「すべての武器を楽器に」を合言葉に平和運動を繰り広げてきた喜納昌吉(きなしょうきち)。だが、この沖縄を代表するミュージシャンの姿は「本土復帰50周年」のイベントになく、いまや沖縄から排除されつつあるという。信念を貫き、独自の道を歩み続ける孤高の異端児の音楽と思想。 *** 【写真を見る】YMOにも影響を与えたといわれる喜納昌吉 沖縄を旅したことのある人なら、喜納昌吉(74)が作った「♪ハイサイおじさん、ハイサイおじさん♪」で始まる沖縄音階の軽快なメロディーを、ホテルやビーチ、街中の飲食店や土産物屋の店頭で必ずや耳にしているはずだ。 いや、このメロディーを聴くのは沖縄だけとは限らない。故志村けんの代表的なギャグ「変なおじさん」もこの歌の替え歌だったし、甲子園でもっとも頻繁に演奏される沖縄県代表の応援歌も同じメロディーである。沖縄発のもっとも有名な曲といってもいい。 今年7月22日に放映された
沖縄県の南大東島には、交通信号機がたった1か所設置されています。ただその場所は、島内にいくつかある交差点ではありません。この信号機が、交通を制御する以外の役割も帯びているがゆえの場所だそうです。 主目的は交通の制御ではない!? 交通信号機はたいてい、道路と道路が交わる交差点に設置されています。ただし押しボタン式などの場合は、1本道の途中に設置されている場合もあります。 沖縄県の南大東島には、島内唯一の信号機が、交差点ではない県道の途中にポツンと設置されています。もちろん島内には交差点もいくつか存在しますが、なぜここなのでしょうか。 信号機がある場所の近くには、県道脇には南大東村立の小中学校があります。村によると、信号機は約50年前から設置されているとのこと。生徒の安全を確保するうえで、この場所に設置されたのも頷けるところですが、設置の主目的は別にあるといいます。 拡大画像 南大東島唯一の信
国内で143年ぶりのオオムカデの新種発見!渓流に潜む、翡翠色に輝く国内最大のオオムカデ〜日本初、世界で3例目の半水棲ムカデ、沖縄の4地域と台湾から発見され、沖縄の故事にちなみリュウジンオオムカデ(琉神大百足)と命名〜 今回のムカデを新種記載するための模式標本や関連する文献・情報等を本学博物館(風樹館)が提供しました。 今後、上記の模式標本(パラタイプ)が風樹館に寄贈される予定です。 また風樹館では、今回記載された国内最大級のムカデであるリュウジンオオムカデの標本を一般展示室で公開しています。 概要 世界自然遺産候補の南西諸島の島嶼では、まだ多くの未知の生物種の発見が期待されている。 今回、沖縄の4地域と台湾から発見されたオオムカデは体長約20 cm、体幅約2cm(大人の親指くらいの太さ)の巨大なムカデであり、日本最大の川エビ「コンジンテナガエビ」(体長10 cm 前後)を捕食しているところ
PCR検査が行われた那覇市若狭の那覇港大型旅客船バースには開場前からPCR検査を待つ人が長い列を作った=1日 県独自の緊急事態宣言が始まった1日、県内では新型コロナウイルスの感染者が新たに58人確認され、拡大の勢いは止まらない。那覇市が実施したPCR検査には感染の不安を抱える多数の来場者が殺到し、2週間にわたる自粛の幕開けとなる週末の繁華街からは人影が消えた。夏休み初日で行楽地には家族連れの姿も見られたが、一様にマスクを着け、感染対策に気を配っていた。 途切れることのない人の列と車列―。「新型コロナウイルスに感染していないか」。1日、那覇市が主体となって行ったPCR検査の会場には、不安そうな表情を浮かべる市民らが殺到した。医師や職員らスタッフは、感染リスクへの緊張感を漂わせながら来場者への対応に汗を流した。 「かなりの陽性者の来場が予想される。細心の注意を払うように」 PCR検査の受け付け
