ヨーロッパ人にとって、アジアへの最短距離を可能とする地中海─紅海を結ぶ運河は長年の夢だった。ナイルと航海を結ぶ運河は、すでに古代エジプト、紀元前2000年に造られていたと言われている。 近代に入ってからも、東方貿易を行ったヴェネツィア商人やルイ14世、ナポレオンが構想している。中でもナポレオンは、エジプト遠征に同行させた学術調査団に実際に測量をさせている。調査団の出した結論は、紅海と地中海の水位差が10mに及ぶため工事は無理であるというものだった。ところが実際にはその調査結果は誤りであり、実際には水位差は1~2mにすぎず、陸地はほぼ平坦で、しかも途中に散在する湖を結べば運河の建設は可能だったのである。 フランス人レセップスによる運河建設 そのことに気づいたのは、フランスの外交官フェルナンド・ド・レセップスだった。1805年よりエジプトは、事実上太守ムハンマド・アリーの支配下に置かれていた。