1890年のこの日、東京と横浜で電話の営業が始まりました。当時の加入者は東京で155人、横浜で42人。電話交換手は昼は女性7名(多分全員良家の令嬢),夜は男性2名でした。 この時の電話番号は東京の部が1は東京府庁で2は逓信省電務局などです。この時大隈重信が177だったのは有名ですが、ほかに渋沢栄一が158, 後藤象二郎が247, 前島密が248, などといった番号が割り当てられていました。 当時の「電話加入者人名表」が手元に画像しかないので判読が難しいのですが、岩崎弥太郎が160ではないかと思います。この手の話をすると掲示板でしばしば話題になる138番のマクドナルドですが、いろいろ調べてみたのですが、最初は日本で最初に英語を教え和英辞典まで作ったというアメリカ生まれのカナダ人(しかも父はスコットランド人,母はチヌーク族という本当に国際的な人)ラナルド・マクドナルド(Ranald McDon