戦後最年少のJFA会長誕生 宮本恒靖氏が就任会見 元W杯戦士、元Jリーガーとして初
戦後最年少のJFA会長誕生 宮本恒靖氏が就任会見 元W杯戦士、元Jリーガーとして初
9月の欧州遠征に臨む日本代表メンバーが31日に発表され、テクニカルスタッフに元セビージャの若林大智氏が入閣したことが分かった。若林氏はセビージャ時代にUEFAヨーロッパリーグ(EL)を2度制覇した実績を持つ経験豊富なアナリスト。W杯優勝を目標を掲げる森保ジャパンに頼れる参謀が加わった。 スペインの指導者ライセンス最上位にあたる「レベル3」の資格を持つ若林氏は、2019年からセビージャに加入。トップチームのアナリストを務め、ラ・リーガに加えてUEFAチャンピオンズリーグ(欧州CL)に参戦した経験を持つ。2019-20シーズン、22-23シーズンにはEL制覇に貢献。スタジアムで優勝トロフィーを掲げていた。 若林氏は今夏からセビージャを離れてJFAに入り、9月の欧州遠征から森保ジャパンに入閣。カタールW杯でチームを支えた寺門大輔氏、中下征樹氏とともに自チームや相手チームの分析業務を行うことに決ま
Number1011号のスペインサッカー特集「久保建英、リーガがゆく」では、トップチームのアナリストとして貢献した若林大智氏に話を聞き、セビージャの強さの秘密に迫っている。NumberWebでは、町クラブからキャリアをスタートさせたという若林氏の軌跡を振り返りたい。 8月21日、ケルンのミュンゲルスドルファー・シュタディオン。セビージャが最多6度目のヨーロッパリーグ制覇を成し遂げたピッチ上に、1人の日本人の姿があった。 「12年スペインにいるんですけど、やってきたことが1つの形となって、ようやく報われた瞬間でした」 歓喜の瞬間をそう振り返ったのは、対戦相手の分析ビデオ作成などを手掛けるスタッフとしてジュレン・ロペテギ監督をサポートしてきたセビージャのアナリスト、若林大智だ。 スペインに渡る以前、若林は草の根レベルでサッカーを教える無名の指導者だった。 選手としてのキャリアは東農大一高サッカ
衝撃的な辛口エールだった。10日に行われた日本サッカー殿堂掲額式典。表彰された木村和司氏(64)はW杯を控える日本代表について「一番は自分たちが楽しんで、みんなを喜ばせてほしい」と期待した後、技術的な部分に触れて「そんなに、うまくないから」。ポツリと本音を漏らした。 その言葉には、代表への熱い思いとともに愛情や期待が詰まっている。「うまい」とはプレーで見ている人を感動させて、喜ばせること。もちろん代表は勝つことが大切。ただ、勝敗だけではないものも求めた。 確かに、木村氏はうまかった。伝説の85年W杯最終予選韓国戦の直接FK。蹴り出しで相手GKを右に動かし、強烈なカーブでボールを左に曲げた。ボールやスパイクが進化した今ならば珍しくもないが、当時は世界的にも「魔術」のレベル。国立を埋めた大観衆にW杯の「夢」を見せた。 最も輝いたのは80年代前半。日産や代表でFKやCKを直接決め、アシストを量産
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日本代表で初出場した選手がミスをして失点した。ハーフタイムにベンチから飛び出した柿谷曜一朗は一目散にその選手に駆け寄り声をかけた。 日本代表で初出場した別の選手がパスをミスした。味方はその後10分以上パスを回さない。すると途中出場した柿谷は無理矢理その選手のサイドにボールを動かしパスを出した。 ヤンチャな面が目立つ柿谷だが、その実、人の心を繊細に読む。そんな「さくら」色のチームのエースに、過去の自分を振り返り、現在の夢を語ってもらった。 柿谷曜一朗が語る代表戦 慰めに行ったとか、パスを出したとか、ちゃんとは覚えてないですけどね(笑)。でも今でもそういうシーンがあれば、そういうことやりたい気持ちがありますね。いつも「もし自分自身が反対の立場ならば」という気持ちはあるんで。 もちろん、そういう落ち込んでいる人を蹴落としてでも残っていかなければいけないのが代表チームやから、いろいろ意見があると思
