先日、昔の仲間のところへ寄ったら 昔関係していたある防具付き空手の国際大会の プログラムを見せられた。 わしの名前が大会顧問の欄に載っていた。 へえーまだ忘れられてなかったんだと 感心すると同時に主催者に感謝した。 まったくくだらないことで名前を使われるのは いやなものだが、この団体はもう長く活動を 続けているところなのでちと嬉しかった。 そういえば二年位前に同じ大会を見に行ったことがあった。 十数年ぶりにあった昔の仲間は 今はもういい年だ。 初期メンバーの伊藤氏などはガンで死去したし その他の人もほとんどが肥満や高血圧、 糖尿と加齢による不調を抱えていた。 一人が言った。 「もう昔のように体が動かないから口ばかりうるさくなって」 その言葉には実感があった。 実際、空手などの格闘技で年を取っても 衰えない人はほんの一握りにすぎない。 ある意味、天才的な人だ。 そのほかの大部分の人は年年歳歳
どんなに自分をごまかして うつくしく みせようとも、がんばってみせようとも、ごまかしきれるものではありませんね。 自分に むすばれたゴムをふりきろうとしてみたけれど、やっぱりゴムの力が つよくて ばっちーん、みたいな。 ふりだしに もどる。 みのほどをしる。ところで。浜田寿美男(はまだ・すみお)『「私」をめぐる冒険-「私」が「私」であることが揺らぐ場所から』洋泉社から引用します。第二章 「自閉症という「私」の鏡」のフレーズです。私は、断念ということばは、とてもポジティブなものだと思っています。目の前に高すぎる不可視のハードルがあるときには、断念がなければ、相手を肯定したり、相手の居場所を認めたりすることができません。…中略…cure[治療、なおす-引用者注]を目指すことがそのまま相手を否定することにつながることがあるし、逆に、断念することが関係の回復に直結することもあるわけです。その意味で
其の島に天降り坐して、天の御柱を見立て、八尋殿を見立てたまひき。是に其の妹伊邪那美命に問ひて曰りたまはく、「汝が身は如何にか成れる」とのりたまへば、答白へたまはく、「吾が身は、成り成りて成り合はざる処一処在り」とこたへたまひき。爾に伊邪那岐命詔りたまはく、「我が身は、成り成りて成り余れる処一処在り。故、此の吾が身の成り余れる処を以ちて、汝が身の成り合はざる処に刺し塞ぎて、国土を生み成さむと以為ふ。生むこと奈何」とのりたまへば、伊邪那美命、「然善けむ」と答曰へたまひき。 「古事記」 『イザナギは、イザナミに「あなたの身体はどんなふうになっていますか」と聞いた。イザナミは、「私の身体は、完成しましたが、一ヶ所塞がらない避け目があります。」と答えた。イザナギは、「私の身体も完成したが、よけいな突起が一ヶ所ある。だから、私の突起を、あなたの避け目に入れて塞いで、国を作ろうと思うが、どうか。」とイザ
暮らし BLOG「芦田の毎日」: 家内の症状報告(125)― 身体障害者に対して「腹が立つ」5箇条(歩けない家内にタックルしたくなる瞬間)
「話のツボ」や「ツボにはまる」といった言葉を暮らしの中で耳にすることは多い。なにげなく使っている「ツボ」だが、由来は東洋医学の鍼灸術にある。 鍼を打ったり、もぐさを燃やしたりといった施術を受けたことのない人でも、鍼灸は人体に存在するツボを活用する医学だということは知っているだろう。 今回登場いただく寄金丈嗣さんは、鍼灸師の資格をもっている。ところが、ツボの存在は「妄想だ」と断言する。実感として存在するが、実体はない。それがツボだというのだ。 わかったようでわからない。そんなツボを通じて見えてくるのは、人間の体、生命の不思議さだ。 寄金丈嗣(よりかね たけつぐ) 1963年東京都生まれ。87年鍼灸師・按摩マッサージ指圧師の資格を取得。鍼灸を柱に据えた伝統学術の出版企画会社・六然社主宰、ジャーナリスト。高校時代よりフリーライター・編集者として活動。特に伝統的な職人技や、民間医療等の現場調査をラ
来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
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