芸術競技において審査過程の公平性を確保することは重要な課題である.本論文では,審査結果に意図せざる形で偏りが存在しているか否か,存在するとしたらどの程度影響を与えているのか,という問いに対して全日本吹奏楽コンクールを事例として分析を行った.分析の結果,演奏順が後ろであればあるほど有利であるという “overall order bias” と,一つ前の演奏団体のパフォーマンスから影響を受ける “sequential order bias” が存在することが示された.
デパートのイベントスペースに美術商が来ててさ、どんなもんだか興味が沸いたんで覗いてみたんだけど、展示してある絵画とか結構なお値段するんですよ。 誰が欲しがるの、これ? と思いつつも、こういうのを家の玄関に飾っておくとオシャレかなと思ったんで、家に帰ってから粗末な知識量全ブッコミで画像検索で物色してたんです、いわゆる名画を。 パブリックドメインだったらカラーコピーしようと思って。 だけどやっぱね、普段から芸術とかあんま興味ないから、これだ!って思うの、無い。 肖像画は家に飾るの絶対やだ。呪われそうだからやだ。 宗教画もやだ。祟られそうだからやだ。 キュビズムとかそれ以降の前衛芸術もやだ。描いた奴、頭おかしい。というか、そもそも年代的にまだパプリックドメインになってないんじゃないか? となると、あとは静物画か風景画ということになる。 ゴッホはひまわりが有名だけど、バラの方が断然美しい。ただ、決
美術系の大学に通ってるんだけど、サブカル系の講義で諸星大二郎が絶賛されていた。世界的評価が高く、今の漫画やアニメに多大な影響を与えていると。 名前も聞いたことがなかったので、大学の友達と一緒に『マッドメン』やら『暗黒神話』やら『妖怪ハンター』やら読んでみた。 オカルトや文化人類学、SF要素があって、内容的には面白そうというか、好きなタイプの話だ。五十嵐大介は好きだし、文化人類学の書籍を趣味で読んだりもするし。 でも、なんか乗れない。 読み進めていくほどの力が感じられない。 自分がわからないだけかと思って、他の友達にも聞いてみたが、皆いまいちな反応。 アイデアが面白い話はあるけれど、それを活かしきれてないというか…。 こういうこと言ったら失礼かもしれないけど、諸星大二郎って絵があまり上手くない。昔はこれぐらいの漫画家が標準だったのかもしれないけど、今、巨匠という意識で読むにはちょっとしんどい
※本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ています 「油絵です」。そんな言葉とともにツイートされた写実絵画に「頭バグる」「嘘だろ……」「え?油絵ぇ!!?」などの声が飛び交い、Twitterが騒然としています。まるで目の前に存在しているかのような圧倒的な表現力……。 画家の三重野慶(@mienokei)さんが投稿した作品には、はにかむようにほほえむ女性の姿が描かれています。肌の質感や黒目に反射する光、髪の毛の一本一本全てに至るまで繊細に描かれており、そのクオリティーについつい見入ってしまいます……。 優しくほほえむ人物が描かれた油絵 以前にも、三重野さんは「油絵だけど写真かと思われてスルーされるけど頑張っててえらい」とTwitter上に作品を投稿(関連記事)。「目にしたままの姿」を描こうとするコンセプトで制作活動を行っており、自分の使う言葉と相手の使う言葉、自分の目に映ったものと心で捉
鳥取県がポップアートの巨匠アンディ・ウォーホルの木製の立体作品「ブリロの箱」5点を計約3億円で購入したことが波紋を広げている。2025年にオープンする県立美術館の集客の目玉として期待を寄せる一方、疑問の声も相次ぎ、県は急きょ住民説明会を開催する事態となった。(藤本幸大、林美佑) 【写真】カメラを構え笑うアンディ・ウォーホル 「ブリロの箱」は、米国のたわしの包装箱を模倣した1964年の作品。経済成長を遂げる米国の大衆文化をアートとして表現し、世界の芸術の価値観に変換をもたらしたとされる。作品は複数制作されている。 県は「都市部の美術館にないポップアートの名品を展示できれば、鳥取の存在感をアピールできる」として、2025年春に倉吉市に新設する県立美術館向けに、5点を計2億9145万円で購入。このうち1点(6831万円)は1968年に制作された希少なもので、残る4点(各5578万円)はウォーホル
▶︎ 都築響一+「下町レトロに首っ丈の会」キュレーションによる「Museum of Mom's Art ニッポン国おかんアート村」が、東京都渋谷公園通りギャラリーにて1月22日~4月10日に開催されている。「おかんがつくるアート」のことと本展が定義する「おかんアート」とはなんなのか、その歴史的文脈をふまえて解説。視覚文化論、美術制度史、ジェンダー論を専門とし、手芸とアートの関係をジェンダーの視点から研究してきた山崎明子(奈良女子大学教授)が論じる。【Tokyo Art Beat】 「おかんアート」の前で思考する「おかんアート」というものが以前から気になっていた。一目見て自分の身近にあったもので、懐かしいと感じる作品が多い。私自身、子供時代にこれらを母と作った記憶がある。小学生でも作れるもので、こうしたモノを作りながら縫う・編む・結ぶなど手芸の基本的技術を知らずに学んだのだと思う。東京都渋谷
