天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典が2019年11月9日に行われたが、皇居前広場での祝賀式典の最後、「万歳三唱」が何度も続いたことが、インターネット上で注目された。 「多すぎる万歳三唱に笑った」「結構な国民が??になってるぞ...」といった声から、「誰かが勝手に叫んでいたのか」との推測までさまざまな書き込みがなされている。この万歳三唱の連呼について、天皇陛下御即位奉祝委員会・広報事務局は「予定通りに行われたものです」と答えた。 伊吹文明氏の万歳三唱が終わった後に... 日中の奉祝まつり・祝賀パレードに続き、夕方から執り行われた祝賀式典。約3万人(主催者発表)が会場の皇居前広場に詰めかけた。 式典の後半、二重橋に天皇皇后両陛下がお出ましになると、安倍晋三首相の祝辞、アイドルグループ「嵐」による奉祝曲の歌唱、国家独唱・斉唱などに続き、天皇陛下がお言葉を述べられた。 そして最後に、伊吹文明・奉祝
またNHKが「独自」と称して宮内庁長官田島道治が昭和天皇の肉声をメモしていていた膨大なメモが見つかったとするニュースを長々と流していたが、今日のニュースを見る限り、加藤恭子『昭和天皇と田島道治と吉田茂』(人文書院、2006年)ですでに明かされたこと以上の発見はほとんどなかった。
管狸人 @kai38823 @PAGECO 神社の方は、吉田神社と北野天満宮だけが旧官幣中社で、後は全部旧官幣大社。しかも全部二十二社に数えられた神社ばっかり。強烈ですね。 (^^; 2019-05-01 16:33:25
公共性が高いと判断して、日本雑誌協会から各社に届いた「5月1日即位で変わる天皇・皇族の呼称についての注意点」を要約し転載しておきます。 1)4/30午後5時から退位の儀式が宮中で行われるが、呼称が切り替わるのは5/1の午前零時か… https://t.co/F0gghMh04r
ビートたけしが10日、国立劇場で開催された天皇陛下即位30年を祝う祭典「感謝の集い」で祝辞を述べた。 【写真】たけしのすぐそばに…ピエール瀧被告が 紋付き袴姿で登場すると、まずはマイクに頭をぶつけるボケ。「え~祝辞。衆議院…あ、こっちじゃない」と別の書面を読み上げるボケを続けて、笑いを誘うと、「はにほへと…あ、こっちだ」とボケを連発。3年前のお茶会で両陛下と初めて接した際、「あなたの監督した映画を見ています」と述べられたことに触れ、「私の映画のことや身体(バイク事故のけが)のことまで知っていたんだと驚き、不思議な感動に包まれました」と話した。 その上で「ただ、今、考えてみれば、両陛下がご覧になった映画が、不届き者を2人も出した『アウトレイジ3』でないということを祈るばかりです」と監督作「アウトレイジ」シリーズに出演した新井浩文被告、ピエール瀧被告が相次いで逮捕されたことに触れてここでもボケ
昭和天皇の生涯を宮内庁が24年かけてまとめた「昭和天皇実録」で、天皇、皇后両陛下に献上した「奉呈本」や、報道機関や研究者らに提供した内容に約5千カ所の誤りがみつかった。関係者が明らかにした。一般向けに出版する作業の過程で、日付や地名、人名など多くの誤りに気づいたという。宮内庁は確認を終え次第、正誤表を公表する方針だ。 実録は、宮内庁が天皇の日々の動静や発言の要旨などをまとめ、完成時の天皇に献上される言わば「公式記録」。昭和天皇実録の場合、87歳で逝去した翌年の1990年に編纂(へんさん)作業が始まり、2回の延長を経て2014年8月に「完成」し、現在の両陛下に奉呈本が届けられた。 奉呈本と同じ内容が掲載されたものが皇太子さまやほかの皇族方にも届けられたほか、報道機関に電子データで提供され、さまざまな報道で引用されている。また、情報公開請求に基づいて研究者らにも提供されている。 実録は完成後、
現在、世界で「エンペラー(emperor・皇帝)」と呼ばれる人物はたった一人だけいます。それは日本の天皇です。世界に王はいるものの、皇帝は天皇を除いて、残っていません。国際社会において、天皇のみが「キング(king・王)」よりも格上とされる「エンペラー」と見なされます。 「天皇」は中国の「皇帝」と対等の称号であるので、「キング」ではなく、「エンペラー」であるのは当然だと思われるかもしれません。これは日本人にとって、当然かもしれませんが、欧米人もこうしたことを理解して、「エンペラー」と呼んでいたのでしょうか。 一般的な誤解として、天皇がかつての大日本帝国 (the Japanese Empire)の君主であったことから、「エンペラー」と呼ばれたと思われていますが、そうではありません。1889(明治22)年の大日本帝国憲法発布時よりも、ずっと前に、天皇は欧米人によって、「エンペラー」と呼ばれて
昭和天皇が逝去した時に元号をいつ改めるかについて、政府が事前に五つの案を検討していたことが、内閣法制局が毎日新聞の情報公開請求に基づいて開示した当時の内部文書で判明した。案の中には、昭和天皇が1988(昭和63)年末に逝去した場合は翌89年元日から新元号を施行する「踰年(ゆねん)改元」なども含まれていた。実際は、昭和天皇は89年1月7日に逝去し、翌8日から平成に改元された。【野口武則】 【写真】昭和天皇を一目見ようと集まった人々=1947年12月5日撮影 文書は「改元政令案の内容と問題点」と題し、内閣法制局の内部での検討経緯が記されている。作成・取得日が89年1月7日のファイルに保存されている。 改元の手続きは、元号を改める政令を閣議決定した後、天皇が政令に署名して国民に周知する公布を行う。新元号の施行日は、政府が決めて政令に書き込む。当時、政府内で検討された改元のタイミングは(1)逝去日