モンゴル国内ではアシックススパイクは市販されていないにもかかわらず、 なぜ、モンゴル代表選手がアシックススパイクを着用することに至ったのか? その理由と経緯を解説します! 今回、埼スタでの日本代表vsモンゴル代表の一戦で モンゴル代表選手がアシックスのサッカースパイクを履いたのは アシックス社がモンゴル代表にスパイクを支給したわけではなく、 様々な人たちの巡り合せや共感、協力が組み合わさって実現した出来事です。 まず、発起人は現役モンゴルリーガーである渡邉卓矢氏です。 東南アジアなどのサッカークラブを渡り歩き、 現在は3シーズンに渡りモンゴル国内リーグでプレーしているサッカー選手です。 渡邉氏はモンゴルリーグでプレーする傍ら、 U-16モンゴル女子代表チームの指導やサポートにも尽力されていて、 その活動の中でU-16女子選手が足に合っていないスパイクや偽物スパイクを履いていることによって、
<愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ ~日本×カタール~> 西野JAPANのロシアW杯ベスト16を引き継ぐ形で発足した森保JAPAN。 昨年のテストマッチでは南米の強豪ウルグアイを破る快進撃を見せ、アジア杯決勝を迎えるまで目下無敗という成績。 このカタール戦を迎えるまで、森保JAPANには追い風しか吹いていなかったはずが、たった1つの敗戦で今や空気は一変してしまいました。 それぐらい、衝撃的な完敗劇だったと言えるのではないでしょうか。 しかし今大会の勝ち上がりを見ても森保JAPANの強さはアジアでは際立っていたはずでした。 「絶対に先に失点しない」という森保監督の強い哲学が感じられるゲーム運びは、今大会で台頭した「日本の未来」こと冨安を中心にしたDFラインの安定感と5-4-1の撤退も辞さない「人海戦術の守備」が鉄壁を誇っています。 象徴的な勝ち方であったサウジ戦では脅威のボール支配率23%
アジアカップ決勝を翌日に控えた31日、試合会場のザイードスポーツシティ・スタジアムで行われた公式会見で日本代表キャプテンのDF吉田麻也(サウサンプトン)が報道陣から拍手喝采を浴びる場面があった。 森保一監督とともに公式会見に出席した吉田は会見の最後に中東メディアから質問を受けた。日本が決勝で対戦するカタールは準決勝で開催国のUAEを4-0で下したが、国交断絶中の両国の試合は異様な雰囲気の中で行われた。試合前の国歌斉唱ではカタール国歌に対してブーイングが浴びせられ、カタールが得点するたびにスタンドからは数多くのペットボトルやサンダルが投げ込まれた。 決勝に勝ち上がったのはカタールだったが、国交がないため一般のカタール人はUAEに入国できない。地元のUAEのファンは日本がカタールに勝つことを期待し、決勝のスタジアムは日本のホームに近い雰囲気になることも予想される。 こうした状況を踏まえ、決勝で
2019年01月29日04:50 カテゴリ 【2019アジアカップ】アブダビへの決勝の旅 これだけは現地にいないとわからないと思うんです。快勝した翌日の街の温かいこと。 アブダビ行きのバスに乗るため、再びアルアイン・バスステーションに行きました。 ドバイ行きは奥の無愛想なカウンターだったのですが、アブダビ行きは手前の立派なチケット売り場で買います。すると、 「昨日は大勝だったな、よかったな」とニコニコしながら声をかけてもらいました。 ちなみに、バスはアブダビで作った交通カードにチャージしてもらい、乗るときだけタッチして精算します。料金は30AED。路線の名前は「X90」でした。 乗るときも運転手さんが「おめでとう」と一言。 ドバイ行きの20AEDに比べると快適です!! ヒザの前もこんなに空いてますし、満車になるまで発車しないということもありません。 乗ってすぐに後ろの人たちから「昨日はおめ
天真爛漫かつ自由気まま 岩本輝雄には確かにそんな一面もある 出来事だけ見ると不思議に思えることもあるからだ 1年半のブランクから復帰したこともそうだろう 一方でスペイン語はペラペラ チーム分析が頭の中に入っていて立板に水のごとく語る 決して感情に任せているのではない 発想が豊かで正直に行動するのだ いつも明るい岩本が一番苦しかったときはいつか なぜブランクを経て復帰しようと思ったのか 自分をどう分析しているのか 岩本はすべて素直な言葉で語ってくれた 所属チームなしの中、ケガと戦った現役時代 2004年、グランパスにいたとき足首に大ケガしたんですよ。実は1992年、20歳のときも、ブラジルの留学から帰ってきて、最初の練習で足首の靱帯を切ってたんです。 でも当時って、ケガしても頑張るじゃないですか。早く試合に出てほしいという期待も感じてたし。そこで千葉の有名なドクターに診てもらったんですけど、
