科学データが見せる10世紀に社会が 大きく変化したわけ ヒトと自然、これまでとこれから(笹生衛 教授 前編) 神道文化学部全ての方向け Tweet 旱魃(かんばつ)、大雨、洪水。そして都市部への人口集中による感染症の大流行。古代の人々の姿と、現代に生きる私たちの姿はほとんど変わらないことが、古代の遺跡調査と文献史料、そして最先端の科学データを突き合わせたときに見えてくるという。 笹生衛・神道文化学部教授(國學院大學博物館館長)への前後編インタビューで伝わってくるのは、古代の話でありながらどこまでもクリアで、そしてリアルな歴史の肌触りだ。 10世紀に、何かが起きたのではないか――。これは私が20代の頃、古代の集落の発掘調査現場に身を置くようになって抱きはじめた疑問でした。古墳時代からの伝統的な集落のかたちが8・9世紀までは残っていたのに、9世紀の末期から10世紀にかけて、その集落が消滅・分散
日本軍の南進は、資源と領土を奪う目的があったことが、前回の記事で分かったで。 今回は、インドシナにおける日仏二重支配がもたらした大惨事について調べてみるわ。 超長い記事になるけど、日本人として知っとかなあかん歴史や。 とくに、大日本帝国を崇めとるウヨちゃんに「大東亜共栄圏」の実際を知ってほしいねん。 まずは、前回の復習を兼ねて、ベトナム独立宣言を読んでクレメンス。 出典・参考「ベトナム独立宣言」1945年9月2日(Wikipedia)「Võ An Ninh」ベトナムの著名な写真家。(ベトナム語版 Wikipedia)「古田元夫」ベトナム現代史研究者の論文。(CiNii)『私のなかのヴェトナム』小林昇/1968年(未来社)『写真週報 180号』Ref. A06031077500(国立公文書館アジア歴史史料センター)『ベトナム“200万人”餓死の記録 1945年日本占領下で』早乙女勝元/199
世界に衝撃を与えた今月7日のイスラム組織ハマスによるイスラエルへの大規模攻撃。イスラエル軍はパレスチナ・ガザ地区への空爆を強め、ハマス側もイスラエルに対し多数のロケット弾を発射。双方の死者は増え続けています。 いったいなぜ、イスラエルとパレスチナは凄惨(せいさん)な対立の歴史を繰り返してきたのか。エルサレムに駐在するなど、この問題を取材し続けてきた国際部の鴨志田郷デスクがわかりやすく解説します。 この記事はNHKのWEBサイト「大学生とつくる就活応援ニュースゼミ」の中で2021年に公開した「1からわかる!パレスチナ(1)~(3)」をもとに制作しました。 (国際部デスク 鴨志田 郷) パレスチナ問題ってなに? イスラエルとパレスチナとは? 昔から、地中海の一番、東の沿岸にある地域のことを「パレスチナ」と呼んでいました。南にエジプト、東にヨルダンがあって、北にはシリアやレバノンがある場所です。
"インチキ"と言われた探知機が世界のスタンダードへ。漁師と向き合い続けた"魚探誕生アフターストーリー" こんにちは。12月3日は「何の日」かご存知でしょうか? 国際障害者デー、カレンダーの日、某有名テレビゲーム機の日、いろんな記念日がある中、昨年追加された記念日があります。 それが『魚群探知機の日』です。 なぜ12月3日なのかというと、この日に私たち古野電気株式会社の前身、古野電気工業所が設立され、世界で初めて魚群探知機の製造、販売を開始したことに由来します。 さて、この魚探の開発ストーリーはこれまでもいろんなメディアで紹介されてきました。しかし、魚探が作られた後、どのように日本中にフルノの魚探が広まっていったのかはあまり知られていないように思います。 (そもそもあまり紹介したことがないような気もします) そんな魚探が生まれた後のアフターストーリーをお話しさせてください。 古野電気創業の地
新型コロナは100年に一度のパンデミックとも言われる、社会に大きな影響を与えた感染症となりました。 これまでに人類は他にどのような感染症と戦ってきたのでしょうか。 感染症と人類の戦いの歴史を振り返りたいと思います。 天然痘の流行人類を最も苦しめてきた感染症の一つに天然痘があります。 古代エジプトの王様であったラムセス5世のミイラには、天然痘によると思われる痣が残っており、紀元前から天然痘という感染症が存在していたことが分かっています。 東大寺の大仏の開眼供養の様子 日本でも天然痘は長らく大きな脅威であり、東大寺の大仏は当時流行していた天然痘の流行が収まることを願って作られたとも言われています。 また、16世紀には、新大陸に持ち込まれた天然痘がアステカ帝国やインカ帝国の滅亡につながったとされています。このように感染症は、文明の興亡に大きな影響を与えてきました。 ペストの流行ペストがガイコツと
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『内務省検閲時報』によれば、1925年中に検閲を受けた本作と思われるフィルムは、以下の6件である。 ・1925年8月21日/1344番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/1巻/297メートル/(製作者)東亞キネマ株式會社/(申請者)八千代生命保険株式會社/新 ・1925年8月21日/1345番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/1巻/297メートル/(製作者)東亞キネマ株式會社/(申請者)八千代生命保険株式會社/複一 ・1925年9月18日/2458番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/1巻/282メートル/(製作者)岩岡商會/(申請者)八千代生命保険株式會社/複二 ・1925年10月14日/3400番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/1巻/302メートル/(製作者)東亞キネマ株式会社/(申請者)八千代生命保険株式會社/複三 ・1925年10月14日/3401番/日、實、風/震災前の帝都の壯觀/
