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社会とオタクとcritiqueに関するja_bra_af_cuのブックマーク (5)

  • ゼロ年代批評の政治旋回――東浩紀論 - 名無し委員会

    稿は、『別冊情況 思想理論篇』第二号に掲載されたものである) ゼロ年代批評の政治旋回――東浩紀論 藤田直哉 ゼロ年代批評の政治旋回!? 『思想地図β』vol.3(二〇一二)、特集「日2.0」の巻頭言で、東浩紀は政治旋回宣言を行った。 日はどうあるべきか。考えてみれば、ぼくたちは長いあいだ、その素朴な問いをこそ忘れてきた。停滞する政治を尻目に、消費社会のまどろみのなか、それがまどろみにすぎないことを知りながら、現実との直面を先送りにしてきた。(p44)。 ぼくたちは長いあいだ、自分たちがなにものか、その問いへの直面を(原発の問題への直面を、沖縄の問題への直面を、世代間格差の問題への直面を)避けることこそが幸せの条件であり、成熟の条件であり、ひいては「正義」の条件ですらあると教えられてきた。(同) ゼロ年代を代表し、オタク・カルチャーを牽引し、ポストモダンを肯定していた東浩紀という人物

    ゼロ年代批評の政治旋回――東浩紀論 - 名無し委員会
  • 我々が『歌い手』に向けて投げている石はきっと『一般人』が我々に投げている石と同じ形をしている:そんなことよりアイマスの話をしようぜ - ブロマガ

    ・「歌い手」から「インターネットカラオケマンへ」 - Togetter ・ニコニコ動画の「気持ち悪い」とされる部分について考察していく / CYBER LIFE 2CH ・#歌い手厨の名言の検索結果 ・朝日新聞デジタル:ファンの少女とみだらな行為 音楽家の男を逮捕 - 社会 ・ヤバイと思ったが、性欲を抑えきれなかった ‐ ニコニコ動画:Q 『歌い手』が17歳の少女と淫行して捕まったってことでそれはまあ裏山けしからんわけだけれども、それはそれとして司法が捌き然るべき補償が成されればいい話であってそこはもう警察と検察と裁判所と人同士の問題だ。ただ、気になっているのはこの件において他山の石を投げつけて遊んでいる人たちなんだけど、つまりこれ、犯人が『歌い手』だって点がみんなの『ヒャッハーしたい欲』を煽ってしまったわけだ。 「ミュージシャンがファンの子をった」「インターネットユウメイジンがオフ会

    我々が『歌い手』に向けて投げている石はきっと『一般人』が我々に投げている石と同じ形をしている:そんなことよりアイマスの話をしようぜ - ブロマガ
  • 日本生まれの初音ミク、アメリカ育ちのヒップホップ【前編】 (1/6)

    去年の秋、アルテスパブリッシングから出版された「文化系のためのヒップホップ入門」というがやたらと面白かった。音楽ライターの長谷川町蔵さんと、慶応大准教授の大和田俊之さんによる対談形式ので、平易な表現で読みやすく、ディスクガイドも充実。当然ながらよく売れていて、評判も高い。 しかし、入門する気がなくても面白い。というのも結果的にヒップホップの切り口から、それ以前の音楽を批評した内容になっているからだ。長谷川さんが冒頭に宣言するのは次のようなテーゼだ。 「ヒップホップはロックと同じ音楽だと思うから面白さがわからないのであって、ヒップホップは音楽ではない」「ヒップホップは一定のルールのもとで参加者たちが優劣を競い合うゲームであり、コンペティションです」 あれーっ、そうだったの? という感じだが、このの企画は音楽史研究者であるにも関わらず「ヒップホップの壁を超えられなかった」大和田さんが、自

    日本生まれの初音ミク、アメリカ育ちのヒップホップ【前編】 (1/6)
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2012/03/15
    『文化系のためのヒップホップ入門』の長谷川町蔵さんと大和田俊之先生がボカロについて語ってる!/形式は同じで、Hip Hopはジョックスが・ボカロはナードがやってるのかなと思ってる。
  • 連載「現場から遠く離れて」第三章 旧オタク的リアリズムと「状況」 【4】 - WEBスナイパー

    第三章 旧オタク的リアリズムと「状況」 【4】 ネット時代の技術を前に我々が現実を認識する手段は変わり続け、現実は仮想世界との差異を狭めていく。日々拡散し続ける状況に対して、人々は特権的な受容体験を希求する――「現場」。だが、それはそもそも何なのか。「現場」は、同じ場所、同じ体験、同じ経験を持つということについて、我々に質的な問いを突きつける。昨今のポップカルチャーが求めてきたリアリティの変遷を、時代とジャンルを横断しながら検証する、さやわか氏の批評シリーズ連載。 これについては若干の補足を加えたい。参照すべきなのは大塚英志と大澤信亮の共著『ジャパニメーションはなぜ敗れるか』(角川ONEテーマ21、2005年)だ。共著ではあるが大部分が大塚の他の著作でもよく見られる議論に沿って書かれており、実質的に書の主旨は大塚によるものと考えて差し支えない。 大塚英志とはどういう人物か。彼は第一章の

  • 2010-09-17

    ネタにマジレスご苦労様です。回文 直接的には、http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1536031.htmlこれに端を発した議論、揉め事、その他諸々なんだが、もうだいぶ落ち着いてきたので、というわけでもないですが、この議論、揉め事、その他諸々に触発されて展示や博物館/美術館、さらに文化の「翻訳」という件について少し文献を漁ったので報告しておこう。 さて、発端となったベルサイユ宮殿での村上隆氏の作品展とその反対運動が実際のところフランスでは大したことではなかったという話はいろいろなところで出ている(http://narinari.com/Nd/20100914239.html、http://www.cyzo.com/2010/09/post_5366.html)。まあ何事にでもデモをするフランスの国民性を考えると、こういう内実は予想されることで、そ

    2010-09-17
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2011/06/04
    村上隆のベルサイユ宮殿での作品展に対する反対運動に関する論争・騒動を、文化人類学・民族誌学的な問題系として捉えている
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