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精神分析に関するlotus3000のブックマーク (8)

  • 二分心 - Wikipedia

    二分心(にぶんしん、英: Bicameral Mind)は、ジュリアン・ジェインズによる人間の心の仮説である。1976年の著作『神々の沈黙-意識の誕生と文明の興亡』[1](英: The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind[2])により提唱された古代人の意識についての仮説である。 概説[編集] ジュリアン・ジェインズは、人の意識の起源の研究を進めるにつれ、意識は言葉に深く根ざしているため、人が言語能力を持たない段階では意識はなかったことに気づいた。さらに、言語を会得した後の段階の考察を、西洋古典学・神話学・考古学・心理学を駆使して進め、意識の起原は意外に新しく、今から約3000年前に生成したと結論するに至った。それ以前の人間は、意識の代わりに二分心を持つことにより、社会生活を成り立たせていたという。 ジ

  • アブラブログ

    あなたたちは、やめようと思えばやめられることを、なぜそんなに毎日毎日続けられるのだろう。 あなたたちは、何もする気がないときにも、なぜ次の朝、疲れ顔で出かけられるのだろう。 あなたたちは、なぜ自分は自分をコントロールできると思えるのだろう。 殺してやるから、殺しにおいでよ。 世界を引き裂いてあげる。

  • 僕が僕であるために頭脳警察を粉砕せよ!フロイト精神分析発大衆操作プロパガンダの歴史ドキュメント「自我の世紀(3)」

    2002年BBC放映の名作ドキュメンタリー「自我の世紀」第3部 日語翻訳版をつくりました (第1部&第2部) (ダウンロード) (YouTubeで見る) 監督アダム・カーティス 原題は 「Century Of Self3- There is a Policeman Inside All Our Heads: He Must Be Destroyed(頭脳警察を粉砕せよ)」 フロイトの無意識理論がいかに大衆操作に利用されたかを辿るドキュメンタリー 今回第3部は米60年代の「自我の解放」「自分探し」ブームが 企業社会や政界にとりこまれていく過程を追います シリーズ白眉はこの回と思われる これだけ見ても最高に面白い 御用のない方60分つくって上の動画を是非ご覧あれ 以下は解説を兼ねた訳者の自分語り *友達と縁を切ったことがある 「もう来ないで欲しい」と部屋から追い出したことがある 20年も前の

    僕が僕であるために頭脳警察を粉砕せよ!フロイト精神分析発大衆操作プロパガンダの歴史ドキュメント「自我の世紀(3)」
  • わたし用メモ

    「ことなかれ主義」とは、受動性ではなく、「ことをなくそうとする」能動性である。 ここには、そう語る主体が己の能動性を隠蔽(否認)する心理が含意されていることが多い。 これに欺かれると、「欲望を科学する」精神分析は進まない。 大文字の他者に欺かれる。 進めないならそれでもいいんだけどね。 「お前はまるで無力じゃない。己の力をないことにして力の効果を引き出そうとしているだけ」 「それはお前の力だ。お前は力で他者を屈服させようとしているのだ。「ことなかれ主義」とはそういうものだ」 「その力をまず自分自身に向けなさい。自傷しなさい。自殺しなさい」

  • 「最低限の、必要なこと」 - Freezing Point

    INTERVIEW 《「正常」とは何ですか?:伝説の精神病院「ラ・ボルド」で写真家・田村尚子が写した問いかけ》(WIRED.jp) 何かの琴線にふれたみたいで、twitter でもたくさん言及されています。 田村氏が撮影したラボルドは、ニコラ・フィリベール監督の 『La Moindre des Choses』(邦題『すべての些細な事柄』)という映画になっています。 みんなが仮装大会(?)をしているとき、すぐそばで参加せず、知らん顔の人がおられることに注意。 この病院では、「ひとつのイベントが全体を支配する」ような、単一的な支配の状況が嫌われるそうです。参加したくなければ、自分で別の時間を過ごせばいい。 「時間軸が、たくさん生きられる」ことが、臨床上の重要な指針になっています。 すべての些細な事柄 [DVD] 出版社/メーカー: バップ発売日: 2008/08/27メディア: DVD購入:

    「最低限の、必要なこと」 - Freezing Point
  • 絶対に避けられないものを目標にする - Freezing Point

    私がどうしても抜けられなかった固執は、 この現象から trauma 可能性を消したい。その意味で、現実を現実でなくしたい。少なくともその変更可能性に向けて従事するのでなければ、その可能性があるのでなければ、とてもこの現象経験に耐えられない。*1 だったと思う。 それは、この現象から死を排除したい、できなければとても生きていられない、だった。 神経症は、《死にたくない》という形をしている。*2 いつか訪れる死だけでなく、突然すべてが破綻する可能性も、廃絶できない。 廃絶できないものを「廃絶できるかもしれない」として、その可能性を拠り所にリアルポリティクスへの参画をなかったことにする。 これこそ現実逃避ではないか。こんな逃げが強迫化すれば、実務は無能になる。 死が絶対に避けられないなら、それをうまくデザインすることは、不可避の仕事になる。*3 適切な死を、あるいは安楽死を目指せば良い。 そう気

    絶対に避けられないものを目標にする - Freezing Point
  • 集団的に生きられる主観性と、主体化の失敗 - Freezing Point

    以下のセミナーを聴講。 「断片的主観性:主観性の生産プロセスをめぐる冒険」(第23回ときめき☆セミナー) 講師: ステファン・ナドー(ヴィル・エヴラール病院)*1 日時: 2011年10月31日(月) 15:00〜18:00 場所: 大阪大学(吹田キャンパス) 生命科学図書館4階 AVホール いまの問題意識を、率直にメモしておきたい。 まずナドー氏は、基幹となる問いを 《誰が話すのか(Qui parle?)》 とし、 「ホメロスは当に実在したのか」をめぐる3つの立場を解説する。 (1) ホメロスという1人の詩人が、多くの詩人を止揚した。 プラトン-カント-ハイデガーと繋がる、超越論的哲学に代表される立場 (2) 砂の中から砂金を発見するように、不純物としての他の詩人を取り除き、ホメロスという1人の天才を発見すべき。 「1つの主体=1つの実体」という、アリストテレス的な立場 (3) 詩を書

    集団的に生きられる主観性と、主体化の失敗 - Freezing Point
  • 強迫神経症と、「私は考える、ゆえに私は存在する」

    schizoophrenie @schizoophrenie 「私は考える,ゆえに私は存在する(je pense, donc je suis)」というデカルトの言葉が,それほどうまくいくわけではないということを最も優れた形で私たちに教えてくれるのは,強迫神経症者をおいて他にない. 2011-08-26 17:47:52 schizoophrenie @schizoophrenie 彼は考える.彼は自分の人生について,そして部屋の鍵やガスの元栓について絶えず考える.その考えは一日中同じところをずっと周りつづける.そうして考えに疲れたときに,彼の一日は終わる.彼は疲れ果て,このように言う.「私も他のみんなと同じように,何も考えずに人生を楽しめればいいのに…」 2011-08-26 17:48:20

    強迫神経症と、「私は考える、ゆえに私は存在する」
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