東日本大震災を引き起こした地震活動が原因でできた海底の断層による崖を、新潟大学などの研究チームが世界で初めて発見したと発表しました。新潟大学の植田勇人准教授らの研究チームが潜水艇による調査で発見した…
Something went wrong, but don’t fret — let’s give it another shot.
最期の看取り・最後のお別れができないまま、大切な人がいなくなってしまうことを、臨床心理学の専門用語で「あいまいな喪失」といいます。それが数多く起こったのが東日本大震災です。発生から10年。「あいまいな喪失」に直面した人や被災地の人がどんな思いを抱え、どう向き合っているのか。ジャーナリストの池上彰氏が、災害社会学を専門とする東北学院大学教養学部の金菱清教授の活動を取材しました。 阪神・淡路大震災での疑問が出発点 近年、国内で一度に数多くの「あいまいな喪失」が起きた出来事といえば、2011年の東日本大震災です。この「あいまいな喪失」という視点に立ち、被災地で取材を重ねた大学生がいます。東北学院大学(宮城県仙台市)教養学部・金菱清教授のゼミ生です。 なぜ、この「あいまいな喪失」という視点に立ったのか。それは1995年、6434人の犠牲者(関連死含む)を数えた阪神・淡路大震災での金菱さんのある疑問
ソーシャルネットワークは災害に強い、インターネットは核戦争にも耐える---。2011年3月11日に発生した東日本大震災後、様々な“インターネット神話”がまことしやかに語られた。 しかし、特集の第1回、第2回、第3回で見てきたように、物理的な通信インフラとしてのインターネットは災害に耐えたり、災害を自動的に避けたりする仕組みを持っているわけではない。通信事業者、インターネット接続事業者(ISP)の努力によって、被害を極小化したり早期に復旧したりしている。 TwitterやFacebookなどのソーシャルネットワークが利用できたのも、海外との通信インフラが無事だったことに尽きる。島国である日本は海底ケーブルを使わないと事実上インターネットが使えない。TwitterやFacebookといった米国発の新興ソーシャルネットワークは、オリジナルのサーバーを米国に置いている。米国との海底ケーブルがある程
「われわれも避難するぞ」 成田空港の管制塔(左)と、東日本大震災当時のランプコントロール・タワー=2011年10月撮影【時事通信社】 10年前の3月11日、東北地方の太平洋側を中心に広い範囲で大きな揺れを観測した東日本大震災。「日本の玄関口」成田空港も震度5強の揺れに襲われた。管制官らの避難により1978年の開港以来初めて管制塔が無人になり、成田に向かっていた72便が、米軍横田基地を含む他の飛行場に代替着陸した。その一部は燃料不足による緊急着陸。空港運用が落ち着くと、今度は東京電力福島第1原発事故の影響で、多くの外国人が同空港から出国した。海外からの救助隊や支援物資の受け入れ窓口にもなったが、外国機が成田を避け、近隣国の空港に夜間駐機場所を移す動きもあった。「開港以来」の状況を、当時の担当者や幹部に聞いた。(時事通信編集委員・石井靖子) ※敬称は肩書呼称を除き省略しました。肩書は当時。 ◇
「3.11の時は良かったなぁ~😁家流された子がたくさん都内に働きに来てさ~、激安店でも結構可愛い子いたんだよね~😁」って言う男性に私も東京で何人か会ったことあるけど、これ酷いのは、私が震災で仕事なくなって上京してきたって話を聞いた… https://t.co/Y1wkXq8WZ0
今のコロナでみんなの心がぎすぎすしていたり、誰かが誰かを叩いていたり、悲鳴を上げているのを見ても、なんだけ遠い世界の話のように見える 正直、コロナは怖いのは分かるけれど、目の前で親が流されていったり、住んでいたところの空気がいきなり放射能に汚染されて逃げるしかないとか、そんなのに比べれば遙かにマシじゃないかと思う 特に東京の人は一番感染者が多いから、恐ろしいのもわかるけれど、まだいいよ。真綿でじわじわと首を絞められるようだ、というけれど、突然上から爆弾が降ってきて何もかもなくなってしまって、後悔後悔で毎日を生きているより、よほどいいよ 俺は未だにあの時の光景を夢に見る 走って逃げて、高台にたどり着く目の前で、知り合いのおじいちゃんが流されて、母親の手を握ったけど、離れてしまって アレは地獄だ、アレこそ地獄だった コロナがいつか落ち着いた日に、経済活動は止まっているかもしれないし、仕事はなく
