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方法論とstudyに関するja_bra_af_cuのブックマーク (10)

  • ノア・スミス「泥壕としての膨大な文献」

    [Noah Smith, “Vast literatures as mud moats,” Noahpinion, May 16, 2017] どういうわけか,学術文献はよく「膨大な」と言われる(このフレーズは1世紀以上もさかのぼる).ただ,どんな話題について語っていようと,どうやらきまって誰かがひょっこりやってきてわざわざこう教えてくれるようだ――「その話題については,すでに「膨大な文献」がありましてね.」 このフレーズは,議論を打ち切る役目を果たしていることが多い.「膨大な文献がありますよ」ということは,ようするに,なにごとかについて語る前に,その話題についていろんな人たちがこれまでに書いてきたとてつもない分量の文章を読んでこなくちゃいけないと要求されているわけだ.膨大な文献を読み通すとなればそれはもう何時間もかかるのだから,この言い分は相当な時間と労力を要求していることになる.その膨

    ノア・スミス「泥壕としての膨大な文献」
  • 【インタビュー】社会学の目的/岸政彦 - atプラスweb

    岸政彦『同化と他者化――戦後沖縄の土就職者たち』 祖国への憧れを胸に土へ渡った沖縄の若者たち。それは壮大な沖縄への帰還の旅でもあった。岸政彦デビュー作。 岸政彦『街の人生』 外国籍のゲイ、ニューハーフ、摂障害、シングルマザーの風俗嬢、ホームレスが語る、いろんなかたちの人生の記録。 岸政彦『断片的なものの社会学』 路上のギター弾き、夜の仕事、元ヤクザ…人の語りを聞くということは、ある人生のなかに入っていくということ。社会学者が実際に出会った「解釈できない出来事」をめぐるエッセイ。紀伊國屋じんぶん大賞2016受賞。 『atプラス28(岸政彦 編集協力)』。 ──岸政彦さんは社会学者であり、沖縄や被差別部落でのフィールドワークを長年続けています。戦後沖縄の土就職者をテーマにした『同化と他者化』(ナカニシヤ出版、2013年)を初めての単行として出されたあと、さまざまなひとの語りを集めた『

    【インタビュー】社会学の目的/岸政彦 - atプラスweb
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2016/05/12
    語りをどうとらえるか,他者表象の暴力性について開き直らずにいかに実証的調査を成立させるか。現代の人類学とも共有される課題
  • ポール・リクール「解釈学的論理学?」(1981年)[1/2] - un coin quelconque de ce qui est

    [以下は Paul Ricœur, «Logique herméneutique?», dans: Écrits et conférences 2. Herméneutique, Paris (Seuil) 2010, p.123-196 の下訳。ガダマーによる展開、批判理論やウィトゲンシュタインとの関係など、ハイデガー以後の解釈学の動向を総決算する内容となっている。 付されている注のほとんどは編集者の注であるが、リクール自身による原注と一緒にナンバリングされているので判別しづらい。そのため原注には注の頭に(NdA)と略記し一目でわかるようにした。またリクールの原注に挿入された[ ]の解説のうち、(NdE)の表記があるものも編集者によるものであり、それ以外の、(NdE)の表記のない挿入は訳者の解説である。またドイツ語の重要文献にかんする編集者の注にはフランス語の訳書のページ数が示されている

    ポール・リクール「解釈学的論理学?」(1981年)[1/2] - un coin quelconque de ce qui est
  • アンソニー・グラフトン 『テクストの擁護者たち: 近代ヨーロッパにおける人文学の誕生』

    翻訳作業のお手伝いをしたアンソニー・グラフトンの『テクストの擁護者たち』を読み終える。書の内容については、すでに原書を紹介したときにもあらかた書いてしまったが、改めてどんななのか紹介しておこう。 書はルネサンスから近代という長い時間軸のなかで当時の知識人たちがどんな風にテクストを読んだり、肯定したりしたのか、という知の営みの歴史を扱っている。そこで登場するのは、たとえば、デカルトだとかスピノザだとか、西洋思想史界のスーパー・スター的な人物たちではない(第7章で扱われているケプラーが例外か)。「歴史」のなかでほとんど無視されてきたような、知識人たちである。そうした忘れられた知識人たちによって、文献学やテクスト校訂の技術が培われ、現代にまで引き継がれる礎を作られたのだ……というのが、書のおおまかなストーリーになるだろう。 特筆すべきなのは、グラフトンの歴史記述の方法だ。これは書巻末に

