清新明朗な加賀内閣 @hirataitaisho いだてんで、金栗四三が「浅草から芝の間を駆け回って」ってのと、落語の「富久」を「浅草から日本橋までは近すぎるから、芝までに変える」っていうのがあるけど、この区割りを見ると確かに距離あるよなってわかる。行政区2つ跨ぐわけだし。 2023-06-09 23:25:25
最近いろんなところでもてはやされている「江戸しぐさ」。 怪しい。怪しいですねえ。 「肩ひき」「腰うかし」「傘かしげ」……。 たとえば、「傘かしげ」とは、狭い路地ですれ違いざまに、お互いに傘をかしげて、ぶつからないようにする。 相手を思いやる江戸っ子の粋さで、殺伐とした現代人が忘れた意気がそこにある……という言われ方をしている。 (ちなみに、僕の家の近くにも狭い路地があるが、そこでは今でも雨が降ると必ず「傘かしげ」をみんなやっています。やらないと通れませんので) しかし、これなんかおかしくないか。 江戸って、「火事と喧嘩は江戸の華」と言われたように、ほとんど現代のバクダッドのように治安の悪い場所じゃなかったのか。 「傘かしげ」をしてみんなが思いやりあっていたら、はじめから喧嘩など起こるわけないんだが。 ましてや、喧嘩が名物になることなどありえない。 だいたいこの手の道徳は、必ずしも実際に行わ
新宿といえば、東京いや日本を代表する繁華街だ。でも、私が小学生のころの新宿は、まだまだ戦後の面影をあちこちに残していたものだった。 そんな場所が1つ消え、2つ消えして、昭和の末まで残っていたのが、新宿駅南口と東口の間にあった(現・東南口付近)、いわゆる「御大典広場」の周囲だった。 いまでは、若者たちがひっきりなしに行き交うこのあたりも、昭和の終わりまでは、休日ともなるとひっそりとしていたなんて、若い人たちには信じられないだろう。 今回は、それに加えて、東口から歩いて約10分の新宿二丁目にあった、遊廓跡の木造建築もご覧にいれよう。 *写真にポインタを置くかタップすると、同じ場所の2006年の写真が見られます。 現在の新宿駅東南口広場のあたり。右側が新宿駅。画面の奥を左右に甲州街道が走っている。正面には、御大典広場の店々の裏側が見える。 このあたり、昭和20年代ころは一般人は近づいてはいけない
世界有数の電気街とも言われる秋葉原。電気製品の小売店が他にはない密度で集まっている、東京の中でも独特の個性がある街だ。 休日の混雑ぶりもすごい。その個性ゆえ、外国人からは観光&買い物スポットとして人気があるらしい。 そんな賑わいを見せる街、秋葉原。しかし、「秋葉原」をある意味で正確に訪れてみると、一般的なイメージとは全く違った表情の町であることがわかる。 それはちょっとした盲点であった。そういうわけで、「秋葉原」に行ってきてみました。 (小野法師丸) ●まずは秋葉原の由来から 電気店の密集地帯として知られる秋葉原。日本でも他に類を見ない街だろうが、それは世界レベルでも知られているらしい。そう言えば外国人観光客を対象にしたような店先の店舗もある。
さまざまな国の人びとのことを知り、学ぶイベント「多文化たんけん隊」に参加してきました! 今回のテーマは「歌舞伎町を支えた華僑たち」。どうやってあのパワフルな町が生まれたのか、個人的に歌舞伎町ファンなので行ってみたのですが………知ると、町の見方も変わります、マジで。 (text by 大塚幸代) 歌舞伎町あたりが好きだ。ほっといてくれる感じが好きだ。私は女なので、歩いていても客引きに声をかけられるわけじゃない。ついでに風俗のスカウトやナンパにも逢わない。まだ恐い目に逢ったこともない。騒音を聞きながら、それぞれのビルの空間にみっしりと詰められた世界を想像して、町からあふれるバイタリティを、口を開けて見ているだけだ。 だから今回ネットでたまたま見つけたこのイベントに、とても魅かれた。 「なんなんだろう、この町は?」という疑問が、少しでも解けるかと思ったのです。 華僑のみなさんにナビられて 8月1
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