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ブックマーク / teramat.hatenablog.com (13)

  • もうひとつの「おにまい」:『お兄ちゃんはおしまい!』について(1) - てらまっとのアニメ批評ブログ

    ひとりのお兄ちゃんの話から始めたい。 2019年6月1日、東京都練馬区で一件の殺人事件が起こる。農林水産省の元事務次官・熊澤英昭(当時76)が、長男の英一郎(44)を自宅で殺害したのだ。英昭は息子の首と胸を包丁で何度も刺し、やがて動かなくなったことを確認すると、みずから警察に通報した。父親は「引きこもりがち」の息子から家庭内暴力を受けており、逮捕当時、彼の身体には殴られたとみられるアザがいくつもあったという。 英昭は警察の取り調べに対し、息子の殺害にいたった直接的な動機として、その直前に起こった別の殺傷事件を引き合いに出している。孫引きのかたちになるが、磯部涼によるルポルタージュ『令和元年のテロリズム』(2021)から引用しよう。 〔…〕犯行当日は熊澤邸に隣接する練馬区立早宮小学校で朝から運動会が行われていた。英一郎はその音に対して、「うるせえな、ぶっ殺すぞ」などと発言したという。英昭は「

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  • 美少女はじめました(バ美肉についての覚え書き) - てらまっとのアニメ批評ブログ

  • 誰でも書ける! アニメ批評っぽい文章の書き方 - てらまっとのアニメ批評ブログ

    いまの時代、「批評」という言葉に良い印象を持っている人は少ないかもしれません。とくにネットの一部では「何も作れないくせに文句ばかりつけやがって……」と親の敵のように憎まれています。実際、批評には間違いなくそういう側面があるので、嫌われるのもいたしかたないのですが、いざ自分で書いてみると意外と楽しいものです。もしかしたら批評嫌いの人のなかにも、「べ、別に批評なんて興味ないんだからねっ!(私もちょっと書いてみたいけど、どうやって書けばいいかわからないし……)」みたいなツンデレ美少女がいるかもしれません。 そこで記事では、かれこれ10年くらいブログや同人誌で細々とアニメ批評らしきものを書き続けている批評愛好家のひとりとして、なんとなく批評っぽく見える文章の書き方を紹介したいと思います。ただし、ぼく自身は職業批評家でもなんでもないので、「批評とは何か」「論文や感想文とどこが違うのか」といった

    誰でも書ける! アニメ批評っぽい文章の書き方 - てらまっとのアニメ批評ブログ
  • 『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』で成仏できない人のために - てらまっとのアニメ批評ブログ

    これは2012年に放送されたアニメ『キルミーベイベー』のファンが、放送終了後にネット掲示板に書き込んだとされる有名なアスキーアート(AA)だ。たんなる自虐的な冗談のようにも見えるが、実のところフィクションというものの質を突いたきわめて鋭い警句ではないかと思う。アニメは終わる。そして私たちはそのたびごとに、自分の人生と向き合わなければならない。 先日封切りされた『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』(以下『シン・エヴァ』)は、まさにこのAAどおりの結末を迎えた。人類補完計画を発動した父・ゲンドウとの対話の末、彼を含めレイやアスカ、カヲルなどをそれぞれの居場所へと送り出したシンジは、エヴァンゲリオンの存在しない世界を創り出し、マリとともにこの“現実”へと駆け出していく。アニメではなく実写で撮られたラストシーンには、いまや彼らと同じ世界を生きる私たちへのエールが込められているようにも見える。今

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  • フェミニズム以後のオタク2:「安全に痛い自己反省パフォーマンス」について - てらまっとのアニメ批評ブログ

    前回の記事の続きを書こうと思ったのは、いただいたコメントのなかに、自分でもなんとなく感じていた問題点、というより既視感を指摘したものがあったからだ。いわゆる「安全に痛い自己反省パフォーマンス」というものである。 teramat.hatenablog.com 安全に痛い自己反省パフォーマンスとは、評論家の宇野常寛がデビュー作『ゼロ年代の想像力』(2008年)のなかで展開した議論だ。これが既視感の原因だった。宇野は東浩紀による美少女ゲーム(いわゆる「エロゲー」)論を批判しながら、おおむね次のように論じている。 宇野によれば、多くの異性愛男性オタクは「女性差別的な所有欲」(320頁)をもっており、エロゲーをはじめとする「レイプ・ファンタジー」にふけることでその欲望を満たしている。東はかつて、そんなエロゲーのなかにも、オタクに自己反省を迫る「批評的」な作品があることを指摘し、自著でくわしく分析した

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  • フェミニズム以後のオタク - てらまっとのアニメ批評ブログ

