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旧軍に関するshibusashiのブックマーク (47)

  • インパール作戦後の“地獄”指導者たちの「道徳的勇気の欠如」 | NHK | WEB特集

    太平洋戦争で日軍と戦ったイギリス軍のある司令官は、日軍の上層部の体質を次の様に喝破していた。 「日軍の指導者の根的な欠陥は、“肉体的勇気”とは異なる“道徳的勇気の欠如”である。彼らは自分たちが間違いを犯したこと、計画が失敗し、練り直しが必要であることを認める勇気がないのだ」(第14軍 ウィリアム・スリム司令官 ※タイトル画像の人物) 戦いの舞台となったのは、インパール作戦で知られるビルマ戦線(現在のミャンマー)。実は、太平洋戦争で“最も無謀”といわれたインパール作戦のあと、それをはるかに上回る命が失われていたのだ。 指導者たちのどのような体質が、さらなる“地獄”を作り出したのか。 77年の時を経て、私たちが直視すべき「道徳的勇気の欠如」、その実態をひもとく。 (NHKスペシャル「ビルマ絶望の戦場」取材班)

    インパール作戦後の“地獄”指導者たちの「道徳的勇気の欠如」 | NHK | WEB特集
    shibusashi
    shibusashi 2022/10/24
    『「自分たちが間違いを犯したこと、計画の練り直しが必要なことを認める勇気がない」ビルマで日本との戦いを指揮し、日本軍指導者の体質を“道徳的勇気の欠如”と指摘した』
  • 50年間、口外してはならない 極秘調査・兵士たちの“心の傷” | NHK | WEB特集

    先の大戦中、戦場でのストレスなどが原因で精神疾患を発症した兵士たちがいました。 しかし、その存在は「皇軍の恥」とされ、ひた隠しにされてきました。 ことし、兵士たちを追跡調査したおよそ60年前の極秘資料が、NHKの取材班にはじめて開示されました。800ページにわたる資料には、壮絶な戦場での体験から戦後も病に苦しみ、誰にも理解されず孤独を抱えて生きた兵士たちの姿が記録されていました。 (映像センター 報道カメラマン 小椋崇広) 戦地のストレスなどによる精神疾患を総称して“戦争神経症”といいます。 症状は不眠やうつ、幻聴など。全身がけいれんしたり、歩行が困難になるなどの激しい症状が現れる人もいました。 戦時中、日軍は「戦争への恐怖で発症する兵士はいない」と、表向きはその存在を否定する一方で、千葉県にあった国府台陸軍病院を専門病院として患者の治療を行っていました。

    50年間、口外してはならない 極秘調査・兵士たちの“心の傷” | NHK | WEB特集
  • 台湾の「歴史の暗部」を掘り起こす 日本統治時代の捕虜収容所 - BBCニュース

    台湾北東の海岸部に位置する金瓜石は、なだらかな丘陵に囲まれ景色の美しい、かつて鉱山があった町だ。だが、木々が青々と生い茂り、遠くに海を臨むこの土地の足元には、忘れられた歴史の暗部が横たわっている。

    台湾の「歴史の暗部」を掘り起こす 日本統治時代の捕虜収容所 - BBCニュース
  • 「インパール作戦」を強行した牟田口廉也中将 毎夜料亭で酒を飲み、芸者を自分の部屋に | 終戦、75年目の夏 | 文春オンライン

