お気に入りのぬいぐるみを手に「黙っているわけにはいかない」と語った森田隆さん。2009年に他界した妻綾子さんの写真が飾られていた=ブラジル・サンパウロで2023年4月17日、隅俊之撮影 被爆地・広島で5月に開かれた主要7カ国首脳会議(G7サミット)のインパクトとは裏腹に、核廃絶への道筋は見えない。被爆者たちは厳しい現実に失望しながらも、世界の取り組みに望みを託す。 親子4人を乗せた移民船「ぶらじる丸」が神戸港を出て、ブラジル南部サントスの港に着いたのは1956年3月だった。たどり着いたのはサンパウロの長屋の一部屋。一家をブラジルに呼び寄せた日本人夫婦は、部屋を洋服ダンスで半分に区切ると、そこで暮らすように言った。柳行李(やなぎごうり)をベッド代わりに置き、部屋のへりに4人でうずくまって寝た。言葉も分からない国でどうやって食べていくのか。「なんでこんなところに来たんかの」。後悔の念がこみ上げ