当チャンネル全動画目次 https://358v.net/game/mokuji/ 雑学・歴史関連動画はこちら https://www.youtube.com/playlist?list=PLIzu36b9D9ZXXfYHgZJ8W97Krrt40fncj FF14関連の動画はこちら https://www.youtube.com/watch?v=hGqum9BKzYo&list=PLIzu36b9D9ZXk1hIW9sd6rVSxWsXUKD08 グラブル関連動画はこちら https://www.youtube.com/playlist?list=PLIzu36b9D9ZUBO51FL-O0cO-T2hzCm9nL 画像引用元: https://ja.wikipedia.org/
祖父母の家の地下室で、1956年に発売された非常に希少なコンピューターである「LGP-30」が見つかったと、掲示板型ソーシャルニュースサイトのRedditのユーザーが報告しました。このコンピューターはヨーロッパで45台製造されたうちの1台で、伝説的なプログラマーが使用したことでも有名なため、マニアが歓喜する逸品であると報じられています。 Redditor discovers legendary 1956 computer in grandparents’ basement | Ars Technica https://arstechnica.com/information-technology/2022/11/redditor-discovers-legendary-1956-computer-in-grandparents-basement/ Redditユーザーのc-wizz氏がLGP
どこの国の40年前だろう。40年前って1982年だよね。 t.co まとめの最初のツイートはこちら。 現代プログラマが40年前くらいに転移してしまうと「え?メモリ8KB?え?画面幅40文字?え?コードは紙に。。。え?」とかになってなんも無双できなそう — きしだൠ(K1S) (@kis) 2022年7月15日 1982年当時のコンピュータ、オレがあまり触っていない奴をちょっと調べてみた。 anniversary-net.com どうやらこの機体は16KBらしい。 Wikipediaを見てみると ja.wikipedia.org メモリ RAM 16キロバイト(最大32キロバイト) グラフィック テキスト 32桁×16行 2画面(RAM拡張時は最大4画面)、グラフィック 256×192ドット 2色 または 128×192ドット 4色 1画面(RAM拡張時は最大3画面) となってい
ソケセテ ル{ほんあか|本赫} (Sokesete,소케세테,سٯکېسېتې) @madeinwariofan @hon_kichi DIALS 電話の プッシュボタンで 計算できる サービス。 電卓の 普及に よって 1982年に サ終 しました。 ja.wikipedia.org/wiki/DIALS 2022-07-12 21:54:00 リンク Wikipedia DIALS DIALS(ダイアルス、Dendenkosha Immediate Arithmetic and Library System)はかつて日本電信電話公社がプッシュホン加入者向けに公衆交換電話網で提供していた電話計算サービス。プッシュホンを使って計算を行う自動応答サービスである。1970年9月26日に開始された。 1966年、日本電信電話公社は郵政省に働きかけ、データ通信サービス実施の許可を得た。これを受けて
コンピューターのプログラムやデータの記録メディアとして「紙テープ」(情報交換用紙テープ)が、かつて使われていたのをご存じだろうか? 1980年頃までは、割と普通に見かけたので「知ってる!」という人も少なくないはず。幅1インチ(約2.5センチ)のテープに1列8個のパンチ穴を連続して記録するものだった。 これを、紙テープ装置にかけてやるとビーーッと読み込んだり、ガジガジガジとパンチ出力できるのが、なんとも端切れよく気持ちよかった。直径2ミリほどの穴1個が1ビット、1列8個の穴で1バイトという目に見えて、音や手応えもあるのもうれしい。デジタルの語源である「指を折って数える」に近いデータの形ですからね。 しかも、そのパンチ穴のパターンというのが、暗号のようでもマガマガしい生き物の文様のようでもある感じだ(冒頭の写真ではいちばん上の2本だけがちゃんとしたデータの出力でそれ以下は後述する花文字)。それ
最近ではArm、RISC-Vなど組み込みでも華々しい活躍を見せているRISCプロセッサ。その歴史的経緯を、IT史に詳しい大原雄介さんが解説する。 ARM(現在はArm)の成功は、また別の形で業界に影響を及ぼすことになった。つまり「適当なプロセッサがなければ、自分で作ればいい」というトレンドである。1980年代後半といえば、まだASIC(Application Specific IC:特定用途向けIC)を使うことが多く、国内でもNEC、富士通、日立、東芝、シャープといった大手だけでなく、もっと小さなメーカーもASIC製造に参入していた。 実際、筆者が昔いた会社では、ヤマハに製造を委託することもあった。もっとも、当時のヤマハは規模こそ小さかったものの、97年にIntelに買収された米半導体企業Chips & Technologiesの製品の製造を受諾していたりしていたから、知名度はそれなりにあ
