突然発表された4/4の丸の内ピカデリーでの完成披露上映会に何とかスケジュールの都合をつけ駆けつけて作品を見終わった後、鎧塚みぞれが奏でるあのオーボエの旋律と音色が脳裏にこびりついたまま4/21の公開初日を迎えて、朝イチの上映からとにかく「リズと青い鳥」という映画を見なければという焦燥に駆られて4回ほど見た。 完成披露上映会の開幕前に舞台へ立たれた山田尚子監督は相変わらず、口と手足が一緒に動く人だった。 「職人を見るときはまず手を見ろ」というのは誰から教わったのか忘れたけれど、こういう「表情や手足はもちろん全身を総動員して話す」人は、たいてい面白い。それはほとんどの場合、話のイメージが頭の中で既に完成されていて、それを相手に何とか伝えようとしてジタバタしているのを眺めているだけで、なんだかとても楽しいからである。原作の武田綾乃さんも脚本の吉田玲子さんも、今回の主役を演じた種﨑敦美さんも東山奈
いつもの前置きを再び:何をどう工夫してもネタバレは避けられないし、そもそも自分が考えてることは明らかに他の皆さんと違っちゃってるようなので、まだ見てない人はもちろん既に見た人も含め、作品を素直に楽しみたい方は、この記事の存在を忘れてください。ただの感想文とか楽しい感じには絶対にならないので、そういうのを期待してる人は読まないでください。 警告おしまい。あとは好き勝手に書く。こんなのを読むおまえらなんかお化けに取りつかれて呪われてしまえー!! 本題。第六回「あめふりコンダクター」について…って言っても開始数分で三連コンボ食らってKOされちゃったんだけどな。具体的には以下: アバンの音楽がアップテンポなものに変わった OPのモノクロ部分がカラーになった 「君は天然色」 最初のは物語がこれからより加速するという暗示なんだろうけど、OP曲「サウンドスケープ」との繋ぎが超カッコいい。ライブはぜひこれ
TVアニメ「響け!ユーフォニアム」の2期がもうすぐ始まるので、今年の6月くらいからうわ言のように呟いていた「ある仮説」についてまとめておく。いつものノリで妄想を吐き出していくと長くなるに決まっているので、文章を適宜分けて書いていく。また、できるだけ画像を使い引用もするが、言葉足らずで何だかよく分からない話になってしまうかもしれない。あらかじめお詫びしておく。 さて本題。いまさら説明するまでもなく「ユーフォ」はとても面白い作品で、高校吹奏楽部の成長を描くという王道の青春ものながら、吹奏楽部員ひとりひとりのキャラが透けてみえるほど緻密なディテール、細やかな心象描写、力の入った作画、ダメレンズと形容されるほど強烈な撮影、きわめて印象的な音楽など、アニメを構成するどの要素を取り出しても、それぞれに語るべきものがある密度の濃い物語である。今回はその舞台となった、宇治市と物語の関係について考察を進めて
ちょうど去年、正確には2015年の4〜6月に地上波放映されたTVシリーズアニメ「響け!ユーフォニアム」(以下TV版)に思いっきりハマって遂には舞台となった宇治への「聖地巡礼」まで敢行してしまったのは、このブログでご報告してきた通り。過去のあれこれを知りたい方は以下をどうぞ: 過剰で執拗で容赦のないアニメ〜響け!ユーフォニアム(1:キャラクターの配置) 過剰で執拗で容赦のないアニメ〜響け!ユーフォニアム(2;ロケーションと身体と言葉のリアリティ) 過剰で執拗で容赦のないアニメ〜響け!ユーフォニアム(2.5:2つのPVにみるスタッフの理解度) 過剰で執拗で容赦のないアニメ〜響け!ユーフォニアム(3:ボケた映像と手ブレ表現) 過剰で執拗で容赦のないアニメ〜響け!ユーフォニアム(4:アニメにおける芝居とその意味) 過剰で執拗で容赦のないアニメ〜響け!ユーフォニアム(5:最終回を徹底?解読) 過剰で
— しま@ボーマス33 ア22 (@shima_10shi) 2015, 11月 8 中村屋与太郎氏率いる白色手帖は、「VOCALO CRITIQUE」とそれに続く「ボカロ批評」の発行によって、同人活動におけるボカロ批評界(って便宜的に呼ぶけど実体がどういうものかはここでは定義しない)のフロントランナーであり続けた。まずはそのバイタリティと功績に敬意を示したいと思う。 一方、しまさんが指摘する件だが、我々「DAIM」は元々ボカロだけではなくネット上の同人音楽を広く対象として個別にレビューするという方針を取っているため、厳密な意味ではボカロの批評(だけ)を目的にしたサークルではない。ボカロが同人音楽のなかでも比較的アクティブな話題であり、また、ボカロから同人音楽に入ったためボカロと親和性の高い(=ボカロ好きな)レビュアーが集まり、その結果としてボカロ曲を多く扱っているというのが、「DAIM」
実際に再生してみると、ここ数年続いた音圧競争やネットに流れる圧縮音源からは明らかに一線を画した音が飛び出してきたので驚いた。オーディオマニア的な言葉で表現すれば「S/N比が大きい」「分離がいい」「定位がはっきりしている」「音の立ち上がりが速い」等々。このあたりは再生する機器と個人の感覚に依存するのでこれ以上は控えるが、久しぶりに「CDで聴いて」満足できたように思う。 ただ、その満足は、(特に前世紀の)録音芸術を多少でも知る者のひとりであるワタシの過去の体験に基づいていることを、認識しておかなくてはならない。アルバムに収録されている曲を礼儀正しく最初から最後まで順番通りに通しで聴くなどという行為は、もはや一部の好事家の趣味でしかなくなってしまった。そう言うワタシ自身が、この数年は大量の圧縮音源にまみれて「音楽を聴き捨てて」過ごしていた。CDがアイドルと握手するという体験を買うための権利書に変
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