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社会と批評論に関するja_bra_af_cuのブックマーク (3)

  • 理由は「カネがないから」ではなかった!なぜか急増中の若手批評家が飯を食わないワケ

    職あればあり 人はべるために働くのか、それとも、働くからべなければならなくなるのか。そんな素朴な疑問を解き明かすべく、さまざまな職業に従事する人々のランチ人生を追いかける。「職」と「」の切っても切れない関係を解きほぐす、お仕事紹介ルポ。 バックナンバー一覧 「これは批評家に限らずではありますが」と断った上で、若手批評家の田中二郎さん(仮名、30代)が言う。 「もの書き業は全般に、文のプロレタリアートです」 身も蓋もないが、そういう側面は否めない。にもかかわらず、批評の世界だけはクビを傾げたくなる現象も起きている。 「どういう訳か、なりたい人はたくさんいるんですよ」 養成講座を開くと、たちまち数十人の若者が押し寄せる。マーケット的に言えば、需要はないのに供給ばかりが増えている状況だ。 「なんか、ヘンですね」 「そうなんです」 ネットのおかげで門戸は広がったが… デビューしても批評だ

  • ゼロ年代批評の政治旋回――東浩紀論 - 名無し委員会

    稿は、『別冊情況 思想理論篇』第二号に掲載されたものである) ゼロ年代批評の政治旋回――東浩紀論 藤田直哉 ゼロ年代批評の政治旋回!? 『思想地図β』vol.3(二〇一二)、特集「日2.0」の巻頭言で、東浩紀は政治旋回宣言を行った。 日はどうあるべきか。考えてみれば、ぼくたちは長いあいだ、その素朴な問いをこそ忘れてきた。停滞する政治を尻目に、消費社会のまどろみのなか、それがまどろみにすぎないことを知りながら、現実との直面を先送りにしてきた。(p44)。 ぼくたちは長いあいだ、自分たちがなにものか、その問いへの直面を(原発の問題への直面を、沖縄の問題への直面を、世代間格差の問題への直面を)避けることこそが幸せの条件であり、成熟の条件であり、ひいては「正義」の条件ですらあると教えられてきた。(同) ゼロ年代を代表し、オタク・カルチャーを牽引し、ポストモダンを肯定していた東浩紀という人物

    ゼロ年代批評の政治旋回――東浩紀論 - 名無し委員会
  • 小説のレビューがつまらない本当の理由 - 誰が得するんだよこの書評

    ほとんどの書評が文芸批評としては最低レベルの「印象批評」です。だからといって、文学のなんたるかを分かってないから、と言うつもりはありません。問題はその印象批評のテクニックです。 印象批評とは 印象批評は要するにその人自身にとって面白いか面白くないかを感性で語るというものです。感性を同じくする同士なら、「ああわかるわかる〜」と納得できるのですが、合わない人にとっては全然さっぱりです。とはいえ、どうしてそのように感じたかを説明するのはすべからく「自分語り」につながります。私ってこういう人間だから、こう感じたんですよー、というわけですね。この「自分語り」ほどうっとうしいものはありません。知るか。この一言でばっさり斬ってしまいたい。「自分語り」の中にも面白いものはありますが、えてしてトークの技術が足りないせいか面白くない。 というわけで小説のレビューに必要なのは以下の2点です。 「自分語り」以外の

    小説のレビューがつまらない本当の理由 - 誰が得するんだよこの書評
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2010/02/28
    印象批評など批評の方法論について
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