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プロセッサーの性能により ソフトウェアの価格が変わる さて、1988年にはこのプロセッサーモジュールを利用したAS/400 B10~B60が出荷され、翌1989年にはハイエンドのB70が出荷開始される。 ちなみにProcessor GroupではP10とP20に属する。Processor GroupというのはIBMの用語で、どのグループに属するかでソフトウェアライセンスの価格が変わるというもの。今で言えば、Core向けとXeon向けでOSやアプリケーションのライセンス料が変わる感じに近い。 ではProcessor Groupはなにで決まるかというと基本的には性能であるが、この性能が毎年どんどん上がっていく状況であり、そういう意味では古い世代で上位のProcessor Groupのシステムを使うよりも、新しい世代で下位のProcessor Groupのシステムを使った方が下手をすると性能が上
yasaka@のんびり @gemisch_yasaka 工学部のおじいちゃん先生が参加した食事会の時。 「昔の映画とか、機械から出てきた紙テープだけ見て大喜びしたりするじゃないですか、あれマジですか?」って質問に 「うん。僕、今でも読めるよ」って返事が来た瞬間、周囲から彼に向ける視線が、伝説の大魔導士を目の当たりにするそれになってた 2019-02-03 15:29:15 yasaka@のんびり @gemisch_yasaka 後日、面白がって質問者の研究室に本物のパンチカード持ってきてくれたのだけど… 機械と人間がこうしてほぼタメ語で話してた時代からすごい速度でここまで来たんだなぁって…(スマホ眺めつつ) 2019-02-03 15:36:22 yasaka@のんびり @gemisch_yasaka どういうわけか一気に通知が来た上、取得ミスも多く各々リプ返すのが不可能なため不義理ながら
2018年12月はいくつかの“目立つ動き”が見られた。影響が軽微と思われるものから順に3つほど紹介したい。 CEOはぐるぐると回る 本連載の2018年8月号にて紹介した、元Rambus CEOのRon Black博士がImagination TechnologiesのCEOに就任したことが2018年12月13日に発表された。 もともとImagination Technologiesは、2017年9月にCanyon Bridge Capital Partnersに全事業を売却しており、これもあって2018年4月からは中国系のMobile SoCを手掛けるSpreadtrum CommunicationsのCEO 兼 RDA Microelectronicsの会長であったLeo Li博士がCEOに就任していた。これは一種の“暫定CEO”という扱いだったようで、今回の交代によりLeo Li博士は
つい3年ほど前まで、ネット上で伝説の投稿「本物のプログラマはPascalを使わない」を読むことが出来たのだが、今はマニアックに日本語訳を探さないと読めなくなってしまった(原文は今でもネット上で参照可能)。 私の記憶が確かならば、日本語訳が月刊『bit』というコンピュータ雑誌に85年頃?に発表されたと思う。当時の私はまだ少年で、プログラミングの師匠(ソフトハウスの正社員)から「読んでみろ」と読ませてもらった記憶があるが、当然半分も理解出来なかった。 そんな私もSEとしては老人と言われるような中年になり、昔を知らない若いエンジニアや若いエンジニア志望の人が非常に多くなった。温故知新と言うが、当時を知る人や、若い人にも読んでもらえれば幸いだ。 はじめにMarch 24, 1983 Real Programmers Don’t Use PASCAL 本物のプログラマはPASCALを使わない Ed
かつて、コンピューターへデータを入力するときには「パンチカード」が使われていました。これは厚手の紙にキーパンチ機で穴を開け、メインフレームの「カードリーダー」にパンチカードを読み取らせて、コンピューターにデータを入力するというもの。古いコンピューターの修復作業やメンテナンスを行っているケン・シリフさんが、1950年代に開発されたメインフレームIBM 1401に使われていたカードリーダーを修復したときのことをブログに書いています。 Repairing the card reader for a 1960s mainframe: cams, relays and a clutch http://www.righto.com/2018/02/repairing-card-reader-for-1960s.html 今回修復したカードリーダーは、IBM 1401の付属品としてコンピュータ歴史博物館