    第二次世界大戦における旧日軍のもっとも無謀な作戦であった「インパール作戦」惨敗の主因は、軍司令官の構想の愚劣と用兵の拙劣にあった。かつて陸軍航空映画報道班員として従軍したノンフィクション作家・高木俊朗氏は、戦争の実相を追求し、現代に多くのくみ取るべき教訓を与える執念のインパールシリーズを著した。 インパールを知らぬ世代、必読! シリーズ第3弾『全滅・憤死 インパール3』より、インパール盆地の湿地帯に投入された戦車支隊の悲劇を描く「全滅」の冒頭を一部紹介する。 (全3回の1回目。#2、#3を読む) ◆ ◆ ◆ 早々に過半の兵力を失う状況下で流れた噂 それまで勇将として畏敬されていた将軍が、暴将とか狂将といった評価に急変した。 ビルマ方面の日軍を指揮した、第15軍司令官・牟田口廉也中将である。 昭和19年3月、多くの反対を押し切って、牟田口軍司令官がインパール作戦を強行した時は、一部で

    「インパール作戦」を強行した牟田口廉也中将 毎夜料亭で酒を飲み、芸者を自分の部屋に | 終戦、75年目の夏 | 文春オンライン
  • 戦後70年以上経て旧日本軍資料の出版相次ぐ 毒ガス戦や人体実験も - ライブドアニュース

    by ライブドアニュース編集部 ざっくり言うと 戦後70年以上を経て、旧日陸軍関連の資料や報告書の出版が相次いでいる 中国での毒ガス戦を記したものや、人体実験をした731部隊に関するものなど 報告書を発掘した歴史研究者は「考えるきっかけにしてほしい」と訴えている 提供社の都合により、削除されました。 概要のみ掲載しております。 関連ニュース ランキング 総合 国内 政治 海外 経済 IT スポーツ 芸能 女子

    戦後70年以上経て旧日本軍資料の出版相次ぐ 毒ガス戦や人体実験も - ライブドアニュース
  • 「ドイツやフランス軍による戦場での管理売春、従軍慰安婦、性奴隷」というTogetterの事実誤認 - 法華狼の日記

    momoetbeppo氏のまとめたTogetterが、はてなブックマークを集めていた。 ドイツやフランス軍による戦場での管理売春、従軍慰安婦、性奴隷 - Togetter しかし最初に資料らしきものを示しているツイートは、古くから日軍慰安所との類似が指摘されているドイツのみ。 以降のツイートの多くは、必ずしも資料を示していないし、従軍慰安婦問題の争点を踏まえられていない。 まずタイトルの時点で、日軍慰安所制度にかぎらず、あまり公娼制などの議論を踏まえていないことがわかってしまう。 この問題の文脈において「管理売春」という言葉は固有の語義があり、売春を公的に管理するという意味で使うべきではないのだ。 管理売春(かんりばいしゅん)とは - コトバンク 自己の占有・管理する場所または指定する場所に居住させ、売春させることを業とすること。売春防止法上の犯罪。 公娼(コウショウ)とは - コトバ

    「ドイツやフランス軍による戦場での管理売春、従軍慰安婦、性奴隷」というTogetterの事実誤認 - 法華狼の日記
  • sanook.com รวมข่าว ดูดวง หวย ผลบอล เพลง Joox เกม

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    shibusashi
    shibusashi 2018/05/27
    タイ語の翻訳なんて初めてした。
  • 転機となった「裏切り」 野中広務さんの「政治と差別」

    2018年1月26日に92歳で亡くなった元官房長官の野中広務さんは、近年、政権中枢を担った保守政治家の中ではとびぬけて重たい人生経験の持ち主だった。 戦争末期に召集され、軍隊生活を送っただけではない。身をもって「被差別」を知り、もがき苦しんだ過去があった。 「差別体験」を赤裸々に語る 元共同通信記者、魚住昭さんは2004年、『野中広務 差別と権力』(講談社)を出版、野中さんの波乱に満ちた人生に切り込んだ。当時、しぶしぶ取材に応じた野中さんは「話をするのはいいけれど、雑誌に書かれるのは迷惑な話なんで、死んでからにしてください」と、良い顔をしなかった。 だが、政界引退後の09年に人材育成コンサルタント、辛淑玉さんと共著で出した『差別と日人』(角川書店)では、もう吹っ切れたのか、自らの「被差別体験」を赤裸々に語っている。 忘れようにも忘れられない「事件」が起きたのは25歳のころだ。野中さんは大