3月4日の「ゆかる日まさる日さんしんの日」。 多くの皆さまお力添えをいただき31回目を終演いたしました。 特別番組にご出演いただいた皆さまを始めスポンサー関係各位、県内・県外・海外で「さんしんの日」に参加された方々へ御礼申し上げます。 今年もラジオ放送、配信を行う中、さらに4年ぶりに少人数ではありますが有観客という形が叶いました。 憂いのある世の中であっても平和を願う心を一つにという思いの「さんしんの日」。 多くの皆さまの賛同で、その願いが届いたのではと感じることが出来ました。 というのもコロナ禍で縮小されていた各地の「さんしんの日」の再開、初参加の「さんしんの日」にと多くの三線が県内外、海外で奏でられました。 また、終了後に各地域で「さんしんの日」を楽しんだことを知り、申し訳なく思うも もはや一放送局のひとつのイベントではなく「さんしんの日」提唱者のおひとり上原直彦氏の願うところの皆さま
祥介 @shosuke_tk @ritu_breve 沖縄は本州の何倍も日差しが強いので、サンオイルを塗ってしまうと日焼けどころか全身ヤケド状態にまでなってしまうとのことでした 2019-08-27 15:07:43 リンク Type Sea | 海のある暮らしを提案するWEBマガジン サンオイルってどんな効果があるの!?おすすめサンオイル10選 日焼けした綺麗でワイルドな小麦色の肌に憧れを抱く人も多いと思いますが、日焼けは肌に悪そうだし、綺麗に焼けるかも心配でなかなか手を出せずにいる人も多いのではないでしょうか。そんな綺麗な小麦肌を目指す日焼け初心者の方のために日焼けとサンオイルの関係やおすすめのサンオイルを紹介しています。 1
指笛といえば沖縄♪ その沖縄に「指笛王国おきなわ」が、2005年7月10日に建国され、指笛の普及と指笛による音楽演奏に取り組んでいます。定例の指笛講習会を毎月2回、第1及び第3土曜日の午後2時から4時まで、西原町中央公民館で開催しています。お気軽にご参加ください。 7月10日は「指笛の日」制定宣言が昨日記者会見で無事発表になり 今朝は地元の新聞で大きく報道していただいております。 (琉球新報社、並びに沖縄タイムス様ありがとうございます) 「指笛王国おきなわ」だけでなく、沖縄にとって大事な文化として、そして県内外へ向けて 歴史的な記念日が制定となりました!! 下記にて宣言文を全内容ご紹介いたします。 是非みなさまにお読みいただきたく思います 今後ともご支援ご協力皆様どうぞよろしくお願いたします。 ==================================== 7月10日を「指笛の日
やちむん(焼物)の産地で知られる那覇市壺屋地域では、4月3日にちなんだ「シーサーの日」を記念して様々なイベントが開催される。壺屋から「シーサーの日」を全国に広げようと2002年から実施し、現役のシーサー作家の作品が並ぶシーサー展、壼屋焼の陶工の指導によるシーサー作り体験教室、壼屋の町の文化財やシーサーを紹介する壺屋まーい(巡り)・シーサーまーい(巡り)、壼屋やちむん通り会各店舗でのシーサーや壼屋焼の割引販売などが行われる。 基本情報 フリガナ ツボヤデシーサーノヒ 所在地 902-0065 沖縄県那覇市壺屋1-9-32那覇市立壺屋焼物博物館、壺屋地域 電話番号 098-862-3761 那覇市立壺屋焼物博物館 営業時間 例年4月3日「シーサーの日」に開催 料金 無料(一部有料のイベントあり) 駐車場 なし アクセス ゆいレール牧志駅から徒歩約10分。壺屋バス停から徒歩約1分。 URL ht
安倍晋三首相 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設に伴う埋め立てに関し、安倍晋三首相は6日に放送されたNHKのテレビ番組「日曜討論」で事実を誤認して発言した。安倍首相は「土砂投入に当たって、あそこのサンゴは移植している」と述べたが、現在土砂が投入されている辺野古側の海域「埋め立て区域2―1」からサンゴは移植していない。 埋め立て海域全体では約7万4千群体の移植が必要だが、7日までに移植が終わっているのは別海域のオキナワハマサンゴ9群体のみにとどまっている。 沖縄防衛局は、土砂投入の海域付近にあった準絶滅危惧のヒメサンゴ1群体を当初移植する方針だった。県から移植に必要な特別採捕許可が得られなかったことから、特別な装置を用いてサンゴを囲み、移植を回避するよう工法を変更した経緯がある。 首相の発言について玉城デニー知事は7日、ツイッターに「安倍総理…。それは誰からのレクチャー
