5年前に長崎県対馬市の寺から盗まれ、その後、韓国で見つかった仏像をめぐり、韓国の寺が「中世に日本の倭寇に略奪されたものだ」と主張して引き渡すよう求めていた裁判で、韓国中部のテジョン(大田)地方裁判所は、26日、「仏像は過去、正常でない形で対馬に渡った。韓国の寺に所有権があるとみられる」として仏像を韓国の寺に引き渡すよう命じる判決を言い渡しました。
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野口健@kennoguchi0821韓国訪問の時にタクシーに乗っていたら運転手に「日本人か?」といわれ、「そうだ」と答えたら「車から下りろ」と。そのクセに「金は払え」と。頭にきて一銭も払いませんでしたが。当たり前でしょ。 韓国、日本人客減に危機感…都内で誘致イベント- http://t.co/kcEDNqsSdz 2014/07/14 23:44:16野口健@kennoguchi0821仮に日本で韓国人観光客がタクシーに乗って運ちゃんに「韓国人は下りろ」と言われるだろうか?タクシーだけじゃない。プサンでサウナに入っていたら、同じように「日本人か?」と尋ねられ追放された。あの時の印象が忘れられない。一部の人の対応かもしれないが日本人旅行者が減るのも無理はない。 2014/07/14 23:54:26 【関連】 【観光】 韓国、日本人客減に危機感…東京で誘致イベント「文化や観光の交流は、政治外
韓国が外国貴賓を招いた会での事。 インターコンチネンタルホテル社長がビールの泡を見ながら 『泡が原爆の煙のようだ。広島原子爆弾酒だ』と発言。 それを受けて盛り上がる韓国人達。 一人、険しい顔で屈辱に耐える駐韓大島日本大使。 http://www.youtube.com/watch?v=gX-JbBYkiZ8(動画) 動画途中から。 「爆弾酒は一旦おいておいて、日本大使の表情を撮影です。 大島大使は爆弾酒がお気に召さない表情。」 そんな彼に、ある爆弾酒の名前が・・ 「ビールの泡がぱっとはじける模様が あたかも、広島に原子爆弾が投下された時のキノコ雲がわき上がる様子に似ていますね。 だから、原子爆弾酒とも言えます」 関連記事:http://blog.naver.com/sudony?Redirect=Log&logNo=100022228544(韓国語) 39 名前
こんなものにリンクされて、ものすごく脱力した。 http://blog.livedoor.jp/mahorobasuke/archives/50487989.html 僕は『ホテル・ルワンダ』を日本で公開してもらうために、いろいろ尽力してきましたが、あの映画を観た後でも、こんなことを書く人がいるのを見ると、絶望的な気持ちになります。 この人は、僕が『ルワンダ』のパンフに関東大震災の朝鮮人虐殺事件について書いた意味がわからないようなので、もう一度書きます。 このルワンダの事件を、遠いアフリカの出来事として観ても意味がない。 虐殺は、どこの国でも起こってきたし、これからも起こり得ることであって、 私たちは誰でも、人を差別して迫害する、虐殺の種を秘めているんだということを自覚し、 ルワンダみたいな状況になった時、ポールさんのように行動できる人間にならなければ。 ところが、この人は、虐殺の種を抱え
当ブログの文章等の著作権は、ブログ主(ハンドルネームmahorobasuke)に帰属しております。又、著作権の放棄はしていません。当ブログの文章等の許可のない使用(全文の引用及び、一部の引用)を一切、禁じます。使用される場合は、必ず使用許諾を得てください。 1994年にアフリカのルワンダという国で、国内の2つの民族(フツ族とツチ族)が対立し、フツ族がツチ族を殺す、という事件がありました。 殺されたツチ族の数は数十万人にのぼると言われています。 その事件を元に製作されたのが「ホテル・ルワンダ」という映画です。 映画は非常によくできたものであり、米アカデミー賞作品賞にノミネート、主演のドン・チードルは主演男優賞にノミネートされました。 この映画が日本で公開された際、町山智浩という在米のコラムニストが、文を寄稿していました。 主演のドン・チードルについてなどの文章の最後に、唐突に「関東大震災の朝
日中双方の新聞記者交換に関するメモ(にっちゅうそうほうのしんぶんきしゃこうかんにかんするメモ)は、日中国交正常化前の日本と中華人民共和国の間における記者の相互常駐に関する協定であり、日中記者交換協定、記者交換取極[1]とも呼ばれていた。 1964年の日中LT貿易にて結ばれ、のちに1972年の日中国交正常化により失効した後、新たな記者交換取極が交わされた[1]。 概要[編集] 1952年(昭和27年)、日本は、台湾の中華民国との間「日本国と中華民国との間の平和条約」(日華平和条約)を締結した。これにより、ともに中国における正統な政府であることを主張する中国国民党政府と1949年(昭和24年)中華人民共和国建国を宣言し北京を首都とする中国共産党政府のうち、日本は中華民国政府を「中国の正統な政府」と認めて国交を結んだ。 その後、紆余曲折を経て、1962年(昭和37年)に日本と共産党政府との間で「
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