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歴史と世界史に関するmorobitokozouのブックマーク (2)

  • 世界史のまとめ トップページ

    世界史の全時代・全地域を対象に 全時代を、25区分に「輪切り」に 日史も文化史も文に一体化 時代の厚切り 厚切り1 700万年前~紀元前後 厚切り2  紀元前後~800年 厚切り3  800年~1500年 厚切り4 1500年~1760年 厚切り5 1760年~1870年 厚切り6 1870年~1929年 厚切り7 1929年~1979年 厚切り8 1979年~ *大学入試センター試験「世界史B」に出題された内容は、 文中に平成28年度→【H28】のように表記。 その他大学入試に出題された内容は、【大学名の略称H28】のように表記。 表記について 1.なるべく現地語主義をとっていますが,万全を期すものではありません。 慣例の表記がないと理解しづらそうなものについては,「ササン(サーサーン)朝」のように併記してあります。 2.人名は,地名などと間違いやすいので,〈  〉で囲みました。

  • 「島のケルト」は「大陸のケルト」とは別モノだった。というかケルトじゃなかったという話

    歴史上の民族としての「ケルト」と、近代に作り出された「ケルト的なもの」の間には、深い溝がある。多くの人が持っているイメージは商業的な、そして近代のナショナリズムが生み出した「ケルト的な」幻想に過ぎない。 ――という話はわりと昔から言われていたのだが、最近の研究を久し振りに読み返してみたら、まさかの展開になっていた。 「そもそも島のケルトはケルトじゃない」 「中世以降のケルトは自称してるだけだった」 なんとアイルランドもウェールズも「ケルトを自称する別の何か」でケルト人の子孫じゃなかったのだ。 ******************************** 【旧来説】 ・ケルト人はローマに大陸から追い払われて島の片隅にしか残らなかった ・ケルト人が移住していったから製鉄技術が広まった ・「島のケルト」と「大陸のケルト」は少し違うものとして扱われる このあたりは知ってる人も多いだろうし、いま

    「島のケルト」は「大陸のケルト」とは別モノだった。というかケルトじゃなかったという話
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