    転機となった「裏切り」 野中広務さんの「政治と差別」
  • 「我らの内なる、牟田口廉也」とは何か?~「戦慄の記録 インパール完全版」(NHKBS)を契機に語られたあれこれ

    【BS1スペシャル「戦慄の記録 インパール 完全版」】が10日、放送されたそうです(当方見逃し)。 完全版ではない番組が夏に放送された時も反響は大きかったのですが、その時も今回も、一戦場、一戦史を超えて「ここに描かれた組織や上官の在り方は、日社会に典型としてあるのでははないか」との議論が盛んになり「我らの内なる牟田口」といった話が出ました。 検索などして、そんなツイートを収録。 カテゴリは「軍事」もあるけど「歴史」を選択。 ツイートを使わせていただいたアカウントはこちら(※追加は除く) 続きを読む

    「我らの内なる、牟田口廉也」とは何か?~「戦慄の記録 インパール完全版」(NHKBS)を契機に語られたあれこれ
  • 9回出撃して、9回生きて帰った特攻隊員の「その後の人生」(鴻上 尚史)

    「佐々木さん、生きてますよ」 佐々木さんの存在を知ったのは、2009年でした。特攻隊に関するあるの中で、ほんの数行「八度出撃して、八度帰ってきた佐々木友次」という記述を見つけたのです。僕は衝撃を受け、この人のことをずっと知りたいと思っていました。 毎年、春を過ぎる頃に、テレビ関係者から「鴻上さん、何か終戦特集の企画、ないですか?」と聞かれます。とにかくネタを集めるテレビマンの習性です。 僕はそのたびに、佐々木友次さんの名前を挙げました。番組になれば、佐々木さんについて詳しく分かると思ったのです。 テレビマン達は、みんな、「面白そうですね」と言いましたが、それだけでした。そこから、企画が動くことはありませんでした。 あまりにも今までの特攻のイメージと違っているからか、生き延びたということが何か問題があると思ったのか、とにかく、何も始まりませんでした。 2015年、また、僕はBS朝日の『熱中

    9回出撃して、9回生きて帰った特攻隊員の「その後の人生」(鴻上 尚史)
  • 日本軍の最高幹部たちが考えていた「本土決戦」とはどのようなものだったのか?

    6月23日、沖縄の組織的な戦闘が終結。大営が、いや日が何を考えたかというと、「土決戦」です。沖縄は「土」じゃないんですね。とうとう米軍が日土」に攻めてくる、その時に政府、軍の首脳がどう考えていたのか。むろん、勝てっこないことはまともに考えればすぐに分かることです。

    日本軍の最高幹部たちが考えていた「本土決戦」とはどのようなものだったのか?
  • 終戦後、ある日本軍人が”好敵手”に敬意「君達(味方)は一騎当千だった。必ず何か盗んでった」…これがリアル「大砲とスタンプ」 - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

    当は終戦記念日に合わせて書きたかったのだけど、やや遅れ気味になった。 終戦を迎え、フィリピン戦線の帝国軍人たちが送られたとある収容所にて。 元砲兵隊の少尉が往時を回想する…。 その部隊には米軍が捨てていった自走砲が配備されていた。 (自走砲は軍事(装備)オンチの当方も知っている。砲があって、車がついているから、戦車に見た目はやや似ているのだが、砲塔が回らず、一方向だけを向いているのだ) だから、陣地を移動したり向きを変えるときには、当然走らせなければいけない。そして、それには当然ガソリンをう。 この移動と、そのためのエンジンの調整と、予備陣地への移動訓練のためわずかに燃料が支給された。 だが実際はこの燃料は、料集めに使われていた(略)当然それだけでも、機動力のあって人員の少ない部隊は、それのない部隊よりはるかに給与がよくなり…さらに受領した多量の塩との交換で、民間からの物資や人夫の調

