光文社新書『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』から、終戦前後の様子を伝える10枚を紹介する。
戦争伝える中学生朗読劇、町が中止 写真「衝撃大きい」:朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASHD352KSHD3TIPE01S.html 福岡県那珂川町の人権啓発イベントで町立中学校が上演予定だった朗読劇が、町の判断で中止になった。戦時中の写真をスクリーンに映し、歌などを交えて戦争の悲惨さを伝える劇だった。写真の中に原爆で亡くなった子どもの遺体などが含まれていたことから、町は「幼い子どもらも参加するイベントで衝撃が大きい」と中止を決め、準備を進めてきた学校側も受け入れた。 (略) 映し出す写真には、長崎原爆資料館(長崎市)が「黒焦げとなった少年」「背中一面に熱傷を受けた少年」と題して展示している写真も含まれていた。これらについて、町は「衝撃が大きい」「ショックを与える」などと判断。武末茂喜町長が1日、最終的に劇の中止を決めた。 イベントを担当する
(1) 生前、父は私(戦後まもなく生まれ)に中国での戦争体験について一言も語らなかった。とても家族に言えないような事をしたのであろうと、私は後に悟った。同世代の友人の父親も日中戦争についてはほとんど語っていない。いくら国の命令とは云え、他国を蹂躙し人命を奪った非道な行為をわが子には言えないであろう。世論操作に騙されたとか最高責任者が加害責任を取らなかったという言い訳で良心が免罪されるとは思えない。 (2)父の唯一の趣味は写真だった。日中戦争の頃は規制も緩かったようで、写真撮影は部隊の中でも重宝された様子が窺える。父は一言も語らなかったが、アルバムは日中戦争の真実を残してくれた。私は、これをホームページにアップして後世に残すことが役割と考えた。 (3)はだしのゲンの首切り場面が残虐だから子どもに見せないという。違う違う、数10年前に何百万人もの男達が、子どもに言えないような加害行為を国の命令
[サンフランシスコ/ワシントン 28日 ロイター] - インターネット交流サイト(SNS)大手の米フェイスブックが先月、ベトナム戦争の象徴的な写真を削除して世界的な騒動を巻き起こしたことを受け、同社幹部はすぐさまそれを撤回し、掲載を認めた。 だが元フェイスブック社員2人がロイターに語ったところによると、ナパーム弾でやけどを負った裸のベトナム人少女の写真は、かつて同社の社内研修で削除されるべき投稿の一例として使われていた。 研修担当者はこの写真について、歴史的意義はあるものの、苦しんでいる裸の子どもが写っており、同意なしで撮影されたものであるため、フェイスブックの規約に違反すると、コンテンツを監視する社員に話したという。 フェイスブックは、最小限の自由裁量で一様に適用できるルール作りに苦心している。しかし戦争写真の削除撤回は、同社幹部トップが時に会社の規約や、数多いコンテンツ監視担当者の意向
フェイスブックがコンテンツの扱いを巡って、さらなる騒動を巻き起こした。 発端は、ノルウェーの作家が、ベトナム戦争を象徴する報道写真”ナパーム弾の少女”をフェイスブックに投稿したことだった。 ナパーム弾の爆撃から逃げ惑う裸の少女を捉えたこの写真を、「全裸」を理由にフェイスブックが削除。抗議をしたこの作家のアカウントも停止に。 さらにこの経緯を問題の写真とともに報じたノルウェー最大の新聞「アフテンポステン」や、同国の首相のアーナ・ソールバルグさんのフェイスブック投稿まで、削除されてしまったという。 沸き上がる批判を受け、フェイスブックは結局、削除措置を撤回した。 人間の編集者による「保守派メディア排除」批判、そしてアルゴリズムによるデマの掲示…とフェイスブックのコンテンツ選別を巡るぎこちなさは、これまでも紹介してきた。 ※参照:編集者を解雇したフェイスブック、アルゴリズムがデマをピックアップす
世界を震撼させた20世紀の衝撃写真 世界を変えてしまうという写真が世の中にはあります。 新聞や雑誌のトップを飾り、人々の脳裏に焼きついて離れません。 ここに集められたのは主に20世紀を中心とした、人の心を動かした有名な写真の数々で、何度か目にしたものも多いとは思います。 それぞれの写真が世界にどんな影響をもたらしたのか、そして写真の背景や、その後の人物たちはどうなったのかに焦点を当てて紹介しています。 ベトコンゲリラの処刑(1968年) この写真は写真家エディ・アダムス(Eddie Adams)によって撮影され、ピューリッツァー賞を受賞した一枚。サイゴン警察が捕虜として捕らえたベトコン(南ベトナム解放民族戦線)の兵士グエン・ヴァン・レム(阮文歛)を、グエン・ゴク・ロアンが路上で射殺するところである。ベトナム戦争のアメリカの介入について世論に大きな影響を与えた。 グエン・ヴァン・レムのことを
ベトナム戦争で、米軍のナパーム弾攻撃を受け負傷した少女の写真。ベトナム・ホーチミン市の博物館で(2005年4月29日撮影)。(c)AFP/HOANG DINH NAM 【9月10日 AFP】交流サイト(SNS)最大手のフェイスブック(Facebook)は9日、ベトナム戦争(Vietnam War)でナパーム弾攻撃の被害を受けて逃げる裸の少女の写真に対して自社サイト上で行っていた検閲措置を撤回した。検閲措置に対しては、ノルウェーの首相を含む多数の人々から批判が集まっていた。 この写真は、1972年にAP通信(Associated Press)のカメラマン、ニック・ウト・コン・フィン(Nick Ut Cong Huynh)氏が撮影したもので、ベトナム戦争を代表する写真の一つと評価され、同氏にピュリツァー賞(Pulitzer Prize)をもたらした。 フェイスブック上での論争は数週間前、ノルウ
at the Institute on World War II and the Human Experience, Florida State University An American Ornithologist's View of US-Occupied Japan (1946-1950) and "Operation Deep Freeze" in Antarctica (1955-1956) Dr. Oliver L. Austin, Jr. was born in 1903 in Tuckahoe, New York, and in 1931, received Harvard University's first Ph.D. Degree in Ornithology. As a seasoned sailor whose family owned a large sum
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