9歳の少女のファンレターが、NBAスターのステフィン・カリー選手を動かした。女子用のバッシュ販売を約束(国際女性デー)
12月8日は、太平洋戦争開戦の日である。 この戦争を巡っては、昭和天皇が晩年の1987年まで「辛い」「戦争の責任のことをいわれる」などと悩んでいたことが、今年発見された資料で明らかになった(「小林忍侍従日記」)。 日本共産党の志位和夫委員長は、この資料発見のニュースに関連して「昭和天皇は、中国侵略でも対米英開戦決定でも、軍の最高責任者として侵略戦争拡大の方向で積極的に関与した。個々の軍事作戦に指導と命令を与え、戦争末期の45年に入っても戦争継続に固執して惨害を広げた。歴史の事実だ」(8月23日)などとツイートし、大きな反響を引き起こした。 「『戦争責任言われつらい』晩年の昭和天皇吐露」 昭和天皇は、中国侵略でも対米英開戦決定でも、軍の最高責任者として侵略戦争拡大の方向で積極的に関与した。個々の軍事作戦に指導と命令を与え、戦争末期の45年に入っても戦争継続に固執して惨害を広げた。歴史の事実だ
秋篠宮さまは30日、53歳の誕生日を迎えるにあたって記者会見に臨み、来年の皇位継承に伴う伝統儀式「大嘗祭(だいじょうさい)」の費用に、公的な予算が充てられることについて、儀式の宗教色を踏まえ、天皇の生活費にあたる予算から支出されるべきだという考えを示されました。皇族が公の場で、政府の決定と異なる意見を述べるのは異例のことです。 そして、「宗教行事と憲法との関係はどうなのかという時に、それは、私はやはり内廷会計で行うべきだと思っています」などと話し、憲法の政教分離の観点から、天皇の生活費などに充てられる予算の「内廷費」から費用を支出し、その範囲で儀式を行うべきだという考えを示されました。 政府は戦後の新しい憲法のもとで初めて行われた平成の「大嘗祭」にあたり、儀式の宗教性を踏まえ、皇室行事として行う一方で、国にとっての重要な儀式でもあるとして、費用は公的な予算にあたる「宮廷費」から支出していて
昭和20年8月15日正午の玉音放送、終戦を象徴するものとして数々のドラマでも流されてきたが、録音された昭和天皇の詔勅部分だけを流し、登場人物が終戦をしるという形になっている。ただ、あの終戦の詔勅というものは、当時の国民の殆どが聞いたことのなかった天皇陛下の肉声であり、また、独特の文語調の朗読であるため、あれだけを聞かされたとしたら、正直一発で理解できない人が多かったと思うのだが、大概のドラマではラジオの前で主人公が「戦争が終わった」と即座に理解するものだ。 実際の放送は、正午に天皇陛下の録音を流した後、NHKのアナウンサーがあらためて詔勅を朗読、続いて鈴木貫太郎首相の内閣告諭、終戦決定の御前会議の内容報道、ポツダム宣言受け入れの説明、これまでソ連を通じて和平工作を行っていた事実といったかなり突っ込んだ内容が放送されたらしい。その後、映画「日本のいちばん長い日」で描かれたような8月9日から1
◆天皇陛下「慰霊の旅」を批判した靖国神社宮司音声データを公開 https://t.co/lwRun6Kg3C 雑誌のニュースを動画で!「News MagVi」 リツイート・コメント大歓迎! #靖国神社 #小堀邦夫宮司 #皇室 https://t.co/iopxuZZGcE
天皇が「深い悲しみを新たにいたします」と述べた平成最後の終戦記念日、靖国神社(東京・九段北)には安倍晋三首相はじめ現役閣僚の姿はなく、中国や韓国も一頃ほど神経をとがらせなくなった。しかし、その落ち着きの裏で、靖国神社は“爆弾”を抱えていた。来年、天皇の「代替わり」と創立150年が重なる大きな節目を目前に、前代未聞の問題発言が神社トップである宮司から飛び出したのだ。 ◆「そう思わん?」「わかるか?」 靖国神社では今、来年の創立150年に向け、境内のいたるところで改修工事が行なわれている。だが、その内部では、修復不可能なほどの“綻び”が生じていた。 6月20日、靖国神社の社務所会議室で行なわれた「第1回教学研究委員会定例会議」で、その重大事は起きた。今年3月に第十二代靖国神社宮司に就任した小堀邦夫氏(68)が、創立150年に向けて新たに組織したのが「教学研究委員会」だった。これからの靖国神社が
特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 戦争終結は「もう一度戦果を挙げてから」(1945年2月)→東京大空襲、全国焦土化、沖縄戦 「海軍にはもう艦はないのか?」(1945年4月)→大和特攻、2時間で4千人戦死 沖縄をアメリカに売った「天皇メッセージ」(1947年9月) 戦争責任は「言葉のアヤ」、原爆投下は「やむを得ない」(1975年10月) こちらの記事へのコメントで要望を頂いた件、面白そうなのでやってみた。 昭和天皇裕仁のクソな「思し召し」と言えば、すぐ思い当たるのはつぎのようなものだろう。 特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 海軍特攻隊の生みの親と言われる大西瀧治郎は、必ずしも特攻作戦に積極的ではなく、これを「統率の外道」と呼び、こんなことまでしなければ戦えない状況になっていると知れば、天皇が戦争を止めてくれるだろうと期待していたと言
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