日本新聞協会は10月20日、第60回「新聞広告の日」記念式典を港区のザ・プリンスパークタワー東京で開いた。新聞社や広告主企業、広告会社などから600人が参加。第37回「新聞広告賞」、2017年度「新聞広告クリエーティブコンテスト」の贈賞式などを行った。 白石興二郎会長は「新聞広告大賞を受賞した東京都交通局の作品は、かつて東京の街中を走り人々の生活の足であった都電の思い出を読者から募り、新聞小説形式で紹介したもの。じっくり読ませる手法で、思い出を読者と共有し高く評価された。新聞広告はアートであり読者に感動を与える。新聞社の持つ機能と総合力を生かし、広告主の要望に応えていきたい」と開会あいさつを行った。 続いて来賓から祝辞が贈られた。 全日本広告連盟(全広連)の大平明理事長は「私は、幼稚園から高校を卒業するまで都電で通っており、思い出が詰まっている。いろいろな物語が自分たちの手でつくれるのは新
1890年(明治23年)3月1日に日本で初めてのクリッピング会社「日本諸新聞切抜通信」が発足しました。 それを記念して毎年3月1日は「切抜の日」として登録されています。 切り抜き会社の歴史 1879年(明治12年) フランス(パリ)で世界最初の切り抜き会社「argus」発足 1888年(明治21年) アメリカで切り抜き会社「Burrelles」発足 1890年(明治23年) 「日本諸新聞切抜通信」発足(3月1日) 内務省から欧州に派遣された山縣有朋が滞在中に切抜会社を利用し、日本での創業を促したと言われている その後「愛国切抜」「時事通信切抜通信部」「帝国切抜通信社(大阪)」などの切り抜き会社が設立される 1939年(昭和14年) 「ざつなう社海外研究会」(「内外切抜通信社」の前身)発足 竹中庄三氏が、当時勤務していた企業で切抜を利用したのをヒントに、同僚の日系2世から米国のクリッピング方
きょう2月25日は、夕刊フジの創刊記念日=関連記事18面。47年前(1969年)のきょう、夕刊フジは編集・営業合わせて47人のメンバーによって発刊されました。それまで一般になじみのなかったタブロイド新聞で、駅売りの夕刊市場に“討ち入り”した47人は、後に産経新聞社内で「四十七士」と呼ばれたそうです。「周年」と呼ぶには中途半端な「47年」ですが、夕刊フジの歴史的にはちょっと意味のある数字なのです。 周年といえば、四十七士の先輩たちは斬新な新聞にふさわしい斬新な周年事業も行っています。いまも“伝説のイベント”として夕刊フジ内で語り継がれているのが、創刊1周年を記念して70年3月に銀座三越で開催した「話題のぴいぷる展」。会場に当時大人気だったザ・ピーナッツの2人を呼び、100人のギャラリーの前で夕刊フジの記者が「ぴいぷる取材の公開実演」を行ったそうです。 テレビやラジオの公開生放送は当時もあった
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