さとうしん @satoshin257 しかしこの時期になるとまたぞろ「恵方巻きは関西の昔からの習慣」とか言い出すのが出てくるんだろうなあと思うとうんざり。当方生まれて以来ずっと関西住まいですが、恵方巻きなるものの存在を知ったのは2000年頃にコンビニやスーパーが売り出すようになってからです。(これも毎年言ってる) 2023-02-02 21:07:27 ちらいむ @chilime 旅と社寺と刀とお茶とご飯と舞台とその他色んな好きなもの(TLほとんど追えてません @ほぼ返せません 巻き込みリプ苦手勢)※この頃は実況以外は青空にいることが多いかもしれません(Miskey、犬スキーやタイッツーなどにもいます) nara-tabikura.jp/4920/ ちらいむ @chilime 奈良、80年代にはすでに恵方巻食べておりました。余談ですが90年代の新井理恵先生の漫画×ーペケーにも恵方巻のことが
今回はウェブアンケートにて総勢11,136名に調査した<「歴史の教科書」驚きの変更点ランキング>を発表します。さっそくランキングをチェック! 1位鎌倉幕府成立が「1192年」から「1185年」に変更された (1,840票) 2位江戸時代の身分制度「士農工商」は存在しないことが明らかになった (1,610票) 3位関ヶ原の戦いの西軍の大将は石田三成ではなく毛利輝元だった (986票) 4位大化の改新が「645年」から「646年」に変更された (712票) 5位「リンカーン」が「リンカン」に変更された (708票) 6位日本最古の貨幣は「和同開珎」ではなく「富本銭」だった (645票) 7位日本最大の前方後円墳は「仁徳天皇陵」から「大仙古墳」に変更された (589票) 8位徒然草の著者が「吉田兼好」から「兼好法師」「卜部兼好」に変更された (498票) 9位「ルーズベルト」から「ローズベルト」
犠牲者意識ナショナリズム 国境を超える「記憶」の戦争 著者:イム・ジヒョン 出版社:東洋経済新報社 ジャンル:社会思想・政治思想 「犠牲者意識ナショナリズム」 [著]林志弦 「犠牲者意識ナショナリズム」とは著者の造語で、自分の国の一体性や正当性を主張するために、自分たちの英雄的な行動ではなく、他国から受けた被害を過剰に強調し、自分たちの加害を過剰に小さく見せようとする態度のことをいう。 慰安婦問題が欧州の女性に対する犯罪の記憶を呼び起こしたり、ホロコーストの記憶とイスラエルによるパレスチナでの暴力の記憶が重ねられたりする記憶のグローバル化を背景に、ポーランド、ドイツ、イスラエル、日本、韓国、旧ユーゴなどの犠牲者意識ナショナリズムを縦横無尽に論じる快著の翻訳を寿(ことほ)ぎたい。 私が初めて著者の報告で犠牲者意識ナショナリズムという言葉を聞いたとき、なんて恐ろしい概念だと驚愕(きょうがく)し
日本アイスクリーム協会、公正取引協議会の概要、役員、開示情報、活動を掲載しています。
大英博物館と協力して古い新聞をデータ化し、サブスクリプション形式で提供している英Findmypast Newspaper Archiveは8月9日(現地時間)、18~19世紀に刊行された新聞約100万ページのデータを無償公開した。同社が許可すれば商用利用も可能という。非営利の場合は、著作権表示と参照元を明記すれば利用を認める。 提供するのは、大英博物館が保存する1720~1880年にかけて刊行された150紙のデータ。新聞のタイトルは、ジャマイカの政治動向を報じる「Royal Gazette of Jamaica」、英国で初めてカラーイラストを採用した「Colored News」など。 ユーザーはFindmypast Newspaper Archiveが提供するサブスクリプションサービス「The British Newspaper Archive」のアカウントを作成すれば閲覧できる。無償で閲
「可哀想」「環境破壊」だけではない、反捕鯨世論構成の歴史 捕鯨問題は日本が欧米諸国と感情的に対立するテーマの一つです。 欧米側は、鯨は絶滅寸前であり捕獲は自然破壊であるし、そもそも鯨は知性のある生き物であるため捕獲するのは非人道的であると主張します。 一方で日本側は、シロナガスクジラなど希少な鯨以外は増加しており、捕鯨は自然破壊にはまったくあたらないし、捕鯨文化は日本の伝統であるため止めることは文化の破壊であると抵抗します。 様々な思惑が交錯する捕鯨問題はなぜこじれたのか、その歴史を整理したいと思います。 1. 資源としての鯨 昔から世界中の漁民の間で鯨漁は盛んでした。 伝統的に鯨を捕獲して食べることで知られるのは日本人、北米先住民、アイスランドやノルウェーなどノルディックの人々ですが、他にも捕鯨文化は広く存在します。 インドネシアのスラウェシ島東部・レンバタ島南海岸のラマレラ村には、伝統
「井堤郷旧地全図(乙本)」井堤郷は現在の京都府井手町あたり。右端に美努王の墓が描かれているが、多くの学者から学術的に否定されている。この絵図は康治2年(1143)作成の古い絵図を椿井政隆が模写したという形を取っているが、中世の年号が記された文書を近世に写したという体裁をとることは椿井の常套手段だった。なお、本図は椿井の原図を明治時代に写したもの(京都府立京都学・歴彩館蔵) 中世の地図、城の絵図、家系図……学校の教材や地域の町おこしに使われる史料が、全くの偽物だったら? 近畿地方に数百点もの規模で存在する、江戸時代の偽文書「椿井文書(つばいもんじょ)」。それらは誰によって作られ、私たちにどのような影響があるのだろうか。15年以上前から「椿井文書」に着目し、研究を続けてきた馬部隆弘准教授によると、最近になってやっとスポットが当たり、研究も注目されるようになったという 【自治体史一覧】各地の自治
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