そう言えば、ティーパーティーという言葉をあまり聞かなくなりました。2010年11月の中間選挙で、保守系の候補を多数当選させて共和党躍進の原動力となったのは、つい昨日のことに思えますが、その後のティーパーティーというのは、ズルズルと失速しているのです。 何といっても、ティーパーティーの看板といえば、前副大統領候補のサラ・ペイリンでしょう。オバマ政権誕生後の政局にあって、「白人+保守+反エリート」という正にオバマの対極のような「キャラ」全開の姿勢は確かに存在感がありました。中間選挙では、応援演説で全国を駆け回って集票能力を発揮、その勢いは2012年の大統領選への待望論になっていたのです。 ですが、ペイリンの人気は長続きしませんでした。 年明けの1月8日にアリゾナ州で発生した女性下院議員狙撃事件を契機として、人気が下降し始め、以降は全く立ち直りの気配もありません。ペイリンのコピーと言われたミシェ
この問題は表層的に論じられている奥のほうに、つまり米国政府内になんらかの問題がありそうなわりにそこが見えないので言及しても意味がないと思って控えていたけど、さすがに連続するとばっちりにうんざりしてきたので、少し補足しておこうかと思う。 とばっちりというのは例えばこういうのである(参照)。 usi4444 沖縄, finalvent 講義を聴いた英語のネイティブ・スピーカーである学生達や准教授が差別的だと感じたのに、finalventさんは何で必死に誤魔化そうとしているの? 2011/05/01 「これはひどい」で悪名高きはてなブックマークコメントのひとつであり、コメント先は「メア氏講義メモ私訳: 極東ブログ」(参照)である。私訳したのは、「ごまかしとゆすり」というメディアの訳語が一人歩きしているので、この時点で可能なかぎり妥当な文脈を捉えてみようとしただけにすぎない。私のメディアに対する警
エジプトの暴動を反米のスジで読みたい人がいても別段かまわないが、あまりに予想通りの筋書きを目にすると萎えてくるものだ。背景を少し補足しておいたほうがよいのかもしれない。 今回のエジプトの暴動は時系列的にはチュニジアの暴動の飛び火と見るしかないが、エジプトでいずれ問題が起きることは予見されていた。問題はすでに昨年の時点にあったからだ。 この手の問題に敏感なワシントンポストは昨年11月5日の社説「Egypt's Mr. Mubarak moves to lawless repression」(参照)でエジプトの問題をこう描写していた。 Now, with a parliamentary election approaching, the regime's political repression has grown more rather than less severe. Hundreds
⇒アラブの政変で負けようとしているのは誰なのか? - Chikirinの日記 インターネットで、アラブ諸国に民主化革命が起りつつあるのです。アラブの盟主とも言える大国エジプトで政変が成功すれば、89年から90年にかけて起ったベルリンの壁崩壊、そしてソビエト連邦の消滅にも匹敵する、パラダイム変革といえるでしょう。 まあ、そのあたりは色の革命の結末を知らない人にありがちなんだけど。 一言で言えば、ムバラク政権を支持していたのは、エジプト国民ではなく“アメリカの政権”でした。今、デモによって打ち砕かれようとしているのは、その“米国政府の意思”なのです。 過去はそうだけど、昨年あたりから米国はムバラクを困り者に見ている。ワシントンポストの論調とか読んでいればわかりそうなものだけど。 ちきりんさんも人気が出てきてしかたがないとは思うのだけど、こういう浅薄な話で煽るのは困ったなあ。 ちなみに。 昨年1
米国中間選挙で予想通り民主党が大敗したといってよいだろう。しかし、これで予想通りオバマ大統領がレイムダック化するかといえばそうとも言い難い。基本的に中間選挙は現職大統領に厳しい結果が出るものだし、ねじれ議会はむしろ普通ことだ。むしろ、これからようやくオバマ大統領の真価が問われる時代になった。ということで米国中間選挙はどちらかというと退屈なお話でもあるが、少し感想を書いておこう。 米国の報道でもそして日本の報道でも選挙期間中ティーパーティーが話題になった。ペイリン氏が騒ぎ立てたこともあり、日米ともに基本的にリベラル寄りのメディアとしては当初また反動保守的な共和党か、アホのブッシュの再来かくらいに報じていたが、ティーパーティーが単に共和党の別動部隊ではなく反共和党的な性格も持ち合わせていることに気がついたとき、すでに何かが終わっていた。民主党のオバマ大統領もそれまで無視し続けていながら土壇場に
7月中旬、わずか1週間あまりの間に、米中間の緊張が高まる可能性は劇的に増加した。不和の種は、何年も前から存在していたのである。いま問うべきは、今度の論争が満潮干潮のように予測がつく周期的なものなのか、それとも、今後何カ月も続く趨勢なのかという点だ。 菅政権は国内かかりきりだが これほど込み入った問題が、日本にとってはよりにもよって、よくまあこんなに悪いタイミングで出現したものだ。日本は国内で分裂を続けている。菅政権はというと、日米同盟をしっかりさせるのはそっちのけ、国内問題にかかりきりだ。 そんなときもちあがった米中間の緊張は、もちろん日米関係に関わってくる。しかし本来、外交に対する日本の基本的アプローチ――とりわけ中国と北朝鮮にどう付き合うかという――に対し、モロに響いてくるものなのである。 中国と商売しているWEDGE Infinityの読者は、米中間の緊張を案じるべきだろうか? それ
