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歴史とアフリカに関するmorobitokozouのブックマーク (2)

  • ビアフラ戦争史(後編)- 国際社会の介入と内戦の泥沼化 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    ナイジェリア軍 vs ビアフラ軍の一進一退の攻防 前編では、北部ハウサ・フラニ人と東部イボ人の民族的対立やナイジェリア軍人たちの対立が加速した結果、とうとう東部州が1967年5月にビアフラ共和国として独立するまでをまとめました。 前編をご覧になりたい方はこちらをどうぞ。 後編では、ナイジェリア軍のビアフラ侵攻から共和国の崩壊に至る約3年の戦争をまとめていきます。 1. 開戦・連邦軍の攻勢とビアフラ軍の反撃 連邦軍の攻勢 ビアフラ共和国建国宣言から2ヶ月後の1967年7月6日、北東部の町オゴジャに連邦軍が攻撃を開始。ビアフラ戦争が勃発しました。 翌日、北部の町ヌスカに連邦軍の主力6,000が正面攻撃を開始し、ビアフラ軍も3,000の兵力で守備に当たっていましたが難なく突破され、ヌスカの町が陥落します。 次いで7月25日、連邦軍はビアフラ共和国の「心臓部」であるボニー港の攻略にかかります。ボニ

    ビアフラ戦争史(後編)- 国際社会の介入と内戦の泥沼化 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • ビアフラ戦争史(前編)- 戦争前夜、ナイジェリア民族対立の激化 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    200万人の犠牲者を出した「兄弟たちの戦争」 ビアフラ戦争は1967年7月〜1971年1月にナイジェリア共和国で起こった戦争です。 イボ人が主体の東部州が中央政府からの独立とビアフラ共和国の独立を宣言し、それを阻止しようとするナイジェリア政府軍との間でとなりました。 3年半続いた戦争は結局、ビアフラ共和国の崩壊とナイジェリアの再統一で終わったのですが、この戦争の犠牲者は凄まじく、戦災や飢餓により約200万人の民間人が犠牲になったと言われています。 なぜこの戦争が起こったのか。一言で言うと民族問題なのですが、事ここに至る過程はかなり複雑なものとなっています。今回はなぜビアフラ戦争が起こったのかをまとめていきます。 1. 英領ナイジェリアの成立 ナイジェリアの3大民族 現在のナイジェリア共和国の国土の大元は、1914年に成立した「英領ナイジェリア」を引き継いでいます。 ヨーロッパの植民地になる

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