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社会と人権に関するshidhoのブックマーク (2)

  • 「差別と炎上」の一連にある歪んだ構造...社会の進歩を阻むネット言論の落とし穴

    世の人の多くが「差別はいけない」と思っているのに、むしろ排外的な主張や分断が目立つ現代社会。文筆家の綿野恵太氏は、ただ漠然と「差別はダメ」「ハラスメントはダメ」と考えるのでなく、いっこうに社会が前に進まない現状とその原因を正しく認識するべきだと語る。 ※稿は、『THE21』2022年12月号掲載記事「教養としての『ポリティカル・コレクトネス』」より内容を、一部編集したものです 「差別はいけない」に反発する人たち 現代では「差別をしてはいけない」というのは、至極当たり前のことになった。入学や就職に際して、性別や人種を理由に不当な差別をしてはいけないし、特定の人種や国籍の人を対象としたヘイトスピーチをするのもいけない。もちろん差別につながるハラスメントもご法度だ。 しかし世の中には、こうした「差別はいけない」という共通認識に反発する人もいる。それどころか、近年そういう人が、日増しに増えている

    「差別と炎上」の一連にある歪んだ構造...社会の進歩を阻むネット言論の落とし穴
  • 「単純所持」議論を任せてはいけない人たちがいる

    ■【上】はこちら 当初、橋氏は「児童ポルノ法」の改定論議の中で、冤罪の危惧などの課題があることには、気づいていなかった。ところが、これまでの濃厚な人生経験ゆえの直感なのか「その後、気になって」調べる中で、さまざまな論点があることに気づいたという。橋氏は規制に反対する立場の意見も理解した上で、単純所持の禁止がなくては、児童ポルノ法の来の目的である児童の権利を保護する目的は全うされないと、考えている。 「ネットなどで(冤罪の危惧など)さまざまな意見があることを知りました。意図的に送りつけて、冤罪を発生させた事例があることも知っています。その上で”冤罪が起きるから、禁止しないほうがいい”ではなく、守られるべき法益の重さだとか、冤罪がまったく避けられないのかを、もっと議論すべきだと思います。冤罪は、どんな法でも創り出される可能性はあるのだから”冤罪の可能性があるから規制をしない”というのは一

    「単純所持」議論を任せてはいけない人たちがいる
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