タグ

educationに関するlotus3000のブックマーク (25)

  • 社会的排除と教育社会学(もうあきたのでとりあえず最後) - もどきの部屋 education, sociology, history

    「社会的排除」という概念が突破口になるわけではない. そこはくれぐれも勘違いしてはならない.「社会的排除」概念によって研究上の新しいインスピレーションが得られるとしても,そこで得られるもののほとんどは,これまでの教育社会学が「階層」という概念で捉えてきたテーマに尽きる,と私は思う. むしろ,「階層」という概念で捉えるべき問題を,わざわざ「社会的排除」という概念で把握することによって問題の所在が不明瞭になる,と言ってしまってもよい(いったいなんのための「文化」や「社会関係資」という概念の考案だったのか!). 「貧困」という概念で捉えるべき問題を,わざわざ「社会的排除」という概念で把握することが問題の所在を不明瞭にする“場合もある”というのと相同の難点だ. それでもなお,教育研究(とりわけ教育社会学)にとっては「社会的排除」概念がもたらす恩恵があるのではないかと(ぼんやり)私が思うのは,

    社会的排除と教育社会学(もうあきたのでとりあえず最後) - もどきの部屋 education, sociology, history
  • 「兵士としての教育」が隠蔽され、誰もが「将軍の夢」に酔っている異常

    労働という分野ならどこでも、医療であれ、製造であれ、情報産業であれ、中枢にあたる「将軍」や「参謀」にあたるポジションというのは限られているし、全ての人を「将軍」や「参謀」にしていては船頭だらけの難破船になってしまう。実際に現場が必要としているのは沢山の「兵士」だ。中枢の手足となって働く「兵士」が欲しい。下士官ぐらいは幾らか必要かもしれないが、それだって兵士よりは数が少なくてもいい。労働という分野でたくさん必要とされているのは、何も考えない、「個性の違い」に拘泥しない、えらい人の言うことは何でも聞いて、共通規格の部品で動く歯車だ。望むらくは、消費者としての多様性すらみられない、没個性的な金太郎飴のような労働者がいい−−不満を抱いた時に、何か共通の娯楽でも与えてやれば黙ってくれるような労働者がいい。それでも人間は幸せになれないことはない*1。 にもかかわらず、そこここの教育分野では、こうした「

    「兵士としての教育」が隠蔽され、誰もが「将軍の夢」に酔っている異常
  • THE BRADY BLOG:マイ・リトル・レイシスト

    営業マンに苦手なクライアントがいるのと同じように、保育士にも“できればスルーしたい”と思うガキはいる。 わたしの場合、そのカテゴリーに該当するのは凶暴児ジェイクだった。 なにしろ彼の場合、顔つきがまず尋常ではない。こんなに暗い目、というか、ひょっとしたら狂っているのではないかと思うような強烈な目つきをした幼児を、わたしは他に知らない。 そんな凄い目つきのガキが、殴る、蹴る、痛めつける、破壊するといった行為をエンドレスで行っており、諌めれば必ず暴力で反撃される。 また、口にする内容がいっぱしのアンダークラスのフーリガンなため、人種差別的発言が多く、外国人の大人にとっては忍耐力を試されることになる。 その上、妙に頭が良く、何処を突けば大人を傷つけることが出来るか正確に知っているから始末におえない。 かくいうわたしなんかも、そもそも彼に対して苦手意識を持つようになった直接の原因は、 「あんたみた

    lotus3000
    lotus3000 2009/11/06
    差別することへの原風景を見せ付けられた。なきたくなる。
  • 読字障害の治療環境が日本では何故整っていないのか。 - ホツマツタヱ。

    たまたま、私はこうして堂々と子供の問題について書いているので、周囲の在米日人で「普通の基準を外れてしまった」子供を持つ方の話がものすごくたくさんはいってくる。その理由は、自閉症、脳性まひ、手足の機能障害、学習障害など当にいろいろなのだけれど、皆さん一様に「アメリカに住んでいてよかった、日ではこうはいかない」とおっしゃる。私が「アメリカのほうがいい」話を書くと批判されることの多い昨今だが、この点については明らかに、仕組みがしっかりしていて専門家が多い「アメリカのほうがいい」と思うのではっきり言う。貧しい時代は仕方ないことだったのだろうけど、豊かな日になったのだから、そろそろこうした人々に、なんらかの形で「個別対策のコストをかける」ことができるのではないかと思う。http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20090913/1252889847病んでる日人やその

  • 作文指導に見る個性と創造力のパラドックス | CiNii Research

    タイトル別名 A Paradox of Individuality and Creativity through Composition Lessons 作文指導に見る個性と創造力のパラドックス--日米初等教育比較から サクブン シドウ ニ ミル コセイ ト ソウゾウリョク ノ パラドックス ニチベイ ショトウ キョウイク ヒカク カラ A Comparison of Japanese and American Elementary Schools 日米初等教育比較から The words “individuality” and “creativity” have been frequently used in the philosophy of Japanese education since the Meiji period, and emphasis on individuality