太平洋戦争中にフィリピンで旧日本軍の捕虜となったアメリカ兵やフィリピン兵を100キロ余り歩かせ多くの死者が出たとされる、いわゆる「バターン死の行進」の追悼式典が10日、激戦地の1つとなったフィリピンのサマット山で行われました。 「バターン死の行進」とは、太平洋戦争初期の1942年4月、旧日本軍がフィリピンのルソン島にあるバターン半島を攻略した際に、捕虜となったおよそ7万人のアメリカ兵やフィリピン兵を捕虜収容所まで100キロ余り歩かせ、多くの死者が出たとされる事件です。 フィリピンではアメリカ軍とフィリピン軍が旧日本軍に降伏した日を祝日に定めていて、激戦地の1つとなったサマット山の霊びょうで毎年、犠牲者の追悼式典を行っています。 ことしの式典にはフィリピンのマルコス大統領のほか、日本大使やアメリカ公使も出席し、3人で霊びょうに花を手向けて犠牲者の霊を慰めました。 式典でマルコス大統領は「かつ