『戦術リストランテV』重版記念 西部謙司さんトークイベントレポート 前編 8月31日、くまざわ書店 ペリエ千葉本店 特設会場にて開催した弊社刊『戦術リストランテV』重版記念トークイベントの模様を、「フットボリスタ・ラボ」メンバーの嘉数翼さんがレポート。著者である西部謙司さんと、本書の編集を担当した『フットボリスタ』編集長の浅野賀一による“スペシャルメニュー”の前半は「言語化」と「ゾーン守備」について。どうぞお楽しみください。 文 嘉数 翼(フットボリスタ・ラボ) 「サッカーの言語化」とは? 西部「わざわざお越しいただきありがとうございます。ライターの西部と申します」 浅野「この本の編集担当で、『フットボリスタ』編集長の浅野です。よろしくお願いします。ではまず、せっかくこの本(『戦術リストランテV』)の出版記念イベントということでお集まりいただいたので、本の話から始められればと思います。どう
プロサッカーリーグ(Jリーグ)が誕生する以前から、フットボーラーとして生計を立ててきた人々は、いったいどのような環境で選手キャリアを送ってきたのか――。 日本サッカーの黎明(れいめい)期にスポットを当て、サッカーと食にまつわるさまざまなエピソードを語ってもらう今回の企画に登場していただくのは、1980年代から90年代初めに日産自動車(横浜F・マリノスの前身)や日本代表でご活躍された金田喜稔さん。 “キンタ”の愛称で親しまれ、現役時代は切れ味鋭いドリブルを武器に見る者を魅了し続け、木村和司や水沼貴史らとともに「日産黄金時代」を築き上げた。 Jリーグが誕生する2年前の91年、アマチュア契約のまま現役引退。現在は、テレビ解説者や日本サッカー名蹴会の会長として、活躍している。 www.meishukai.or.jp 小さい頃は鶏肉がダメで……。とにかくマズイもんや、と ――金田さんは広島出身ですが
ワールドカップ(W杯)まで約2カ月のタイミングでハリルホジッチ監督が突然解任され、緊急避難的に西野ジャパンが結成された。準備期間もなく、初戦コロンビア戦(日本時間19日午後9時、サランスク)は目前に迫る。自国開催の2002年W杯日韓大会をのぞき、海外開催のW杯では10年南アフリカ大会での岡田ジャパンだけが唯一、1次リーグを突破している。当時、最終責任者としてチームを支えた犬飼基昭元日本サッカー協会会長(75)が日刊スポーツに特別寄稿した。日本代表の苦戦必至が叫ばれる今、チームが浮上する鍵はどこにあるのか。犬飼元会長の南アフリカ大会での経験を元にした「言葉の中に見えたもの ~W杯南アフリカ大会を戦って~」を3回連載する。 ◆ ◆ ◆ 今の日本代表チームをめぐっては、監督交代の混乱、国際親善試合ガーナ戦、スイス戦での不調など、さまざまな批判、意見が噴出しています。 私は、日本代表が苦難の道
サッカーW杯の代表選考には、ドラマが付き物だ。 日本でもかつて、話題をさらったメンバー発表があった。 その主役として、明暗を分けた2人。 12年ぶりの邂逅(かいこう)は、人知れず実現しようとしていた。 4月15日、熊本・えがお健康スタジアム。 東京ヴェルディ戦に備え、会場入りするチームバスを降りたロアッソ熊本FW巻誠一郎は、離れて見守る人影に気付いた。 少し近づいて確認する。間違いない。急いで駆け寄り、声をかける。 「タツさん?タツさんですよね!」 短く刈った頭に、無精ひげ。見た目は当時とほとんど変わらなかった。元サッカー日本代表、久保竜彦だった。 再会を喜ぶ後輩に、久保は少し照れたように歩み寄る。ジャージの裾でゴシゴシと右手を拭い、握手をする。 「マッキー、元気そうやな。いくつになったん?」 「38です!」
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