簡単に長州藩、薩摩藩に加え会津藩の関係について、幕末の流れを 時系列に列挙してみます。 ・ペリー来航から日本開国 → 一般世間に攘夷(外国排除)思想が吹き荒れる。 → 幕府を倒し(倒幕)、朝廷(天皇)主導の政治(尊皇)思想が流行する。 ・長州が過激な 「尊皇攘夷」 思想を展開、朝廷の信頼を得る。 → 長州が改革の旗頭に。同じ思想の薩摩が一歩後退。 ・薩摩が会津に同盟を打診。協力関係が出来る。 → 幕府を倒すではなく、幕府と朝廷で仲良くやろうの思想。(公武合体) → 長州失脚、京都から追放処分。薩摩と会津が主権を握る。 → 長州にとって薩摩と会津が憎き敵となる。 ・会津藩主が京都守護職(京都の警察)となり、新選組などを抱える。 → 新選組は純粋に職務を実行。多数の長州藩士を容赦なく斬る。 → このことから長州にとって会津は憎んでも憎みきれない存在となる。 ・土佐を中心としたメンバ(坂本龍馬や