古い話から。 東京オリンピックが開催されたのは1964年の秋、10月10日であった。これを記念した体育の日は現在ではその日に固定されてはいない。この年、東京の夏は、間近に迫る世界大会を前に活気にあふれていたが、重苦しい国際ニュースもあった。 1964年8月2日、ベトナム北部トンキン湾にいる米海軍駆逐艦に対して、北ベトナム軍の哨戒艇が魚雷と機関銃で攻撃した。ベトナム戦争時代であり、北ベトナム軍は南ベトナムの軍だと誤認した。これがトンキン湾事件で、米国が本格的にベトナム戦争に介入するきっかけとなり、翌年から北爆(無差別爆撃)が開始された。現在ではこの事件は米国による陰謀であることがわかっている。ポスト安保闘争としてベトナム反戦運動を体験した団塊世代が、米国の関与する戦争をなんでも陰謀ではないかと見たがるのにはこうした背景がある。 ベトナム戦争を始めたのは米国民主党である。ジョン・F・ケネディ大
ここはネット上のチラ裏話をひたすら載せていくブログ、というかただ単に自分用のメモ帳代わりに使ってるニダ。某掲示板からのチラ裏やらムーやら雑談やらを転載。チラ裏は噂話としてハイハイワロスワロスで流すことをオススメ。基本姿勢はDon't trust me!で。 不定期更新中。 ■各府省へ一括メル凸できるフォーム https://www.e-gov.go.jp/policy/servlet/Propose 口蹄疫募金へのご協力ありがとうございました。m(_ _)m ► 2011 (2) ► 1月 (2) ► 1月 04 (1) ► 1月 01 (1) ▼ 2010 (1109) ► 12月 (2) ► 12月 24 (1) ► 12月 13 (1) ► 11月 (2) ► 11月 11 (2) ► 10月 (3) ► 10月 20 (1) ► 10月 17 (1) ► 10月 16 (1) ►
≪オバマ来日と井上成美の言葉≫ 「アメリカがよくあれまで我慢したものだと思う。資金の凍結や油の禁輸などは窮余の策で、まだまだおとなしい方だ。日本のやり方は傍若無人と云うの外はない」 井上成美(しげよし)は、戦前、日独伊三国同盟の締結や日米開戦への動きには頑強な抵抗を示し、米内光政や山本五十六と並んで、「海軍左派三羽烏」と称された。井上は、戦時中には海軍兵学校校長、海軍次官を務め、帝国海軍最後の大将に昇進した。井上は、海軍兵学校校長在任時、英語が敵性語として扱われた時節に兵学校での英語教育の続行を指示した。 前に触れたのは、戦後、昭和30年代後半に、井上が日米開戦に至る過程を回顧して語った言葉の一節である。1940年9月の北部仏印進駐から翌年7月の南部仏印進駐を経て日米開戦に至る過程に関して、一つの解釈は、米国が資産凍結、石油・屑(くず)鉄禁輸といった様々な対日圧力を加え、それが日本を真珠湾
事情があり、暗い所で打ち込んでいるのでよく字が見えません。明日、明るくなったらきちんと直しますのであしからず! オバマ大統領就任以降のアメリカ、という話は多分たくさんの方が書かれるでしょうし既にかなりの取材を受けてしまいました。その意味で今更あまり書くこともないんですが・・・・ ひとつだけ感じていることを書いておきます。 当たり前だけど、今までとは相当変わるでしょうね、ということです。しかもこれまでに無いほど、いや、むしろ無茶苦茶変わる、といった方がいいかもしれない。 オバマが大統領になって日本は大変だ、というコメントが多いんですがね。 確かに民主党が野党時代のここ数年、日本からのコンタクトの劣化はひどい・・・という話をここで何度も書きましたし、その分、いや、その何倍も中国の食い込み方はすごい、という話も書いてきました。 胡錦涛さんは今この場で電話できる民主党のコンタクトが何人もいるでしょ
(1)「300日戦争~金融恐慌が後押しした劇的な勝利」から読む (2)「シカゴ オバマを鍛えた貧民街」から読む オバマが勝利した夜、米国のテレビ局は、喜びに沸くケニアの様子を映し出していた。村に集まった人々が、カラフルな衣装を着て歌いながら踊っている。その中心にはテレビ受信機があり、まるでオバマを、守り神のごとく崇めているようにすら見えた。 オバマの父、バラク・オバマ・シニアの出身地は、ケニア西部の貧しい村だった。そこから、超大国のトップが出現した。ケニア大統領のキバキは、国民の祝日にするとまで発表した。 テレビのニュースは、狂喜するアフリカ人の姿を、何度も繰り返し伝えた。赤茶けた大地を踏みしめながら、人々は取り憑かれたように両手を挙げて、天を仰ぐように踊る…。 その時、ニュースには映らない、彼らの日常が脳裏をかすめた。 昨年、ケニアのナイロビ郊外で見た光景は、新世紀アフリカの現実を語って
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