サッカーワールドカップのカタール大会決勝はアルゼンチンとフランスが対戦し、3対3で延長戦でも決着がつかずペナルティーキック戦のすえ、アルゼンチンが36年ぶり3回目の優勝を果たしました。 MVP=最優秀選手は優勝したアルゼンチンのキャプテン、リオネル・メッシ選手が選ばれました。決勝で3得点、ハットトリックを達成したフランスのキリアン・エムバペ選手が8得点で得点王に輝きました。 (※試合の詳しい経過や談話などは記事後半に) ワールドカップカタール大会の決勝は日本時間の19日、ドーハ近くにあるルサイルスタジアムで行われ、36年ぶりの優勝を目指す世界ランキング3位のアルゼンチンと、2連覇を目指す世界4位のフランスが対戦しました。 試合は序盤からアルゼンチンが主導権を握って相手ゴールに迫り、前半23分、アンヘル・ディ マリア選手が倒されて獲得したペナルティーキックをエースのリオネル・メッシ選手が決め
#SAMURAIBLUE(#サッカー日本代表)が、初のベスト8入りを目指すFIFA #ワールドカップ カタール2022で白星スタートを切りました。11月23日(水)にドーハのカリファ・インターナショナル・スタジアムにて行われたグループステージ初戦でドイツ代表と対戦。後半交代出場した堂安律選手(SCフライブルク)と浅野拓磨選手(VfLボーフム)が得点を決めて2-1の逆転勝ちを収めました。 日本代表がワールドカップの舞台で、西ドイツ時代から2014年まで4度優勝を経験している強豪ドイツを相手に、後半の反撃でインパクトのある逆転劇を演じました。 日本は1994年大会最終予選でドーハの悲劇を味わった地で、30年前の悔しさを選手として経験した一人でもある森保監督の下、ワールドカップ初の逆転勝利で大金星をマーク。2大会連続でのノックアウトステージ進出と初の8強入りへ好発進です。 0:00 オー
こんばんは。 ロンドンは相変わらず寒くて、毎日大体どこかのタイミングで雨が降ります。 ロンドンは雨のイメージが強いけど、調べたら意外にも年間の降水量は東京の方が多いらしいです。(本当か?) 街はクリスマスムードでマーケットやイルミネーションが町中でみられて、日本とはまた違った雰囲気の本場のクリスマスを楽しんでます。 去年もドイツでクリスマスを過ごしたのですが、ヨーロッパのクリスマスは本当に綺麗だし、コロナが明けて海外旅行を考えている人は是非いってみてください! クリスマスムードのロンドンの街並みさて、4年に1度の世界最大のフットボール祭典W杯が行われているわけですが、フットボール(サッカーっていうと怒られる)発祥の地イギリスでW杯を観戦するのはロンドンに来る前から楽しみにしていました。 イングランド代表の初戦をロンドンのPUBで観戦していたのですが、イングランドが大勝したこともあり、老若男
日本サッカー協会は、招致を進めていた2023年の女子ワールドカップについて、総合的に厳しい状況になっているとして、招致から撤退することを決めました。 2023年の女子ワールドカップは日本、コロンビア、それに共催を提案しているオーストラリアとニュージーランドの合わせて3つの候補地が争っていて、今月25日、FIFA=国際サッカー連盟の理事によるオンラインによる投票で、開催地が決まることになっています。 日本サッカー協会は、招致の成功を来年秋に開幕する女子のプロリーグ「WEリーグ」とともに、女子サッカーの普及や強化につなげる大きな柱として位置づけ、国内の8つの都市に試合会場を設ける計画を示していましたが、22日、臨時の理事会を開き立候補を取り下げることを決めました。 日本サッカー協会の須原清貴専務理事は理事会のあと記者会見し、立候補を取り下げた理由について「女子の世界一を決める大会はワールドカッ
ロックバンドのギターとボーカル 司会者やコメンテーターとしてのタレント活動 役者としても活躍している うじきつよしは影のないキャラクターとして広く活躍している そんなうじきだがワールドカップの時期になると周囲を困らせる パッと一人で現地まで出かけてしまうので マネジャーが大慌てするのだ 観戦歴も四半世紀を超えた 「昔ほど通っていない」というが 今もうじきの姿はしばしばスタジアムで目撃される 自分でチケットを買ってニコニコと座っている そんなうじきに日本代表を振り返ってもらった かつて「Jリーグ A GOGO!!」という番組があった 日本代表の試合を見始めたのは1993年からだから、そこからだと26年。当時はそのころサッカーを見始めた人を、新参者扱いというか、「お前たち、日本のサッカーのこと全然わかってないだろう」的な、そういう感じで扱うおっかない人がたくさんいたよね、まだね。 「何でお前が
2018年、1人の名審判が国際審判員を退いた 2010年南アフリカ、2014年ブラジル、2018年ロシア 3回のワールドカップに参加したが一度も笛は吹かなかった なぜなら、相樂亨は副審だから ピッチの中を自由に動き回れる主審と違い ハーフコートのタッチライン沿いを何往復もする副審は どんな選手とも違う風景を見ている 主審にすら理解されていないこともある 副審が旗を上げないとき何を考えているか 忘れられない判定は何か 今後副審はどのような役を担っていくのか 独特の世界をゆっくりと語ってもらった 副審という職業の難しさとは 今、Jリーグで副審が旗を上げたときは、96パーセントの正確さなんですよ。2年ぐらい前から副審担当のインストラクターの方が、フラッグアップしたものについては全部数えてるんです。「コミュニケーション・システム」で審判はみんなマイクを付けて確認し合ってますから、精度は上がったと思