「ギネスブックに載せてもらったらいい」議員のひとりが、自嘲気味につぶやいた。日本の最も西に位置する島の町議会。何回投票しても議長が決まらない選挙が、ついに決着した。町民不在。回数だけがむなしく積み重ねられた、1か月余り。99回にも及んだ前代未聞の事態は、なぜ起こったのか。(報道局選挙プロジェクト 仲秀和/沖縄局 小島萌衣) それは無限ループのようだった。 午前10時。いつものように、町議会の本会議が始まる。 「日程第一。議長の選出について」 この日も議題は、たったひとつ。議長を決める選挙だけ。 町議会議員10人が配られた投票用紙に名前を記入。 順番に投票していく。 ただちに開票。 与党議員が5票、野党議員が5票。 またしても同じ結果… トップが同数の場合、くじ引きで当選者を決めるのがルール。 それぞれがくじを引き、一方の議員が議長に選ばれた。 ところが… 「議長に当選しましたが、一身上の都
本土復帰をして四年目を迎えた1976年、設立されたばかりの「沖縄生麺協同組合」に対し公正取引委員会からあるクレームがついた。 その内容は、「沖縄そばは、蕎麦粉をまったく使用していないため、『そば』と表示してはならない」というものだった。「生めん類の表示に関する公正競争規約」に基づくと、「そば」という名称を表示するには、原料の蕎麦粉を三割以上使用していることが条件なのだ。 そうなると、県民に長く親しまれてきた「沖縄そば」が「沖縄風中華麺」と呼ばなくてはなくなる。そこで、「沖縄の食文化を変えてはならない」と立ち上がったのが沖縄生麺協同組合の当時の理事長土肥健一氏らだった。 まずは、沖縄総合事務局内の公正取引室に折衝に出向くがらちがあかず、直接東京の本庁へ足を運ぶ。雪が降る日も足繁く通い、数か月にわたる折衝を続ける。その甲斐があって、1977年、条件付きだが晴れて沖縄そばの名称が認可された。 し
社会学者の卵の古谷有希子氏が、ここ二ヶ月ぐらい沖縄の歴史や社会を調べずにイデオロギー的歴史観を振り回している*1のだが、なかなか酷いことになっている。沖縄は植民地だが、沖縄の人々はそれが認識できていないと高らかに宣言している。普通の定義では植民地とは言え無いし、これは他人をバカだと愚弄している。 植民地の明確な定義は無いのだが、普通は司法や行政が本国政府と切り離されている一方で、本国政府の意向に従わないといけない地域の事を指すことが多い。少なくとも現在において、沖縄と内地で司法や行政は連続しているから、植民地とは言えない。また、米軍は当初、琉球を日本の植民地と捉えて解放するつもりだったのだが、独立ではなく本土復帰運動が圧倒的に優勢であったので、本土復帰になった経緯がある。 「沖縄の状況や歴史はハワイとよく似ている」とあるのだが、そんな事は全く無い。ハワイは独立国として諸外国に承認されていた
ガザから出域可能な“外国籍リスト”公開 ラファ検問所、日本人の名も イスラエルの空爆が続くパレスチナ自治区ガザの境界管理当局は、エジプトとの境界にある検問所からの出域…
翁長雄志・前沖縄県知事の急逝を受けて行われた沖縄県知事選は、翁長氏の後継・玉城デニー氏の圧勝で幕を閉じた。この勝利に翁長氏の死が大きく影響していたことは間違いない。 しかしそれは、単純な「弔い選挙」で片付けられる話ではない。翁長氏の死によって、これまで眠っていた沖縄県民の怒り――「沖縄をなめてはいけない」――が呼び覚まされ、今回の大勝に結びついたと考えられるからだ。翁長氏の死は、一つのきっかけだった。 一方で、さっそく玉城陣営=「オール沖縄」の課題も見え始めている。翁長氏の遺志のもとに集った人々は、本当に結束を続けられるか――玉城陣営で尽力した沖縄財界のキーマン、呉屋守将・金秀グループ会長の言葉からはそんな心配が透けて見えた。 ノンフィクションライター・石戸諭氏による、本土と沖縄の「これから」を考えるための選挙ルポルタージュ。 第一回 「翁長君は誤解されている」元知事が明かす沖縄、不条理の
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く