    終戦後、ある日本軍人が”好敵手”に敬意「君達(味方)は一騎当千だった。必ず何か盗んでった」…これがリアル「大砲とスタンプ」 - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
  •  産経新聞 2016年10月16日付掲載〈「虐殺」写真に裏付けなし〉記事について|NNNドキュメント

    2015年10月放送のNNNドキュメント「南京事件 兵士たちの遺言」について、産経新聞が報じた<「虐殺」写真に裏付けなし>という記事の内容は、番組が放送した事実と大きく異なっていました。このため日テレビは書面において産経新聞に対して厳重に抗議するとともに、ここに主旨を掲載します。 まず<「虐殺」写真に裏付けなし>という大見出しは事実ではありません。 番組で使用した写真は、大勢の人が積み重なるように倒れているものです。産経新聞の記事は、類似写真を1988年に掲載した別の全国紙紙面を引用、掲載しました。産経新聞の記事は、1988年の記事が「大虐殺の写真と報道した」と論じ、その記事を番組の内容と混同し、批判しました。しかし番組は写真について「防寒着姿で倒れている多くの人々」と説明したうえで、「実際の南京の揚子江岸から見える山並みと写真の背景の山の形状が似ていることを示した」と報じたものであり、

     産経新聞 2016年10月16日付掲載〈「虐殺」写真に裏付けなし〉記事について|NNNドキュメント
    shibusashi
    shibusashi 2016/10/28
    当時、現地にいた兵士の日記は重要だよね。
  • 電通や東芝といった大企業が、「軍隊化」してしまうワケ

    電通の女性新入社員が「過労自殺」したことを受け、「オレの時代はもっと大変だった。いまの若い者は我慢が足りない」と思った人もいるだろう。上の世代にとっては“常識”かもしれないが、なぜそのような考え方をしてしまうのか。 スピン経済の歩き方: 日ではあまり馴染みがないが、海外では政治家や企業が自分に有利な情報操作を行うことを「スピンコントロール」と呼ぶ。企業戦略には実はこの「スピン」という視点が欠かすことができない。 「情報操作」というと日ではネガティブなイメージが強いが、ビジネスにおいて自社の商品やサービスの優位性を顧客や社会に伝えるのは当然だ。裏を返せばヒットしている商品や成功している企業は「スピン」がうまく機能をしている、と言えるのかもしれない。 そこで、連載では私たちが普段何気なく接している経済情報、企業のプロモーション、PRにいったいどのような狙いがあり、緻密な戦略があるのかとい

    電通や東芝といった大企業が、「軍隊化」してしまうワケ
    shibusashi
    shibusashi 2016/10/12
    『長時間労働やある程度の「しごき」を是とする企業人たちは、「企業=人生の修練道場」だと思い込んでいるふしがある』
  • 小野田寛郎さんはサイコパスだった: 日光かわず庵雑記帖 by たくき よしみつ

    フェイスブックの今日は何の日的な書き込みで、「57年前の今日(1959/03/15)、フィリピン、ルバング島の小野田寛郎少尉と小塚金七一等兵が日比合同捜査隊に発砲する」というのを目にした。 横井庄一さん、小野田寛郎さんの帰還はテレビで大々的に中継されていたから鮮明に覚えている。でも、小野田さんと一緒に潜伏していた日兵が複数いて、仲間は戦後だいぶ経ってから銃撃戦の中で死んで、小野田さんだけが戻って来たことは、記憶としては残っているけれど、詳細については知らないことが多いと気づいた。 そこで、実際はどういう経緯だったのか、調べてみることにした。 時系列でまとめると、 1945年2月28日 米軍がルバング島に上陸。装備もまともになかった日軍はあっという間に壊滅状態で、一部兵士が山の中に逃げ込んで潜伏。生き残った数十名が投降。小野田寛郎少尉は島田庄一伍長、赤津勇一一等兵、小塚金七一等兵と一緒に

    小野田寛郎さんはサイコパスだった: 日光かわず庵雑記帖 by たくき よしみつ
  • 日本軍と共謀した毛沢東を、中国人はどう受け止めたか?