    タイトルにつけた「フェミニズム以後」というのは、フェミニズムが終わったあとという意味ではない。そうではなくて、これはフェミニストによる批判を踏まえてなお、ひとがオタクであるとはどういうことか、どのようにあるべきか、という問いだ。 オタクであることはしばしば、フェミニズムと敵対することだとみなされている。インターネット上には、オタクからフェミニストへの、そしてフェミニストからオタクへの罵詈雑言が無数に散らばっている。それらは多くの場合、まともな対話や議論のていすらなしておらず、たがいへの敵意と悪意だけがむきだしになっているように見える。 じっさい、ツイッターやフェイスブックをはじめとするSNSが普及して以降、オタクフェミニストは幾度となく衝突してきた。たとえば、人工知能学会の学会誌の表紙が女性蔑視であると批判され、炎上したのが2013年。2015年には三重県志摩市のご当地キャラクター「碧志

    フェミニズム以後のオタク - てらまっとのアニメ批評ブログ
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2019/07/13
    "フェミニズム以後のオタクの倫理というものがあるとすれば、それはこの葛藤を抱えこむことにあるのではないか"
  • 『からかい上手の高木さん』とメタフィクション - てらまっとのアニメ批評ブログ

    2019年7月、『からかい上手の高木さん』2期の放送がスタートした。これは山崇一郎が『ゲッサン』で連載中の漫画を原作としたテレビアニメだ。 『からかい上手の高木さん』の構造はきわめてシンプルかつミニマルで、女子中学生の高木さんがクラスメイトの西片に思わせぶりなことをいい、動揺する彼の姿を見てよろこぶ、というものだ。どのエピソードも基的に一話完結型で、同じパターンが延々と繰り返される。 西片は毎回「ひょっとして高木さんにからかわれているのか?」とか「このままではまた高木さんにからかわれてしまう!」とかモノローグで煩悶するのだが、彼女を出し抜こうとする彼の試みはことごとく空振りに終わる。高木さんはといえば、西片のそういう反応を見ること自体が目的なので、最初から勝利を約束されている。 この作品の重要なところは、西片がさまざまな可能性を模索しつつも、高木さんの挑戦にたえず敗北し続ける点だ。彼は

    『からかい上手の高木さん』とメタフィクション - てらまっとのアニメ批評ブログ
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2019/07/13
    西片が鈍いのは思春期入ったばかりって年齢もあると思われ(色恋とまだ無縁なクラスメイトが描かれることでそれが際立つ
  • 無意識をアニメートする:『リズと青い鳥』と微小なものの超越性 - てらまっとのアニメ批評ブログ

    2018年4月に公開された京都アニメーション制作の映画『リズと青い鳥』は、監督・山田尚子と脚・吉田玲子のコンビが手がけた、4作目となる劇場用アニメ作品である。同作はテレビアニメ『響け!ユーフォニアム』シリーズ(2015−2016)のスピンオフだが、登場人物の瞳の大きさや等身のバランス、輪郭線の太さといったキャラクターデザインが一新され、作画・物語とも編とは一線を画した、独自色の強い作品に仕上がっている。一言でいえば、これ以前の劇場用アニメ3作品(『映画けいおん!』『たまこラブストーリー』『映画 聲の形』)にも見られたような、山田監督らしさが色濃く表れているということだ。 もちろん、集団制作でつくられるアニメ作品を、監督の「作家性」という切り口で語ることには慎重でなければならない。実写の映画撮影と同様、あるいはそれ以上に、アニメ制作は数多くのスタッフによる複雑な分業体制に支えられており、

    無意識をアニメートする:『リズと青い鳥』と微小なものの超越性 - てらまっとのアニメ批評ブログ
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2018/07/13
    "観客は「細部」に目を奪われることで、はじめて「主題」へとアクセス[...]山田監督の作品においては、キャラクターの意識的な決断や意図的な行為ではなく、無意識のかすかなしぐさこそが物語を紡いでいく"
  • 日常生活の暗号解読術 :『たまこまーけっと』と無意識のポリローグ - てらまっとのアニメ批評ブログ

    ※ブログだと長くて読みづらいのでPDF化しました。 https://drive.google.com/file/d/0B8CxLP7a5iXoMHh3VUl5VXN0R1U/edit?usp=sharing 〈1〉 商店街という言葉には、どこかノスタルジックな響きがある。 それはアーケードに反響する買い物客のざわめくような足音であり、店員の威勢のいいかけ声であり、また手さげ袋のなかの商品が立てるかすかな物音でもあるだろう。 こうした響きのすべてが今日、きしんだシャッターの音にかき消されつつあるとしても、いまなお、あるいはいまだからこそ、商店街という言葉のうちには、もはやない/いまだない幸福への裏路地がひそかに伸びている。 たわいない言葉の響きに秘められた、無意識の暗号を解読すること――そうやって私たちは、いつしか日常のいたるところから枝分かれしている、迷宮のような運命の敷居をまたぐのだ。

