「文化が違うから分ければよい」のか――アパルトヘイトと差異の承認の政治 亀井伸孝 文化人類学、アフリカ地域研究 社会 #アパルトヘイト#曽野綾子 ・曽野綾子氏の産経新聞コラムには、第一の誤謬「人種主義」と、第二の誤謬「文化による隔離」の二つの問題点がある。 ・現状において、より危険なのは、第二の誤謬の方である。 ・文化人類学は、かつて南アフリカのアパルトヘイト成立に加担した過去がある。 ・アパルトヘイト体制下で、黒人の母語使用を奨励する隔離教育が行われたこともある。 ・「同化」を強要しないスタンスが、「隔離」という別の差別を生む温床になってきた。 ・「異なりつつも、確かにつながり続ける社会」を展望したい。そのために変わるべきは、主流社会の側である。 2015年2月11日の『産経新聞』朝刊に、曽野綾子氏によるコラム「透明な歳月の光:労働力不足と移民」が掲載された。 「外国人を理解するために、
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011 このまとめ(と関連まとめ)に入れたツイートは、 「『地域の文化や伝統』とは、どんな立場の人が『認定』する、どれ位の『継続性と普遍性』を持つものなのか」という、30年以上前からの個人的テーマに関するものだ。 togetter.com/li/785003 2015-02-22 10:21:58 宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011 私は大学在学中に、民話民俗学研究サークルに所属していた。 もともと、叔父である故遠藤庄治氏(沖縄国際大学 「南島文化研究」 民話・昔話の研究者)の影響もあって、民話研究を志しての大学進学だったが、旧来の民話昔話の研究には、納得がいかない部分があり、迷いながらの進学でもあった。 2015-02-22 10:59:35 宍戸俊則(shunsoku2002) @karitos
子どもの声は「煩音」かも 八戸工業大大学院・橋本教授 2015年2月4日15時00分
手話は、耳が聞こえない人たち(すなわち、「ろう者」)の間で使われる、主として手を用いてお互いの意思を伝え合う手段である。手話は、今やテレビ番組にもしばしば登場するし、街中で見かけることも珍しくはない。専門外の人たちにとっても、「手話」という言葉を知らない人は少ないだろう。 ただ、その手話なるものが、音声言語の代替手段にすぎない、身振りに毛の生えたものだと考えていないだろうか。手話は、日本語、英語、他の音声言語と比べて遜色なく機能する、日本語とは異なる統語構造によって成り立っている1つの完成された言語である。 手話が1つの言語として成り立っていることについては、もう少し言葉を足して説明をしなければなるまい。ここで言うところの「手話」とは、主として耳が聞こえる者(ろう者に対して、こちらを「聴者」という)が、音声を発しながら手話単語を併用して表出するものを指すのではない。ろう者同士の間で用いられ
現地時間の2月14日、ブラジル・サンパウロで行われたサンバカーニバルに、青森県五所川原市が寄贈した高さ15メートルの「たちねぷた」が出場しました。 「たちねぷた」ブラジルに出現 東日本大震災後に復興の祈りをこめて制作された「復興祈願 鹿嶋大明神と地震鯰(じしんなまず)」で、ブラジルの支援に帯する感謝の気持ちが込められています。サンバカーニバルに他国の祭事がそのまま持ち込まれるのは異例のこと。 「たちねぷた」は、40フィートコンテナ15台に分割された状態で1カ月半かけて船で運ばれたそうです。サンパウロサンバカーニバル1部リーグの有力チームである「アギア・ジ・オウロ」の演目の中で1時間ほどの出番だったそうですが、登場するや大きな歓声があがったとのこと。 「アギア・ジ・オウロ」は、2015年が日ブラジル修好通商条約締結120周年にあたることから、演目テーマを「ブラジルと日本、120年の融合」とし
中世ヨーロッパの学生たちも教科書に落書きしていた…当時の本に描かれたユニークな絵 授業に退屈して教科書に落書きをした経験は、ほとんどの人が持っているかと思います。 歴史研究者のErik Kwakkel氏は、中世ヨーロッパの教科書にも、そうした落書きが残されていることを発見しています。 活版印刷が普及する前の、いたずら心と創造性に富んだ落書きをご覧ください。 1. 子供向けの道徳の本(古代ローマの詩人ユウェナリス著)に描かれた、15世紀の落書き。 骸骨の落書き。 今と落書きのセンスはそれほど変わらないかも。 2. 中世ヨーロッパ版スマイリーフェイス。14〜15世紀ごろの落書き。本が記されたのは13世紀。 3. 13世紀の法律の本に描かれた、足が4本の落書き。 (フランス・アミアン) 4. 先のとがった鼻を持つ顔、5段重ね。 (オランダ・ライデン大学) 5. 14世紀に描かれた落書き。 6.
