データや証言を積み重ねてきたから、今日は私が思うままに書こう。リベラルは完全な死を迎えた。 構成・タイトル写真 加藤文 2011年3月11日14時46分からの崩壊 私は小説を書いて発表し、写真作品を制作して発表する表現者なので、社会の規律や習慣、権威などにとらわれない活動をするという意味でリベラルであったろうし、だからこそ自分の自由だけでなく他者の自由を尊重することからもリベラルであったはずだ。政治的にも穏健な革新を望んでいた。 だが、こうした認識を改めざるを得なくなったのが2010年代であり、より厳密に言えば2011年の東日本大震災による原発事故が発端だった。 原発事故によって反原発運動が盛り上がるのはべつに不思議ではない。この運動を担ったのが左派またはリベラル勢であったのも特に奇妙ではない。だが彼らは科学的な事実を無視するだけでなく、真実を伝える人々を吊し上げ、暴力で口を封じるに及んだ