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チベットと歴史に関するshibusashiのブックマーク (9)

  • アルピニスト・野口健のブログ : チベットに自由と正義を〜人権問題に国境はない〜 - ライブドアブログ

    6月19日、朝、家を出る時はいつも違った緊張感を味わっていた。その日は長野市で「メルトダウン イン チベット」の上映会と私のチベット問題に対する講演会が予定されていたからだ。 私の第一歩 2008年3月14日、チベットのラサで起きた血の抗議事件から2年。中国の人権侵害に苦しむチベット人が北京オリンピック前に世界に訴えようとラサで抗議を行った。その結果、多くのチベット人が逮捕され、獄中で拷問を受け200人以上のチベット人が犠牲となった。 あの暴動が起きた時、私は日でその様子をテレビで眺めながら、あの温厚なチベット人がついに行動に移したと、まさに知覧から飛び立っていく特攻隊員の心境と同じなのだろうと心が苦しくなった。もし私がその場にチベット人として居たのならば、間違いなく私も手に石を持ち参加しただろう。その行動をどうして批判出来ようか。 1946年にチベットは中国共産党の軍事戦略を受け、19

    shibusashi
    shibusashi 2010/07/06
    「 私の発言が中国語に翻訳され中国で出回っていると中国人に聞かされた。チベット亡命政府のサイトに私のコメントが紹介された事で外務省関係者から「野口さんはもう中国には入れないでしょう」と言われた」
  • [book]「中国はいかにチベットを侵略したか」読了 - Vox

    中国はいかにチベットを侵略したか」、読了。 チベット問題を扱ったはあと何冊か読もうと思う。ので、このの冷静な評価はその後するとしても、読み終わったばかりの今、強く印象に残ったことを書いておく。 中国侵略前、チベットの国としてのまとまりは弱かった。特に、最初に中国軍に進入された東チベットはラサの中央政府には従っていなかった。 中国の浸透を許した原因は、ラサ政府の無能さはもちろん、政治的に未熟だったダライ・ラマ14世の判断の誤りにもある(さらにいえば、政治的空白が生じざるをえない「輪廻転生制度」にも問題がある)。 一番驚き、印象に残ったこと。 チベット人は弾圧される一方だったのではない。実に勇猛果敢にゲリラ戦を展開し、戦いは激烈を極めた。女や老人も刀や銃を取った。チベット人は元々戦いを忌避しないし、戦闘能力も高い。中国による弾圧は、双方の報復合戦としてエスカレーションしていった面

    shibusashi
    shibusashi 2009/03/25
    『1959年、国際法曹委員会は報告書の中で「中国がチベット国民、道徳、人種、宗教、それら社会集団を丸ごと抹殺することによって絶滅しようとしたことが、1948年の国連ジェノサイド条約に触れることは明白」と述べた』
  • 何故ネトウヨは調べもせずに捏造と言えるんだろう - 解決不能

    人民日報、人権問題でダライ・ラマを非難 中国の新聞「人民日報」海外版は19日署名入りの文章を発表し、人権問題でダライ・ラマを強く非難しました。 この文章は、「1948年の12月、パリで開かれた国連総会では『世界人権宣言』を採択した。この宣言には、いかなる形式の奴隷制度と奴隷売買は禁止されるべきだと明記している。昔のチベットではダライ・ラマが領主であり、邪悪勢力の代表であった。当時、ダライ・ラマの生誕記念日を迎えるため、農奴は生きたまま皮を剥がされ、内臓を抉り取られ、首を切られたりした。これは人間のやることではない。。ダライ・ラマは『人権』を論じる資格がまったくないのだ」と指摘しています。 今更こんな昔の事を蒸し返してどうなるって状況じゃないのは誰もが分かってる事です。が、それとは違う話で、呆れた事にこれを調べもせずに「捏造!捏造!」とヒステリックに喚いてるネトウヨさんが…。何故調べもせずに

    何故ネトウヨは調べもせずに捏造と言えるんだろう - 解決不能
  • FOREIGN AFFAIRS JAPAN

    shibusashi
    shibusashi 2008/04/18
    10年前の論文だけど、今でもまったく色あせない一級論文。
  • 梁文道:チベット問題の最大公約数を探る - 思いつくまま