久下玄 @kugehajime Designer, Engineer, Strategist/ CEO at tsug / Product Strategist at Coiney,inc / hey,inc / アプリからロボットや空間まで、事業から組織まで、全領域でデザインするのが仕事です。 最近やりたいのはSF映画の中のプロダクトデザインです。 https://t.co/SFkehPTFHX 久下玄 @kugehajime 「美大出てないんですけどデザイナーになれますか」という話題がある。結論から言うとなれる。 ただ美大卒(厳密には実技入学)じゃないとかなり獲得しにくい技術があり、それが、マクロとミクロの視点を行き来しつつ、破綻なく事象の全体像やディティールを客観的にまとめ上げるスキル、デッサン力。 2021-12-05 09:56:29 久下玄 @kugehajime デッサン力は
大西拓磨です。21歳、ニートです。 このたび、縁あって、ここで何か書いていい権利をいただき(、そこから半年が経ち)ました。 とりあえず、僕のここまでの人生をザバーと紹介して最初の記事と代えようと思います。 1999-2011 横浜で、両親の反対を押し切って生まれました。父と母が毎日のように喧嘩している間、僕はどちらの膝にも座れるのが楽しかった思い出です。 内気ながら足が速かったので小学校では男1女6で遊んでたし、うち2人に告白されました(ここで自殺しておけば...)。 これはその頃に描いた船の絵と その間取りです。 2012-2014 3分の1が東大に行く中高一貫男子校に入れさせられましたが、勉強嫌いだったのでずっと遊んでました。 雪だるまに土下座させたりとか、 ポテトで悟空作ったりして。 あとずっとパズドラやってた。無課金で属性一面+297を達成したのは僕が史上初でした(伝わらない)。
「盗めるアート展」が2020年7月10日に開催された。その名の通り、全ての展示品の中から、1点だけ盗んで持ち帰れる展覧会である。主催はsame galleryさん。アートの世界が、長年に渡って宿敵としてきた「盗む」という行為を、敢えて認めるという超エキセントリックな試み。アートすぎる。 SNSで「盗めるアート展」の存在を知り、そのままAmazonで唐草文様の風呂敷を注文した。泥棒の恰好をして、正々堂々盗みを働くことを決めたのである。 結論から申し上げると、当日の「盗み」は、色んな意味で混とんを極めた。まさしく、日本のアートシーンに残る強烈な一日だったと思う。奇妙な一夜の泥棒道中を、まるっとお伝えする。 泥棒、日本の泥棒に決める 正面玄関から盗みを働ける貴重な機会。こんなチャンス、人生二度とこないだろう。ならば「盗みに来ました」と一発でわかる、ストレートな誠実さをもって挑みたい。 強盗、怪盗
キャンバス → 100均に売ってる。 キャンゾール → 地塗り剤だがアクリル用のジェッソなら500~800くらいで済む。 絵の具 → 最低ラインのホルベイン製なら1800~3000で12色セット。 オイル → もともと調合されてるやつでいい。それぞれ買う必要性はほぼない。 洗浄液 → 直接ジャバジャバ洗えるボトルが1800円位。 筆 → 100均で買える。 追記:イーゼルは100均の写真用イーゼルがあるよ。F3~F4くらいまでなら大丈夫。 ただし、以上だけだと死後50年持たせるとかそういう強度はない。 半年たったらワニスを塗るとか必要だけど、メンドクセーなら放置で。 でもってこういう記事はブクマされない。 なぜなら油絵教室でしくじった話だとか、生徒から先生になった話だのというストーリー性が求められるから。 それと洗浄液は基本灯油なので発火に注意。
【外山恒一の「note」コンテンツ一覧】 8月7日の夕方、大変つまらないがゆえに大いに話題になっているらしい「あいちトリエンナーレ」の会場で、報道によれば「『ガソリンだ』などと言いながら警察官にバケツで液体をかけたとして」公務執行妨害の容疑で逮捕された「自称・室伏良平容疑者」についても、それなりに話題になっているようだ。 が、Fラン国家のFラン報道があまりにも低レベルかつ断片的なため、これが一体どういう事件なのかほとんど理解されず、ツイッターなどではトンチンカンな言及も多い。ちょうど、軟弱ヘナチョコ文化人らによって主導されている「あいちトリエンナーレ」の安易な企画が、Fラン国家のFラン国民どもによる低レベルな反発を招き、「会場にガソリンをまいてやる」云々、脅迫電話や脅迫メールなどが相次いでいることが連日報道されていたために、この事件もその流れで“理解”されているフシがあるのだが、それは完全
愛知トリエンナーレ内の展示企画「表現の不自由展」に行ってきた。 当初この企画のことを知ったとき、「これは大変なバッシングに晒されるだろうな」と思ったものだが、事実その通りになった。「早晩中止になるかも知れないから見に行くなら今だ」と思い定め、無理矢理予定を半日空けて名古屋まで出向いたが、その夜、脅迫に晒されてこの展示の中止が決まったことを知って予感は的中した。 なんというか、膝から崩れるような落胆を感じはしたが、驚きはなかったし、奇妙なことに憤る感情もなかった。それは、この炎天下に何日も放置していた鍋を空けてみたら予想通りにドロドロに腐りきっていてもはや手の付けようもなかったのと同じようなもので、予想通りと言うよりは予定通り、この日本社会がもう取り返しが付かないぐらいにダメになってしまっていることを知らされたというよりも再確認させられただけのことだからなのだろう。 ともあれ、落胆を通り過ぎ
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