    日常生活の暗号解読術 :『たまこまーけっと』と無意識のポリローグ - てらまっとのアニメ批評ブログ
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2014/04/26
    言葉遊び、言われてみると確かに。という筋の通った解釈/「疎外感」についてはたまごまごさんは「踏み込まないよさ」だって言ってたな
  • 分身の不在、幽霊の視線:『おおかみこどもの雨と雪』について - てらまっとのアニメ批評ブログ

    細田守監督の『おおかみこどもの雨と雪』が、2012年を代表するアニメ映画のひとつであることに疑問の余地はないだろう。この作品は「おおかみおとこ」である夫を事故で失った未亡人の花が、二人の「おおかみこども」(雨と雪)の子育てに悪戦苦闘する物語である。洗練された映像と音楽、それに感動的なストーリーが多くの観客を魅了し、公開直後から大きな反響を呼び起こすことになった。 しかしその一方で、『おおかみこども』に対する否定的な意見も少なくない。評論系のブログや同人誌では、実際の子育てと大きく異なっていることや、母親をある種のヒーローとして描くことについて、かなり手厳しい批判がなされている。なかでも注目したいのは、「そもそも主人公の花に共感できない」*1というものだ。たしかに母子家庭の子育て(しかも狼男と人間の子供)という大変な状況にもかかわらず、何があってもニコニコしている彼女は──作中でその理由は一

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  • ロンドン、天使の詩:『映画けいおん!』と軽やかさの詩学 ver. 3.5 - てらまっとのアニメ批評ブログ

    以下の文章は同人誌『セカンドアフター vol.1』(2011)の付録として2012年のC81で限定頒布したペーパー「ロンドン、天使の詩──『映画けいおん!』とスカイ系アニメの詩学」を改稿したものです。 「スカイハイ!」──平沢唯 1990年代後半から2000年代前半が「セカイ系」と総称されるアニメの全盛期であったとするなら、2000年代後半以降は「空気系」ないし「日常系」と呼ばれる新しいジャンルの台頭によって特徴づけられるだろう。そしてこの二つの傾向は、これまで互いに相容れないものと見なされてきた。その理由としてまず考えられるのは、「空気系アニメには物語がないからつまらない」というステレオタイプな批判である。たしかにセカイ系の作品には濃密な「物語」があるが、空気系にはそれが希薄であるように見える。そこには恋愛の苦悩も自意識の葛藤もなく、少女たちの穏やかな日常を揺るがすような大事件も起こらな

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  • 多層化するスーパーフラット:マルチレイヤー・リアリズムの誕生(2) - てらまっとのアニメ批評ブログ

    斜めから見る:谷口真人《Anime》と矢吹健太朗『To LOVEる ダークネス』 前回の記事(http://d.hatena.ne.jp/teramat/20110710/1310312513)からずいぶん時間が経ってしまいましたが、今回は第一回目で取り上げた梅ラボに続いて、イメージのマルチレイヤー性にきわめて自覚的なアーティスト、谷口真人に焦点を当てようと思います。まずは以下のページから彼の作品を見てください。 http://blog.makototaniguchi.com/?month=201104 谷口の代表的な作品として知られているのは、《Anime》(2011年)と題された油絵のシリーズです。一見すると、何かごちゃごちゃした絵の具のかたまりが、まるで空中に浮いているかのように見えるかもしれません。しかし私たちはすぐに、この絵の具のかたまりが透明なガラス板の上に貼りついていること、

    多層化するスーパーフラット:マルチレイヤー・リアリズムの誕生(2) - てらまっとのアニメ批評ブログ
    ja_bra_af_cu
    ja_bra_af_cu 2012/07/11
    “スーパーフラットなイメージは〔……〕私たちの視点を固定し、反省を遮断することで、キャラクターへの感情的な没入を引き起こす”
  • 冬コミ(C81)のお知らせ・他 - てらまっとのアニメ批評ブログ

    ご無沙汰しております、てらまっとです。 ずいぶん長いことブログをほったらかしにしていましたが、そのあいだにいろいろとありました。 いろいろとありましたが、ひとまず冬コミ(C81)のお知らせです。 魔法少女のつくりかた こうさくらぶさんの『魔法少女のつくりかた』に「多層化する世界――魔法少女とマルチレイヤー・リアリズム」という文章を寄稿させて頂きました。 魔法少女とアニメのレイヤー構造、それから拡張現実(AR)と聖地巡礼について。 同人誌の詳細はこちら→こうさくらぶろぐ こうさくらぶ『魔法少女のつくりかた』詳細 セカンドアフター vol.1 もうひとつ、同じくこうさくらぶさんに『セカンドアフター vol.1』を委託してもらいました。 こちらにも「ツインテールの天使――キャラクター・救済・アレゴリー」という長い文章を寄せています。 震災と『けいおん!!』と現代アート、それからルイズコピペについ

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