2015-01-11 ドラッグカルチャーの系譜――変性意識の文化史 以下、ドラッグとそれに付帯する文化について記述しています。サブカルチャーにおいてドラッグが大きな役割を果たしてきただけでなく、それが人類において古くから文化的に重要であったことが論じられています。 ーーー ドラッグとは何か ドラッグとは何でしょうか。それはもちろん薬物です。そしてそれは使用者をある特異な心的ステートへと導くマテリアルです。そうした祝祭的な心理状態を「変性意識状態」(英: Altered state of consciousness)と呼びます。可換な表現としてトランス状態という語があります。 変性意識と古代宗教 変性意識誘発性サブスタンスは、古来より人類の文化に根ざしていました。たとえば、シャーマンなどの宗教儀礼において、タバコやマジックマッシュルーム、ペヨトルなどが使用されてきたことは歴史学的な事実です。
預言者風刺画問題記事、準備中。今日中(フランス現地時間)にはなんとかアップ予定。→大幅に遅れて現地時間で2月11日午後になりましたが、こちらの日付でアップします(一応、時間的整合性のため、以下では9日以前の事実については書かない予定)。2月15日に積み残し部分を掲載(この記事終了)。 デンマークの新聞、ユランズ・ポステン紙が掲載したムハンマド(マホメット)の風刺画をめぐる一連の事件について先週末に記事をアップしたいと思っていたが、時間がとれず仕上がらないうちに状況がどんどんと進行し、事件そのものについてはフランス紙の報道をわざわざ伝える必要がないほどに、日本のメディアでもブログでも詳しく取り上げられている。 日本のネットをざっと見たところでは、この事件を「言論の自由」と「宗教の尊重」の二つの原理の衝突、さらには前者の原理を優先させる欧州対後者の原理を優先させるイスラム世界の二つの世界の衝突
プレゼンテーションとパワーポイントは切っても切れない関係。そう思いこんでいませんか? 実は、米国ではパワーポイントでのプレゼンテーションを好まない企業リーダーが増えてきています。 実際に、Facebook COO シェリル・サンドバーグ氏や、LinkedInのリード・ホフマン氏、AmazonのCEO ジェフ・ベゾス氏など、有名企業のリーダーが社内でのプレゼンテーションでのパワーポイントの使用を禁止しているのです。 Amazon CEOのジェフ・ベゾス氏流の社内プレゼン ベゾス氏は、社内のプレゼンの際、パワーポイントの代わりに、テキストのみの形式で文書6ページを用意するように指示しています。 そしてミーティングは、参加者が用意された報告書を黙って読むことから始まります。 一見、パワーポイントを使用した方が分かりやすいようにも見えますが、なぜテキストのみの形式にこだわるのでしょうか? そもそも
「日本語には swear word はない」とアメリカで言うと驚かれることが多い。 (以下、英語だったら絶対スペルアウトできない「悪い英単語」の連続ですので悪しからず)。 swear word とは fuck とか shit とかその手の言葉。(その他はwikipedia参照)。直訳したら「やっちまえ」とか「くそ」とかだと思うが、swear wordには、そういう日本語の単語に比べて段違いに悪いニュアンスが込められている。 しかも、そこまで悪い意味なのに、連発して使われることもある。また、いざという時には軽く一回使うだけで本人の激しい感情が伝わる強力な言葉。なので、映画などでは女性がswearしているシーンも時としてあるわけだが、実生活では相当に場を選んで使う必要がある。 たとえば、私個人的には一度も「これは使ってもいい時だ」という瞬間に直面したことがない。周りの人が使うのを聞いたことも数
> > > > カシオの「イスラム教徒向け腕時計」、大ヒットの背景に意外な事情 2014年12月5日 11時40分 特集「made in Japan:世界で売れてる、日本発のヒット商品」では、世界で愛されているさまざまな日本製ヒット商材を紹介している。カシオ計算機には、日本で企画して製造し、海外でヒットしているのだが日本では売られていないという商品が、いくつか存在する。前編では、インド向けの電卓「CHECK CALUCURATOR MJ-120D」を紹介した。 後編となる今回紹介するのは、イスラム教徒(以下、ムスリム)向けの腕時計。こちらも日本では買えない商品だ。実はこれ、意外な事情で商品化され、しかもひそかな大ヒットとなっている商品なのである。 そもそもムスリム向け時計とは、何ができる物なのか。どういった理由で売れているのか? 商品開発担当者に取材した。 ●「部品がなくなる」という
「言語文化」という言葉がしばしば聞かれる。そのバリエーションは「英語文化」「日本語文化」等々。学術用語ではないと思うし、けっこう異なる使われ方をしているのでその意味を書き出してみる。 大雑把にいって、言語を論じる文脈で文化というとき、「文化」は次の3つの異なる意味で言及されているように思う。 (A) 慣習行動のうち言語に関するもの 例、あいづち、結論先行 (B) 言語表現のうち比較的威信の高いもの 例、文学作品 (C) 言語表現に埋め込まれた民族的・歴史的痕跡 例、good-bye →「神とともに」 ただ、言語と文化の関係を考えた場合、(A) の意味ははけっこう奇妙に響く。 なぜなら、「慣習行動」には特定の集団(とりわけ「エスニック集団」)に共通する(そして、それ以外の集団には見られない)行動という意味になるのだが、言語とエスニシティはふつう一対一対応しないからだと思う。 上記を踏まえた上
人間関係を良好にするために、コミュニケーション能力を高めることは極めて重要です。家庭においても、職場においても、地域社会においても、顔を合わせるたびに挨拶をしたり、立ち止まって軽いお喋りをすることで、信頼関係は構築されていくもの。問題を解決するため、自分の成長を促すための「実のある話」もいいですが、日ごろの「実のない話」も大切なのです。 ところが、そのような「実のない話」――つまり雑談や世間話をしても、うまく噛み合わない人がいます。正直なところ本人に自覚がないケースが多く、意識させることは厄介ですが、「話し手」からすると、いつ話しても噛み合わないので「シックリ」きません。どんなケースが考えられるでしょうか。たとえば、以下の会話文を読んでみましょう。 A:「ジャイアンツの菅野選手はスゴイな。入団3年目で年俸1億1千万円だって。高橋由伸選手や、松坂大輔選手に続いて3人目らしいよ。社会人になって
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