    みどりごを殺す「正義」はありや? パレスチナ占領に反対します--住民を犠牲にして強盗の安全を守る道理がどこにあろう チベット問題の最大公約数を探る-----民族和解のために 文:梁文道 出典:http://www.my1510.cn/article.php?5c3c61b62b4c77b1 http://duting.blshe.com/post/3272/184561 一 2006年、ダライラマがインドで挙行したカーラチャクラ(時輪金剛)灌頂法会の席で、彼は最近のチベット人の毛皮を好む虚栄の気風を、低俗であるだけでなく仏教の教義にも反していると批判した。数日後、チベット各地で人々が続々と高価なヒョウ皮のコートやキツネの帽子などをおおっぴらに焼きだした。現地の役人はかんかんに怒った。彼らは「ダライラマを首領とするチベット独立派の計画的活動」とみなした。そしてチベット人に毛皮の上着を着るよう

    梁文道:チベット問題の最大公約数を探る - 思いつくまま
  • 解説委員室ブログ:NHKブログ | 視点・論点 | 視点・論点 「チベット騒乱と中国」

    << 前の記事 | トップページ | 次の記事 >> 2008年04月08日 (火)視点・論点 「チベット騒乱と中国」 東京大学准教授 平野 聡 中国が現在支配している「世界の屋根」チベットで、僧侶の反政府デモをきっかけとした混乱が生じてから約1ヶ月が経ちました。これに対し中国政府は、北京オリンピックを開催するためにも「社会の安定」が必要だと考えて弾圧を強めていますが、国際社会における懸念は強まる一方です。では、何故このような事態になってしまったのでしょうか。その背景には、中国とチベットの愛憎半ばする複雑な歴史的関係があります。 そのようなチベットが、何故今日「中国の一部分」とされ、しかも中国の弾圧にさらされているのでしょうか。その遠いきっかけは、とても意外なことに思われるかも知れませんが、チベットの仏教文化が持つ魅力が、広く民族や文化の違いを超えて広がったことにあります。とくに、17世

    shibusashi
    shibusashi 2008/04/12
    『前近代において「中国」という言葉は、漢字と儒教の文化がある土地を指していたからです。漢字文化を身につけた漢民族からみて、チベットは「外国」と見なされていました。』これは良記事。
  • 挑発に怨念噴出 チベットの哀しみ ペマ・ギャルポ氏 (1/5ページ) - MSN産経ニュース

    中国のチベット族居住地域で騒乱が続発している。チベット自治区の区都ラサだけでなく、四川省など近隣の各省に住むチベット族も中国当局とぶつかっている。チベット族は今、なぜ、このような行動に出ているのか。チベット仏教最高指導者、ダライ・ラマ14世のアジア・太平洋地区担当初代代表を務めたペマ・ギャルポ桐蔭横浜大学法学部教授は21日、産経新聞に対し、中国共産党の支配下に入ったあとのチベット族の悲惨な境遇を振り返りながら、今回の騒乱に至る経緯などを、説明した。 ▼チベット族釈放要求 今回の騒乱は3月10日から始まった。1959年、ダライ・ラマがインドに亡命することになったチベット決起(動乱)からちょうど49年にあたるこの日、ラサでは、僧侶たちが平和的にデモを行った。それが、死者99人(チベット亡命政府発表)を生む騒乱に拡大した。 中国の温家宝首相は、ダライ集団が背後で糸を引いた「計画的」な騒乱と主張し

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    晴天の価値 2月中旬に出張で千葉へ行った。5日間の滞在中はずっと快晴で、気温は20℃に迫る春のような暖かさだった。仕事は朝から晩まで現場を走り回る過酷なもので、身体的にも精神的にも追い込まれた。毎朝、京葉線から見える美しい景色を眺めて正気を保っていた。太平洋へ燦々と…

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    shibusashi
    shibusashi 2008/04/06
    『こうなる伏線となった事件が1956年から1957年にかけて行われた、「百花斉放百家争鳴」という運動だ。』
  • Tibet The Story Of A Tragedy

    FREE TIBET NOW ~ LONG LIVE THE DALAI LAMA

    Tibet The Story Of A Tragedy
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