1985年10月26日、曇天の国立競技場で日本はワールドカップ初出場をかけ、韓国と対戦することになった。チアホーンが鳴り響く中、アナウンサーはこう言って放送をスタートした。 「東京千駄ヶ谷の国立競技場の曇り空の向こうに、メキシコの青い空が近づいてきているような気がします」 1986年6月22日、ワールドカップメキシコ大会の準々決勝、アルゼンチン対イングランド戦、伝説のディエゴ・マラドーナ5人抜きを実況はこう伝えた。 「マラドナ、マラドーナ、マラドーナ! 来たー!! マラドーナー!!!」 山本浩アナウンサーはその後も、ジョホールバルの歓喜、日本が初めて出場したワールドカップなどを伝え続け、数々の名台詞を残した。その裏話と、そこに至るまでにどんな苦労があったのか、今の実況の難しさを聞いた。 プロ野球の実況がアナウンサーのステータスだった時代 変化の多い時代だったですね。たまたまといいますか。
2018年07月09日11:22 カテゴリ 【ロシアワールドカップ】今回のロシア遠征で一番印象に残ったシーン 今回のロシア遠征で一番印象に残ったシーンは、これでした。 ポーランド戦の後にゴミを拾う原博実Jリーグ副理事長、日本サッカー協会常務理事。ポーランド戦の最後の終わらせ方が論議を呼びましたので注目されることは少なかったのですが、これはちょっとした天気ではなかったかと思います。 1993年にサポーターが始めた文化が、25年かかって日本サッカー協会、Jリーグの幹部に届きました。国内の試合だと、場内アナウンスで「クリーンサポーター」を呼びかけたりするのですが、それを組織の上部が実践したという点で私は素晴らしいと思います。 【ワールドカップ】四半世紀をかけてついに上流に到達したサポーター文化 カテゴリなしの他の記事
森島寛晃は苦労した 現役時代は2回のJ2落ちを経験した 2002年日韓ワールドカップのときもJ2だった 引退は首が原因で今も治っていない だが森島はいつも明るい 苦労話を笑いに変える力も持っている 日本が初めてワールドカップのベスト16進出を決めた 自身のゴールすら笑える秘話にする 成し遂げたことは偉大なのに 常に謙虚な姿勢を崩さない 食事に関する話でも 気配りをしながら語ってくれた 地元で決めた日韓W杯GL第3戦、チュニジア戦のゴール 2002年日韓ワールドカップのグループリーグ第3戦、チュニジア戦では「おいしい」思いをしました。あれ、長居スタジアムだったってとこがまたおいしくて。もし長居じゃなかったら自分の中でも気持ちが違ってたと思うんです。 何よりもフィリップ・トルシエ監督があそこで使ってくれたというのが意外で。僕は監督のことを「空気読めない男」だと思ってましたから(笑)。「ここのス
林舞輝の日本代表テクニカルレポート第1回:日本対コロンビア 欧州サッカーの指導者養成機関の最高峰の一つであるポルト大学大学院に在籍しつつ、ポルトガル1部のボアビスタU-22でコーチを務める新進気鋭の23歳、林舞輝が日本代表のゲームを戦術的な視点から斬る。第1回のテーマは「コロンビア戦で、なぜ日本は数的優位にもかかわらず苦しんだのか?」。 試合開始直後の退場&PKから試合前のプランが崩壊した両チーム。その中で、組織として戦おうとしたコロンビアと、個がその場その場の判断で「孤軍奮闘」した日本。「個の日本」が「組織のコロンビア」を走力と技術で上回ったという試合だった。 開始わずか3分でカルロス・サンチェスが退場しPKを獲得という、日本にとって望外の幸運が訪れる。ペケルマン監督にとってはもちろん想定外だったろうが、西野監督もまさか3分で相手が1人少なくなり1-0という状況は想像できなかっただろう。
舐められつづけた日本代表のリベンジ!4年前につまずいた出来事すべてを乗り越えた「4年プラス90分」の激闘の巻。 Tweet Share on Tumblr カテゴリ:サッカー 2018年06月20日08:00 お帰りなさい、日本代表! ワールドカップ・ロシア大会。逆風に打たれるようにして登場した我らが日本代表。その風は、世界からの「格下」という目線であり、日本国内からの「愚か者」という目線でもありました。本大会2ヶ月前に監督を交替するという振る舞いは、世間の不安を煽り、ファンの分断を引き起こし、ことさらに悪い風となって日本代表を襲いました。 文句や不満があるのは個人の自由ではあるけれど、何故せめて大会が終わるまでひとつになって応援してやれないのかと、悲しくなるような言葉をたくさん聞きました。情けないと思いました。「未来のために負けろ」などという詭弁。とても応援している人間の言葉ではないと思
2010年、岡田正義氏が審判を引退した。それまでJ1リーグで笛を吹いたのは336試合。同年までに岡田氏以上の試合出場数があった選手は、26人だけだった。つまりほとんどの選手よりも多く、岡田氏はJリーグに「出場」を続けたのだ。 リーグ戦、カップ戦を合わせ546試合。チャンピオンシップやゼロックススーパーカップなどで17試合。さらにクラブの国際試合で17試合、そしてワールドカップを含む国際Aマッチで50試合。合計630試合で岡田氏は笛を吹き続けた。 だが、それだけの実績を持つ岡田氏でも、引退はセレモニーも何もないひっそりとしたものだった。それどころかJリーグがスタートしたころは、笛を吹くのに有給休暇を使いながら休みをやりくりし、何とかピッチに現れるという厳しい環境だった。そんな審判の苦労はなかなか表には出てこない。 笛を吹く試合が割り当てられず、悩んだこともあったそうだ。サポーターの姿を見て心
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