ドイツ博物館に保管されているCray-1 内部が見えるよう展示されているEPFLのCray-1 Cray-1(クレイ ワン)は、シーモア・クレイ率いるクレイ・リサーチ社が設計したベクトル型スーパーコンピュータである。この種類のコンピュータの基本構成を確立し、当時世界最高速であった。最初のCray-1システムはロスアラモス国立研究所に 1976年に納入された。Cray-1のアーキテクトはシーモア・クレイ、主任技術者はクレイ・リサーチの共同創設者であるレスター・デーヴィスだった[1]。 歴史[編集] 1970年代初め、シーモア・クレイはCDCで CDC 8600 という新しいマシンの開発に従事していた。8600はクレイがかつて設計した CDC 6600 や CDC 7600 の後継機である。8600は4台の7600をひとつの筐体に収めたもので、追加された特別なモードによって全体でSIMD的な動
多くの新製品が世に送り出されるプロセッサーの世界。テクニカルライターの大原雄介氏による本連載では、CPUやGPUなどコンピューターの中核となるプロセッサーのロードマップを軸に、その変遷を解説していく。 2024年05月13日 12時00分 PC 第771回 277もの特許を使用して標準化した高速シリアルバスIEEE 1394 消え去ったI/F史 FireWire、i.Link、DV、Lynxといろいろな呼び名があるのがIEEE 1394だ。規格を立ち上げようとしたのはApple Computerで、1986年のことである。 2024年05月06日 12時00分 PC 第770回 キーボードとマウスをつなぐDINおよびPS/2コネクター 消え去ったI/F史 初期のPCでは必須だったのに、今では存在しないコネクターとI/Fの代表例がキーボードで、これにマウスが続く格好だろう。 2024年04月
1950年代、世界よりも周回遅れでスタートしたように見えた日本のコンピューターだが、1つだけ見るべき要素があった。当時、英国とドイツ以外の国々で作られたコンピューターは、40年代終わりに公開されたプリンストン高等研究所の「ISA計算機」の設計にならったものが目立つ。 だが、米国の占領下にあった日本だけは事情が違った。 日本の当時のコンピューター開発者は、GHQが日比谷に設置したCIE図書館などにあった限られた資料や、その後の米国留学者が持ちかえる情報が頼りだった。そうした中で、独創的なコンピューター開発を行う人物があられる。 月刊アスキーで1993年5月号〜1995年6月号まで連載した『新装版 計算機屋かく戦えり』は、そうした日本のエレクトロニクスの成功の立役者たち、当事者たちへのインタビュー集である。 今回、その電子書籍版を刊行するにあたり、26人のインタビューのうち次の4人のお話を掲載
時代背景 1990年代、これまで大企業の部門コンピュータや中小企業のホストとして利用されてきたオフコンのオープン化が大きな潮流になってきました。コスト面やパソコンとの親和性に魅力を感じる既存の企業ユーザーやコンピュータ化自体があまり進んでいなかった中小企業にとってみれば、安価なPCサーバによるオープンシステムは大きな魅力でした。 製品・取り組み こうした時代背景の中、1994年に生まれたのが、NECのPCサーバ「Express5800シリーズ」です。初代の100/200シリーズは、国内初のWindows NT™ 3.5搭載のサーバとして開発され、MIPS社のRISCプロセッサーとインテル社のPentium™プロセッサーを搭載した2つのモデルが用意されました。黎明期のPCサーバは、信頼性や性能面でハイエンドサーバと大きな開きがありましたが、NECはハイエンドサーバのノウハウや製造技術を惜しみ
「記者の眼」で取り上げるネタを筆者はおおよそ三通りのやり方で決めている。一つは,自分が書きたいと思ったネタをとにかく書く。なぜそれを取り上げたかと問われると答えに詰まる場合が多い。二つ目は筆者がかかわった雑誌やセミナーの内容をお伝えしたいと思った場合である。 今回の記者の眼においては,三番目のやり方で決めたネタを取り上げる。それは,読者から反応があったネタである。雑誌やWebサイトに書いた原稿,あるいは情識にちょっと書いた原稿に対し,読者からメールをいただいたたり,お電話を頂戴することがある。読者の反応が複数あった場合は「このネタは受ける」と勝手に判断し,記者の眼に仕立てている。 読者から反応があったのは「オープンシステムとは何か」というネタである。IT Proの読者の多くは「今さらなんだ」と思われるかもしれないが,お付き合いいただきたい。まず始めに,発端となった記事の概要と読者とのやり取
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