戦前の「日本を、取り戻す。」—大日本帝国憲法「復元」を決議した町を訪ねて 2017年11月21日 21時02分 カテゴリ: 日本の保守 • 記事・コラム 当時の「大日本帝国憲法復原決議」議案書 薄日に照らされた中国山地を見上げると、頂の部分は雪に覆われていた。冷気をたっぷり含んだ空気が肌に突き刺さる。山間の町は、すでに冬支度を始めていた。 岡山県勝田郡奈義町──鳥取県境に接する人口約6千人の小さな町だ。町面積のほとんどは山林と原野で占められる。鉄道駅も高速道路のインターチェンジもない過疎地だ。 この街が、かつて一度だけ、日本中の注目を集めたことがあった。 1969年のことである。同町議会で「大日本帝国憲法復原決議」(原文ママ)が可決されたのだ。日本国憲法を破棄し、明治時代に制定された大日本帝国憲法を「復元」させよ、というものだった。 強調しておく。「改憲」ではない。明治憲法の「復元」である