文化勲章を受章した作家の河野多惠子(こうの・たえこ、本名市川多惠子=いちかわ・たえこ)さんが29日午後7時15分、呼吸不全のため東京都千代田区の病院で死去した。88歳だった。葬儀は近親者で行う。喪主はおい河野明氏。後日お別れの会を開く予定。
トップ > 中日スポーツ > ドラゴンズ > ドラニュース一覧 > 1月の記事一覧 > 記事 【ドラニュース】 大豊さん逝く 94年一本足打法で本塁打王 2015年1月20日 紙面から 広島戦の8回、通算200号となる逆転3ランを放ち、花束を高々と上げファンの声援にこたえる大豊=1997年5月11日、ナゴヤドームで 元中日内野手で1994年に本塁打、打点の2冠王に輝いた大豊泰昭(たいほう・やすあき、本名・陳大豊=ちん・たいほう)さんが18日午後10時41分、急性骨髄性白血病のため名古屋市内の病院で死去した。51歳。台湾出身。葬儀、告別式は近親者で執り行う。喪主は妻百合子(ゆりこ)さん。台湾出身で王貞治さん(現ソフトバンク会長)にあこがれて来日し中日、阪神で現役14年間、計277本塁打をマークした。引退後、飲食店を経営していた2009年に、急性骨髄性白血病を発病し闘病を続けてきた。 記事全文
「序の舞」「鬼龍院花子の生涯」など運命にあらがい高い志を持った女性の一生を描き、多くのベストセラー作品を生んだ作家の宮尾登美子(みやお・とみこ)さんが、昨年12月30日、老衰で死去した。88歳だった。葬儀は近親者で営まれた。喪主は次女環(たまき)さん。 1926年、高知市生まれ。芸妓(げいぎ)紹介業の家に劣等感を持って育つ。17歳で結婚、45年3月に教員の夫、長女と旧満州へ。敗戦後に帰国し、農業を営む夫の実家で働きながら小説を書き始めた。 執筆に力を入れ始めた62年、「連」で女流新人賞に。離婚・再婚を経て66年に上京し、雑誌編集者をしながら書いた「櫂(かい)」で、73年に太宰治賞を受賞した。 幕末から昭和まで土佐伝来の琴に託し、芸の道を究める女たちを描いた「一絃(いちげん)の琴」(78年)で直木賞を受賞。女性初の文化勲章受章者の日本画家・上村松園をモデルに、朝日新聞に連載した「序の舞」(8
ジョー・コッカー氏(英出身の歌手)米メディアによると、22日、肺がんのため、コロラド州クロフォードの自宅で死去、70歳。 独特の歌声を持つソウル歌手として知られた。英中部シェフィールド出身。60年代にデビューし、ビートルズの楽曲「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」のカバーがヒットした。 米国で69年に開かれた伝説的なロックコンサート「ウッドストック・フェスティバル」のパフォーマンスが評判を呼び、人気歌手の仲間入り。米映画「愛と青春の旅だち」(82年)の主題歌をデュエットで歌い、グラミー賞を受賞した。
近年、世界の音楽シーンをけん引してきた有名実力派ミュージシャンの訃報が相次いでいる。そんななかまた1人、伝説と崇められた人物がこの世を去った。 ブルースギターで世界を魅了した、ギターリストのジョニー・ウィンターが亡くなっていたことが明らかになったのだ。彼は3大ギタリストの1人、エリック・クラプトンにも多大なる影響を与えたと言われている。ブルースに人生を捧げた偉大なるミュージシャンの死に、世界中の音楽関係者は衝撃を受けているようである。 ・仲間の妻が死を報告 海外の音楽情報サイト「Consequence Of Sound」によると、ジョニーの死は彼の音楽仲間であるリック・デリンジャーの妻が明かしたものとのことだ。 ・68年にデビュー ジョニーは1968年にデビュー。当時、レコード会社が新人の彼に巨額の契約金を支払ったため、デビューと同時に脚光を浴びることとなった。翌年69年に40万人を集めた
トップ > 社会 > 速報ニュース一覧 > 記事 【社会】 矢入一男さん死去 世界的ギター「ヤイリ」製作 Tweet mixiチェック 2014年3月9日 12時25分 2005年11月、ギター「一五一会」を手にする矢入一男さん=岐阜県可児市で 元ビートルズのポール・マッカートニーさんらのギターを製作した岐阜県可児市の「ヤイリギター」社長、矢入一男(やいり・かずお)さんが5日、多臓器不全のため死去した。81歳。通夜と葬儀は近親者と社員のみで執り行った。自宅は岐阜県可児市下恵土。 名古屋市北区生まれ。1945年、空襲で焼け出され、母の実家があった可児市へ。旧制東濃中学を卒業後、父が経営する矢入楽器製作所(当時)に就職。62年に渡米してギター製作の修業をした後、製作所を継いで65年にヤイリギターを設立し、社長に。70年に米国の楽器商と契約し、輸出ブランド「アルバレズ・ヤイリ」を発表した。製品
米ニューヨーク(New York)のマディソン・スクエア・ガーデン(Madison Square Garden)で行われた自身の90歳の誕生日を祝うコンサートで歌う伝説的フォーク歌手ピート・シーガー(Pete Seeger)さん(2009年5月3日撮影)。(c)AFP/TIMOTHY A. CLARY 【1月28日 AFP】米国の伝説的フォーク歌手ピート・シーガー(Pete Seeger)さんが27日、死去した。94歳だった。 米紙ニューヨーク・タイムズ(New York Times)によれば、シーガーさんは、1週間ほど前から入院していたニューヨーク・プレスビテリアン(New York Presbyterian Hospital)病院で亡くなった。老衰だったという。同紙は、シーガーさんが取り上げたテーマは米国の左派の関心を反映していたと伝えている。 シーガーさんは1940~50年代には米国
イタリアメディアによると、世界的に有名なイタリア人指揮者、クラウディオ・アバド氏が20日朝、伊北部ボローニャの自宅で死亡した。80歳だった。 伊北部ミラノ出身。ミラノ・スカラ座の芸術監督やウィーン国立歌劇場の音楽監督、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の芸術監督を歴任した。胃がんを患い、闘病を続けていた。(ローマ=石田博士)
考古学に文献史学などの多様な視点を取り入れ、学問的成果を広く市民に紹介した考古学者で同志社大名誉教授の森浩一(もり・こういち)さんが6日、急性心不全のため京都市内の病院で亡くなった。85歳。葬儀は近親者で営んだ。自宅は京都市東山区本町15の778の18。喪主は同志社女子大名誉教授の妻淑子(としこ)さん。 大阪市生まれ。1957年、同志社大大学院修士課程を修了後、大阪府立泉大津高校教諭などを経て、72年に同志社大教授。多数の古墳の調査を手がけるとともに、各地の遺跡の保存に取り組んだ。 天皇陵の公開を先頭に立って求めたり、女王卑弥呼(ひみこ)がもらった鏡とする説がある三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)を中国鏡とすることに疑問を呈し、62年、いち早く国産説を唱えたりするなど、多数の著作や講演を通じて、考古学ブームの推進役となった。91年度から2006年度まで毎日出版文化賞の選考委員
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