    6月17日、拙著『毛沢東 日軍と共謀した男』の中文版がニューヨークで出版され、VOA中文テレビの取材を受けた。視聴者のコメントと報道ページに載ったアンケートから、華人華僑の心情と日人の反応との違いを考察する。 中文版の出版 昨年11月13日、新潮新書から『毛沢東 日軍と共謀した男』を出版したところ、昨年末、イギリスの公共放送BBC(British Broadcasting Corporation)中文網の取材を受けて世界に発信された。 すると1時間もせずに世界各地の中文出版社から翻訳出版のオファーが殺到した。最も早くオファーを受けたのが、ニューヨークにあるMirror Media Group(明鏡出版)という出版社だったので、そこに決めて中国語の翻訳を開始した。 新潮新書では文字数の制限と、流通の関係上、時間的制限もあったので省略した部分が多く、中文版の時に大量に書き込み、新しく発見

    日本軍と共謀した毛沢東を、中国人はどう受け止めたか?
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  • 【戦後70年特別企画】「昭和陸軍」の失敗。エリート軍人たちは、どこで間違えたのか(週刊現代) @gendai_biz

    第二次大戦時、アメリカと日の国力には12倍の差があったと言われる。巨大な敵に、先人たちは気で勝てると考えていたのだろうか。戦後70年のいまこそ、昭和陸軍の「戦略構想」を問い直す。 カギを握る4人のエリート 「満州事変以降の『昭和陸軍』をリードしたのは陸軍中央の中堅幕僚グループ『一夕会』。満州事変の2年前の1929年に結成されました。メンバーは東条英機、永田鉄山、石原莞爾、武藤章、田中新一ら約40人。 一般的には東条が日を破滅に導いたように思われていますが、昭和陸軍の戦略構想を立てたのは永田と、石原、武藤、田中の4人。東条は彼らの構想に従って動いたに過ぎません。 永田を中心にした彼ら4人とも、単なる軍事エリートではなく、当時の日社会では知性と教養を併せ持つ知的エリートでした。戦前の陸軍は何も考えずに暴走したと思われがちですが、そうではなかったのです」 川田稔・名古屋大学名誉教授はそう

    【戦後70年特別企画】「昭和陸軍」の失敗。エリート軍人たちは、どこで間違えたのか(週刊現代) @gendai_biz
  • 山本七平botまとめ/『”員数主義”に陥り易い日本人』~「不可能命令」とそれに対する「員数報告」で成り立つ”虚構”の世界~

    七平bot @yamamoto7hei 1】~前略~S中尉は暗い顔で言った。「戦争は員数じゃないんだが……」と。だがその言葉には諦めに似た響きがあった。S中尉の言った「員数」という言葉にはその原意とは違った、軍隊内でしか通用しない独特意味があった。一応これを「員数主義」と言っておこう。<『一下級将校の見た帝国陸軍』 2012-05-28 02:56:48 山七平bot @yamamoto7hei 2】このイズムは、もうどうにもならい宿痾、日軍の不治の病、一種のリュウマチズムとでもいうべきもので、戦後、収容所で、日軍壊滅の元凶は何かと問われれば、殆どすべての人が異口同音にあげたのがこの「員数主義」であった。 2012-05-28 03:26:31 山七平bot @yamamoto7hei 3】そしてこの病は、文字通りに「上は大営より下は一兵卒に至るまで」を、徹底的にむしばんでい

    山本七平botまとめ/『”員数主義”に陥り易い日本人』~「不可能命令」とそれに対する「員数報告」で成り立つ”虚構”の世界~