日本のコーエーテクモゲームス(当時 光栄)が初の歴史シミュレーションゲーム『川中島の合戦』を発売したのはいつか? ――正解は、1981年である。 そのときには、まだパソコンでゲームをする文化自体が相当にマイナーな楽しみに過ぎなかった。有名なパソコン版の『シヴィライゼーション』が発売されたのでさえ、ずっと後のことである。しかし、そのゲームは、紡績業を営んでいた光栄という会社が大きく業態を変えていく転換点になるほどの話題を日本で獲得した。 その2年後、彼らは『信長の野望』という大人気歴史シミュレーションゲームを生み出した。コーエーテクモホールディングス社長・襟川陽一氏ことシブサワ・コウは、それをRPGや司馬遼太郎の小説をヒントに作り上げたという。我々の遊んできたこうした『信長の野望』などの歴史シミュレーションゲームは、実はコンピュータゲーム史にほとんど忽然と登場したゲームに近い。 『ファミコン
1 名前:枯れた名無しの水平思考:2009/09/14(月) 08:59:54 ID:GH0LGOKG0 嫁の目をかいくぐり トイレや車中でラブプラス。 苦労話やコツがあったら語りあいましょう。 4 名前:枯れた名無しの水平思考:2009/09/15(火) 08:57:48 ID:hxPWZejG0 通勤途中と昼休み、家族が寝静まってからイヤホンつけてやってる。 リアルタイムモードでさすがに嫁の前で、2次とはいえ、 手を繋いだりキスしてにまにまするのは 怖くてできない。 というかデート時間が結構かかるのでごまかしが大変。 でもネネさんが大好き。 20 名前:枯れた名無しの水平思考:2009/09/16(水) 09:53:04 ID:epcEKEl/0 ラブプラスモード中はさすがに嫁に見せられなかった・・・ 21 名前:枯れた名無しの水平思考:2009/09/16(水) 10:00:58 I
最初のゲーム体験は任天堂のテレビゲーム15だったと思う。従兄弟か誰かが持ってて貸してくれたんだよね。その後クリスマスプレゼントにパックリモンスターをもらって。これはバンダイが出してたパックマンのパチモンゲーム。ハイスコアが出るたびノートに書いてたんだけど、最初の頃はやるたびにハイスコア更新するから、いちいち書くのがすごくたいへんだった。 そして小4くらいのときにゲーム&ウォッチのファイアを買ってもらう。死ぬほどやったなー。100人助けるごとにちょっとだけスピードが遅くなるのを発見して、兄ちゃんに「100人ごとにちょっと遅くなるよ!」って何度も教えて「わかってるよ」と冷たく言われたのも今ではいい思い出。 ファミコンは買ってもらえなくて友達んちでやった。床屋のかっちゃんちでデビルワールドをやらせてもらった。飼い犬のノキ(軒下で拾ったから)が家の中でおしっこして、それ踏んづけて靴下がじゅわーっと
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