『いもりの黒焼』(いもりのくろやき)は、1908年(明治41年)製作・公開、横田商会製作・配給による日本のサイレント映画、喜劇映画である。日本初の劇映画のひとつとされる[1]。 略歴・概要[編集] 横田商会は現在の日活の前身の一社で、京都を拠点として、映画の製作・配給を行っていた商社である。1905年(明治38年)ころから同社で撮影や現像を行っていた技士の土屋常吉が同社を去り、土屋の甥で弟子であった福井繁一が、土屋の仕事を引き継いだ[1]。1908年(明治41年)、伊藤博文が純宗とともに朝鮮を一周するに際し、京城日報からの依頼でドキュメンタリー映画『韓国観』の撮影を行った福井が、帰国と同時に取り組んだ劇映画が本作である[1]。同社には当時、まだ撮影所を持たなかったため、オールロケーション撮影で撮影を敢行した[1]。 京都の大虎座に出演していた舞台俳優鶴家団十郎とその一座を起用、大阪の住吉大