうしたら父は、そんなコンピューターは家を買うのと同じぐらいの値段になる、って言うんだ。僕は気絶しそうになって、じゃあ僕は家を出てアパートに住むよ、と返した。自分のコンピューターが欲しかったからね。お父さんに反抗したんだ」 「僕は根っからのエンジニアだ。エンジニアとは、もっと
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