こうやまP提督㌠フレンズ @zweisser @d_itchou 阪神大震災の時は、一階が空間の建物が多く潰れたので(阪神の石屋川高架車庫など)、その辺の耐震構造もちゃんと考えてくれているよなぁ…(^^; 2020-03-07 22:13:40 ちゃず @bys06412 @zweisser @d_itchou 幕張のイオンモールに防災の研修に行ったことがありますが、イオンの本気はすごいです。自家発電装置を高いところに設置していたり、地中にも壁を築いて液状化に備えたり、吹き抜け部分にはあえて天井板を張らずに落下事故を起こさないようにしたり、備えがよく考えられていました。 2020-03-07 22:53:01 PatrickHZala @PatrickHZala @d_itchou @chubu_goma 防災機能に特化した要塞ですね! 1階の駐車場→津波による建物への影響を軽減 2階の店
1月の凍えそうな夜9時、岩手県陸前高田市の中心部。 赤色灯をつけた消防車が1台、警報音を鳴らしながら巡回に出た。消防団の分団部長、菅野(かんの)秀一郎(44)に見送られ、熊谷幸(こう)(34)や清水健太(30)が乗り込む。 「行き止まりになってるぞ」「こんな所に道ができたんだ」。街の様子は日々変わる。ライトの先に見えるのは、「貸地」「売地」の看板だ。空き地が広がる中、道路灯だけがやけに明るい。 まだ新しい消防団の屯所には、避難誘導中に亡くなった6人の名札が、薄墨で書かれて掲げられている。市全体の犠牲者は約1800人。あの津波でまるごと流された街の跡に高さ10メートルの土を盛り、新しい市街地が築かれている。被災地最大の区画整理事業は、あと1年ほどで完成する。 だが、かさ上げされた民有地31ヘクタールのうち、7割余りには家や店が建つあてがない。3年前、復興の象徴でもある大型商業施設ができたが、
常磐線の9年ぶりの全線復旧が近づいてきました。JR東日本は、常磐線の富岡~浪江間について、運転再開に向けた試運転を12月18日から行うと発表しました。 東日本大震災以来 常磐線は、2011年3月に発生した東日本大震災と、それによる福島第1原子力発電所事故の影響で、広野~原ノ町間で長期間運休となりました。このうち広野~富岡間は2017年10月までに、浪江~原ノ町間は2017年4月までにそれぞれ復旧しています。 残る富岡~浪江間20.8kmについて、JR東日本は2019年度末までの運転再開を目指して復旧工事を進めています。同水戸支社は、運転再開のための試運転を2019年12月18日から実施すると発表。試運転列車を使い、線路設備、電力設備、信号・通信設備などの機能確認を行います。 試運転は12月18日~20日の3日間で、普通電車を毎日2往復程度運行します。試運転終了後には乗務員の習熟を目的とした
地震が起きたそのとき、編集部員たちは!? ASCII.jp編集部部員は様々なキャリアの携帯電話を持っている。その中でもウィルコムユーザーが、今回の震災で「持ってて助かった」と口を揃えて言っていたので、彼らの震災当日の体験談を聞いてみた。 ●編集部スエオカの場合 SUPER GTの某チームへのインタビューが終わり、「ありがとうございました」と言った瞬間、地震が発生した。急いで荷物をまとめて同僚Sと共に最寄り駅へ向かう最中に、他の編集者に連絡をするも、どのケータイも繋がらない状況になっていた。 ネットは繋がるようなので、Twitterを見ると他のキャリアはどうも繋がらない様子。しかし、スエオカと同僚Sのウィルコムは普通に繋がった。スエオカはGALAXY Sとの2台持ちなので、そちらでもかけてみたのだが、回線が混雑しているようだった。 どうもウィルコム同士は繋がるようだ。地下鉄の駅に避難中、同僚
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