はじめに Delphi を使っていて、何が 標準 Pascal (Standard Pascal) に準拠していて何が準拠していないのかふと知りたくなることがあります。ISO/IEC 7185 の仕様を読めばいいのですが、実際にコードを実行して試したい事がよくあります。 そんな時は ideone で GNU Pascal (gpc) を使ったり、同じく Free Pascal (fpc) で 標準 Pascal 互換モード にしてみたりするのですが、これらは純粋な標準 Pascal ではないので、場合によっては検証にならなかったりします。 標準 Pascal の規格票と解説書を読んでみる (Qiita) 標準 Pascal 範囲内での Delphi 入門 (Qiita) 純粋な '標準 Pascal' を求めて Windows 環境で最も簡単に実行できる標準 Pascal は Scott
この週末は、福岡で開催されたPHPカンファレンス福岡 2016に遠征参加していました。 (長谷川のトークはこれですが、この解説は追って…) この懇親会LTですごく面白いものがありました。 ファミコンのマリオが土管に入った時に、画面が暗転するけど、それはどうしてか、というお話です。 このお話、当時のコンピュータアーキテクチャの前提に依存するお話で、それを5分で、という事で、この頃のコンピュータに関する基礎知識を持っている自分は理解できたのですが、聞いてた人でも理解できなかった人も多かったのではないかと思います。 しかし、これは、みんな知ったら驚くに違いない!勿体なすぎる!ということで、解説エントリです。 このLTは資料が公開されているので、これをベースに解説しましょう。 ファミコンのスーパーマリオブラザーズのステージ開始画面。 黒い画面の上部に多くの情報と、真ん中に少しの情報が表示されていま
MZ-80やPC-8001が登場してマイコンブームが巻き起こった1980年頃、市販の実用ソフトは皆無だった。当時パソコンに触れた少年たちは、そのほとんどがマイコン雑誌に掲載されたゲームなどのプログラムリストを打ち込み、実行して楽しんだ。 そして、なにしろプログラムのソースコードが雑誌に掲載されているのだから、それを改造して楽しんだりも当然できた。ソフトが売ってないんだから、自分でプログラム作るか、他人のプログラムを打ち込むしかなかったのだ。そういう意味で、あの時代のマイコンユーザーは、そのすべてがプログラマかその予備軍だったといえる。まあ、雑誌掲載プログラムをその雑誌がカセットテープに録音して通販してたりもしたので、当時でもソフトを買うという行動はあったのだけど、お金のない少年たちは、打ち込めばタダなソフトに金を払う習慣を形成するのに時間がかかったと思う。通販って当時的にはわりと敷居高かっ
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "高橋はるみ" ゲームクリエイター – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年2月) 高橋はるみ(たかはし はるみ、1966年-)は、日本の元ゲームクリエイター、パソコン雑誌ライター。神奈川県横浜市出身。「ラブリー・ハウス」「フォーサイト企画部」に所属。北海道知事の高橋はるみと同姓同名だが、別人である。 初期のマイコン誌では『高橋晴美』と表記されているものもある[1]。 人物[編集] 1980年代に当時のパソコン用のBASICを使用したゲーム作品を書籍、雑誌にて発表。後に不定期に『マイコンBASICマガジン』に寄稿、また、同誌
まとめ ほりい なおき、佐藤誠市、岩崎啓眞の各氏によるファミコンのサードパーティー誕生時の話 ほりい なおき氏が聞いたナムコのファミコン参入にあたっての事情のツイートと、それに呼応した佐藤誠市氏のツイート、岩崎啓眞氏がハドソンで聞いた事情のツイートをまとめました。 又聞きなど出所不明な情報ではないとはいえ、伝聞であるということには一応留意が必要でしょう。 他にもいろいろな話が出ましたが、独断で表題の話から外れていそうなものは省きました。念のため誰でも編集可にしておきます。 52843 pv 147 22 users 208 まとめ 大森田不可止氏によるMSX・ファミコンなどのゲーム四方山話 ナムコ、ゲームスタジオ、チュンソフトなどでゲームソフトの開発に携わり、またゲーム雑誌「ハイスコア」にも関わった大森田不可止氏が、トークイベントへの参加をきっかけとしてかつてのテレビゲームに関わる話を多数
10年弱ガラケーでウェブ開発をしていた おがた(@xtetsuji) です。 2014年6月8日に「シニアエンジニアによるガラケー大戦回顧録」というイベントを開催させていただきました。 最初は「3人くらい集まってワイワイとガラケー時代のことを語れればいいな」くらいに考えていたら、2万人くらいフォロワーがいる人にRTされて、その日一日中iPhoneが震えっぱなしでした。意図に反して、人によっては悪ふざけと取られて批判されるかもしれないという内容だったので、自分もその日一日中震えっぱなしでした。 結果的にATNDのページには相当のブクマやLikeがついて、一人反響に驚いていました。 ネットの人もジョークがわかってくれる人がほとんどで安心しました。まぁ「近寄ってはダメだ」とか言ってくれる人も良い人です。 「シニアエンジニアによるガラケー大戦回顧録」というイベントへの反応 #garake_kaik
モバイルゲーム 物凄い勢いで勃興したモバイルゲーム業界は、いろいろな課題や問題に直面しながらも巨大化し、今日の時点でのスマートフォン向けゲームの市場へと継承されていきます。 モバイルゲームの歴史 2001 Javaアプリと3Dゲームの登場 Javaが利用できるようになったことにより、ダウンロード型のゲームが供給できるようになりました。 2002 携帯電話端末の大容量化・3D化競争 Java搭載携帯電話端末が登場してからごく僅か1年の間に、アプリのサイズに関しては10倍に広大化し、表現方法も2Dから3Dにシフトし始めました。J-PHONEは『ゼビウス』や『スペースハリアー』などといった昔のアーケードゲームを、ドコモはSIMCITYなどパソコンで世界的規模のヒットを飛ばしたゲームを主力商品としていました。 2003 モバイルゲームの一般化 メモリの制限が厳しいJava仮想マシン上ではなく、OS
ある本との出会いが、その人の進路を決定づけることがある。現在、エンジニアやプログラマーとしてIT業界で働く人の中には、1982年発行のマイコン入門コミック『こんにちはマイコン』がコンピュータ分野へ興味を持つきっかけとなったという人は多いのではないだろうか。『ゲームセンターあらし』などの作品で知られる漫画家すがやみつるの名作が、電子書籍サイト「eBookJapan」で復活した。 eBookJapanサイト。『こんにちはマイコン』は、『ゲームセンターあらし』の登場人物たちがマイコンやゲーム開発ついてわかりやすく解説する 『こんにちはマイコン』が発行されたのは1982年。本書は、LSIゲームの内部設計などを例にマイコンの仕組みや、プログラミング言語BASICをわかりやすく解説。多くの読者をゲーム開発やコンピュータ業界に引き込むきっかけになったことから、"日本のIT業界の礎を築いた漫画"(販売サイ
■2ちゃんねるまとめサイト ヘッドライン:任天堂が新型ニンテンドーDS「DSi」発表…11月1日発売、1万8900円
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