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考えと日本語に関するmorobitokozouのブックマーク (3)

  • 蜘蛛は網張る from 山頭火

    今回は山頭火の少々哲学的な味わいの句をご紹介します。 蜘蛛が網を張る行為というのは、独特なイメージがあります。 蜘蛛の巣は、住処であると同時に、物を得るための道具であり、しかもそれは蜘蛛自身の体から紡ぎ出されたものであります。 この奇妙な自己完結した空間は、『待つ』という行為に凝縮された弱肉強の老獪な一つの仕掛けといった非情な自然のシステムの一つの形であると共に、何かの外的要因で破壊されても、すぐに復活して無限に自己空間を形成しようとする、一種の閉塞的な能も感じさせます。 繭をつくって閉じこもってゆく蚕(かいこ)のモノローグ的なイメージに比べて、不気味な仄暗(ほのぐら)い能を感じさせるのです。 山頭火が、『私は私を肯定する』といったことと蜘蛛の行為を並列させたことには、これらにある種の共通なものを感じとったに違いありません。 自分を肯定することは、他人や世間といった外的なこ

  • 「差別語」についてある視点から学んだ学生時代の記憶 - 空中の杜

    高校の時、「差別語」についての授業がありました。 こう書くと、どのような授業を連想されるでしょうか? おそらく多くの人は「ああ、『差別はいけない、差別語は使ってはいけない』系のヤツだろうな」と思われるでしょう。 しかし、私が受けた授業はそういう方向性のもの違うものでした。 教科書の 『伊豆の踊子』とその削除された部分 「差別語」の存在 「これも自粛されているの?」という驚き 「差別語」の資料は少ない 「差別語」やそれに伴う表現にあり方について考えるべき 教科書の 『伊豆の踊子』とその削除された部分 その「差別語」のことについて触れたのは、社会系の授業ではなく現国の授業で、教科書にあった『伊豆の踊子』を学んだ時だったと思われます(もうだいぶ前のことなので、記憶があいまいなところがあるのはご容赦)。 教科書に収録される小説や随筆は、一部カットされている状態で入っているものが多いです。それは教科

    「差別語」についてある視点から学んだ学生時代の記憶 - 空中の杜
  • 「シェアさせていただきます」ってなんやねん!

    例えばFacebookなんかで 「シェアさせていただきます。」 という言い回しが、 謙虚さに隠れた自己主張だという捉え方が成されて久しい。 こういう謙虚さと自己主張の共存って、 SNS文化として浸透してなお強く認識された感覚だと思う。 いわゆる社会科学の一つ。 慇懃無礼的なものとしては、昔からあったんだろうけどね。 SNSの浸透によって亜種からさらに新種としての現象が起こっているように思う。 ・ネット社会という非現実感と事実上の超現実とのギャップ ・ネットでの発言自体が自己主張であるにもかかわらず、謙虚さを主張しているという言語と行動の矛盾 ・謙虚さの裏側にある、私にはこの良さがわかる(時には私にはわかるけど、あなたにはわかるかな?)という優越感 など、謙虚な投稿に矛盾する主張が共存すると、 何とも違和感が甚だしい。 ○○セミナーに参加させていただきました ○○さんとご一緒させていただき

    「シェアさせていただきます」ってなんやねん!
    morobitokozou
    morobitokozou 2015/04/03
    大きなおシェアです
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