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ブックマーク / note.com/lf_flat (2)

  • 【後編】ボカロ文化と批評のあり方(についてのいくつかの所感)|Flat

    自己批判とWikipediaについて散々人にケチをつけておいて、お前はどうなんだと思うかもしれません。実際、私も過去にかなりのミスを犯しています。例えば、先述したドラムンベースについての言及。私も同じことをしています。私がReal Soundで連載していた「ボカロ曲の流行の変遷と「ボカロっぽさ」についての考察」から、じんについての文章を見てみましょう。 じんは2011年2月17日投稿の「人造エネミー」でボカロPとしての活動を始める。この楽曲も2作目の「メカクシコード」も共にドラムンベースであった(中略)が、同年9月30日投稿の3作目「カゲロウデイズ」でロックに方向転換、ブレイクを果たす。 Flat「ボカロ曲の流行の変遷と「ボカロっぽさ」についての考察(3)kemuとトーマ、じんが後続に与えた影響」(Real Sound, 2020)https://realsound.jp/2020/09/

    【後編】ボカロ文化と批評のあり方(についてのいくつかの所感)|Flat
  • 【前編】ボカロ文化と批評のあり方(についてのいくつかの所感)|Flat

    この記事は、ボカロ文化についてのいくつかの批評を(批判的に)検討することで、ボカロ批評の現在地や課題を浮かび上がらせることを目指して執筆したものです。(2024/02/10追記) トンデモポップ論(への反論)昨年12月にちょーく氏が発表した「カスによるカスのためのトンデモポップ論」は、一部のボカロ曲のリスナーの間で話題になりました。 この記事の主張を要約すると、次のようになるかと思います(以下、初出の引用は太字で表記します)。 1.lumoの楽曲に端を発する「トンデモポップ」というタームは「特異な表現や奇抜な曲の進行、メロディなどの要素を持ちつつもポップスとして成立している音楽」に付けられるタグである。 2.しかし、原口沙輔「人マニア」や同作者「ホントノ」の大ヒットと、これらを「トンデモポップ」と形用する言説により、この2曲と類似する(時に意図的に模倣した)音楽性を指すジャンル名として人口

    【前編】ボカロ文化と批評のあり方(についてのいくつかの所感)|Flat
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