    アンソニー・グラフトン 『テクストの擁護者たち: 近代ヨーロッパにおける人文学の誕生』
  • 系統学で見る「赤ずきん」のルーツ

    民話「赤ずきん」は、さまざまなバージョンが世界中で語られている。最新研究では「赤ずきん」と、もう1つの似た物語「狼と七匹の子山羊」がどこで生まれ、どのように進化していったかが定量分析によって追跡された。 Map by Matthew Twombly, NG staff. Source: Tehrani, J. J. PLOS ONE 2013;8(11):E78871 これは世界中で語られてきた物語だ。「赤ずきん」が祖母の家を訪ねると、祖母をべたオオカミが、祖母の服を着て、赤ずきんのこともべようと待ち構えていた。その後の展開は、話のバージョンによって異なる。 赤ずきんはべられたのか? 通りがかった狩人がオオカミの腹を割いて赤ずきんを助け出したのか? 赤ずきんがオオカミをだまして外へ出るのか? イランの一部地域では、幼い女の子が一人で出歩いたりしないという理由から、危険な目に遭うのは男

    系統学で見る「赤ずきん」のルーツ
  • 北田暁大&岸 政彦「(連載・対談)社会学はどこからきて、どこへ行くのか?:第2回 社会調査と社会学の変貌」 - 書斎の窓 | 有斐閣

    東京大学大学院情報学環教授 北田暁大〔Kitada Akihiro〕 龍谷大学社会学部准教授 岸政彦〔Kishi Masahiko〕 岸 こないだ僕の大阪の研究会に北田さんが来てくれて、こんな話になりました。たとえば「社会意識」っていうときに、ものすごく全然違う2つのものを一緒に社会意識って呼んでて、1つは見田宗介の『まなざしの地獄』とかが代表です。あれは極端な例から、同時代の集合的な「社会意識」というもののあり方を抽出して、で、こうなる! みたいな。それが社会意識論って言われていた。 でも、じつは社会意識論って、同じ言葉で同じ授業で、ほとんどの大学でされているのは、社会心理学者がゴリゴリの計量でやってるやつだったりします。それも社会意識論って言われていて、たとえば、ケガレ意識が強い人ほど部落差別をする人が多い、みたいな感じのクロス集計、回帰分析をひたすらやっている。じつは量からいえば、そ

  • 現生人類の出アフリカ経路、「北ルート」が有力か:専門家コメント

    各専門家のコメントは、その時点の情報に基づいています。 SMCで扱うトピックには、科学的な論争が継続中の問題も含まれます。 新規データの発表や議論の推移によって、専門家の意見が変化することもありえます。 記事の引用は自由ですが、末尾の注意書きもご覧下さい。 ・これは、2015年5月29日にジャーナリスト向けに発行したサイエンス・アラートです。 ・記事の引用は自由ですが、末尾の注意書きもご覧下さい。 <SMC発サイエンス・アラート> 現生人類の出アフリカ経路、「北ルート」が有力か:専門家コメント イギリスのサンガーセンターやケンブリッジ大学のチームは、現在エジプトとエチオピアに住んでいる人のゲノムを分析し、ヨーロッパやアジアなどの非アフリカ人と比較。約6万年前に現生人類がアフリカから拡散したルートは、シナイ半島経由(北ルート)だった可能性が高いとの成果を発表しました。これまでに、北ルートの他

    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2015/06/07
    ゲノム解析で6万年前の人類移動を探る
  • 京都新聞

    「平成の大合併」は京都でも大きな変化をもたらした。市町村数は44から26に減少したが、国や府が旗を振っても想定通り進まない地域があった。そ…

    京都新聞
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    うめぇヨーグルトソースでもいかがですか。個人差にもよりますが。もしよろしければ。 お久しぶりです。 最近うんめぇ〜と思ってるヨーグルトソースがあるので、書いていこうと思います。 ヨーグルトとハーブ類をもりもり使うので、そういうのがべられない方にはうんめぇソースではないです。ごめんなさい…。もしよろしければお茶だけも…旦~ 【用意する…

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    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2015/01/08
    調査対象および社会一般へ成果を還元する一つのやり方。私的な聞き取りなどは公開せず、オープンなイベントなどで行われたものをブログやTwitterで公開
  • 英語教育学における「科学」の意味 - こにしき(言葉・日本社会・教育)

    昭和40年代、英語教育の「科学化」運動があって、英語教育学が誕生したというのは関係者にはそこそこ有名な話だと思う。この科学化・学問化運動の頃に書かれた論文を読んでいると、当然ながら「科学」というスローガンが連呼されている。私は学生の頃から、この科学の用法にずっと違和感があったが言語化できずにいた。 しかし、つい最近、疫学/エビデンスベースト医療関係のを読む機会があって、この違和感の正体がなんとなくわかってきた。それは、政策科学と基礎科学が区別されず、両者の境界が曖昧なまま使用されている点である。この区別は、おそらく現在の英語教育学でもほとんどされていないと思う。以下、この違いを説明してみよう。 政策科学 vs. 基礎科学 政策科学・基礎科学の特徴を、英語教育を前提に整理してみたい。 政策科学系の英語教育英語教育政策の実行・評価のための科学。したがって、意思決定が最重要事項であり、メカ

    英語教育学における「科学」の意味 - こにしき(言葉・日本社会・教育)
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